Sloppy Drunk

Eddie Taylor
part 3


03-08-20
さて、三日連続の Eddie Taylor でございます。え?いい加減にせえ?ハイすんません。いましばらくのお付き合いをば。本日のナンバーも Ready for Eddie からでございますよん!
ま、みなさま、Sloppy Drunk というと、恐らく Jimmy Rogers がご贔屓かもしれませんですね。とーぜん、そちらが王道でございましょ。ま、ワタクシの場合、そちらも大好きなんですが、この Eddie Taylor の Sloppy Drunk も実に「いい」んですよ。カラっとした陽性の、重心の高いギター・リフが耳に快くて、なんだか「いい酒」呑んでミョーにハッピーになっちゃったよーな気分、とでももーしましょうか?

健闘してるサヴォイ・ブラウンのキーボーダー、Bob Hall のピアノをやや前面に出した間奏部では、Roger Hill のちょダサなギターが笑えますが、イントロからクワ〜ンと斬り込んで来る Eddie Taylor のギターが実にイキイキしてます。全編を通して自分でカウンターを入れてるんですが、それがなんだか「楽しそう」でいいです。
コマカいコトをゆーひとたちは完成度がイマイチ。なんてヒヒョーしそうですが、ワタシにゃあ「このユルサ」がいいのだ!それに Eddie Taylor のヴォーカルも適度なユルさが、いかにも酔っぱチックで曲に合ってますよん。

えっとお、昨日は John Brim 夫妻と共演、ってとこまでね?では第三部、スタート!
1953年のある晩、彼が演奏してたとこに、一足先に Chicago に出て、海軍で兵役を終えて来た Jimmy Reed(その近くに住んでたみたい)が現れてステージ上の Eddie Taylor を「発見(?)」。そこでふたりは再会をはたし、ふたたび交流が始まっています。そしてバッキングの極北とも言えるファインでタイトなリズムと、レイジーな Jimmy Reed のヴォーカル&ハープの組み合わせが数々のヒット・チューンを生み出して行くのですよ。
その Jimmy Reed 同様、VEEJAY と契約したのが1954年で、その翌年には Big Town Playboy が、37,000枚を売るマイナー・ヒットとなり、この曲が彼のニック・ネーム、Eddie "Playboy" Taylor の由縁でございましょう。同年、Jimmy Reed とのツアーを開始。その後、ジョン・リーの伴奏も担当するようになります。

ところで、この VEEJAY ってレーベル名ですが、Vivian Carter Bracken と彼女の夫 James Bracken のそれぞれの名前のアタマの「ヴィ」と「ジェイ」から来ています。Vivian はローカル局の D.J.をしてたんで、最新のブラック・ミュージックの動向にはとても敏感で、それが会社経営には大きく反映してたようです。一方の James は成功したレコード・ショップのオーナーでしたから、どんなレコードが売れるのか?についてはエキスパートだったワケですね。このふたりが1950年からパートナーとなって、そして1953年には VEEJAY を設立し、以来数々のレコードを送り出してきたのです。
そして、もひとり忘れちゃいけないのが、Vivian の兄弟の Calvin Carter で、かってはミュージシャンだったのですが、VEEJAY の敏腕 A&R マンとして、営業方面から社を支えています。
エディ・テイラーはインタビューの中で、Calvin Carter がサウンド・メイクから関与し、「いい仕事をしてくれた」と評価してますよん。この時の録音(1955年1月5日の Bad Boy、12月5日の Ride 'Em On Down と Big Town Playboy をはじめとして、1956年 7月9日の Do You Want Me To Cry? と I'm Sitting Here ではギターに Hubert Sumlin、ピアノに Johnny Jones が参加し、You'll Always Have A Home と Don't Knock At My Door ではハープが George Mayweather )は、VEEJAY からリリースされた Elmore James とのカップリング・アルバム South Side Blues で聴くことが出来ます。

彼はまた、Mississippi に帰った時に Jackson と Belzona で初期の Elmore James を見ているんですが(たぶん、1950年代の初頭でしょか?)、その時にはあまりピンと来なかったみたい。でも、Elmore の1956年1月4日の Modern への吹き込み( So Mean To Me / Wild About You Baby/ Elmo's Shuffle / Long Tall Woman )や、1957年の CHIEF( The Twelve Year Old Boy / Coming Home / It Hurts Me Too / Knocking At Your Door / Elmore's Contribution to Jazz )などの録音に参加することとなりました。

1957年からは Pepper's Lounge に出演を開始。徐々に彼の価値(?)が周知のものとなり、数々のセッションに招かれるようになって行きます。だって、彼を投入(?)すると、とたんにリズムがフラつかなくなり、歌が活きるからなのねん。そんな彼が関わったミュージシャンは他にも Homesick James Williamson や Snooky Pryor、Floyd Jones などがいます。
1963年には娘の Brenda Taylor が生まれています。エディ・テイラーJr. によると、「ともかく彼女は冗談好きだった」そうです。翌1964年には、Paul Butterfield とも仕事してますね。
1965年、長男の Timothy Taylor 誕生。ドラマーになっています。1967年には次男の Larry Taylor(ドラム)と、次女の Edna Taylor が生まれました。歌うのが好きだったそうです。1969年三女の Valicia Taylor 誕生。音楽にはあまり興味が無い娘だったって。
1972年には、Eddie Taylor Jr. と呼ばれるよーになる三男の Edward Taylor Jr. が生まれました。で、ここんとこがちと「?」なんですが、この年、Eddie Taylor は Vera って女性と結婚してるんですが、それまでず〜っと内縁の妻ジョータイででも、コドモたちは次々産んでたのか、それともその子たちの母(もしかして複数形で「母たち」?)とはちゃう「新しいオンナ」なんざましょか?ここらよー判りまへん。そのヘンはキョーミがおありの方にお任せいたしますわん。あ、そうそう、Hightone( Advent )の I Feel So Bad がリリースされたのがこの年ざんす。
1973年には四女の Demetria Taylor が生まれ、1975年に生まれた四男の Milton Taylor ともどもドラマーになってます。このふたりの出産を挟んだ1974年の春には、ロンドンでイギリスのブルース系バンドからのメンバーで構成された the Blueshounds とともにこのアルバム、Ready for Eddie(後に I'm A Country Boy として再発)をレコーディングしています。

そして「運命の」1977年!・・・あ、運命の、っつーのはワタシにとって、っちゅうイミで、彼にとって、ではございません。あの、フェントン・ロビンスン入国不許可事件によってトツゼン Louis & Dave Myers にドラムの Oddie Payne Jr. とのパックで「日本行き」ですよー。
ま、そんときのハナシはエディ・テイラーの第一回で書いてますんでハブきますが、うん、ありゃあ大きかった!ワタシにとって、ね。
やはり、自分の持ち歌の無い Louis Myers じゃフロントとれないってコトなのねん。自然と「トリ」はエディ、って流れだったんでしょね?こないだの某速指男みたく、なんでコイツが「トリ」やねん?ってのとはゼンゼンちゃうもんなあ。

この時を境に、ブルースの中での「ギター」の意味(なんてゆーと、ちと大袈裟なんですが)がワタシの中で変わってしまったような気がします。それまでは、ご他聞に洩れずブルース・ギター=アドリブで弾くソロ、と思っていたのですが、Eddie Taylor という稀有な才能が見せてくれたバッキングでのリズム・メイク、つまり、カッティング、ストローク、パターンド・リフなどの重要性を「目の当たりに」して、サイドをキチンとこなせないのは「ブルースのギター」とは言えない、っちゅーことを実感したのでございました。ホント、リード・ギターなんてダレだって弾けるんですよ。ちょっとカジっただけでも、ね。でも、マトモにサイド切れるホンモノのギターはまだまだ「少ない」ですねえ。

そして、ハードの面では、とかく批判されがちなリヴァーブの使用を見直すきっかけになっています。なんせ出身が the Shadows のインストなもんで、「リヴァーブなんて使うな!その場が残響をつけてくれるんだから」ってゆう硬派の言い草に、以前から反発はしてたんですが、Eddie Taylor の「積極的に」リヴァーブを必須のものとして組み込んだ「音」の洗礼を受け、マーシャルなんぞのリヴァーブを内蔵してないアンプには一切の興味を失ってしまいましたね。
ま、どこでも自分のアンプ持って行けるワケじゃないし、VOX のパスファインダーみたく、手ごろなアンプなのにリヴァーブが無い、っちゅー対策としてデジタル・リヴァーブを用意しています。スプリングと違ってウッカリ蹴っても「ガヒャ〜ン!」なんて異音を出すコトもないしね。え?ならマーシャルでもいいじゃん、って?うぷぷ、なんでかアレとリヴァーブって合わないんですよ。音量も出さないといー音しないし。
しかし、Eddie Taylor が使ってたサム・ピックだけは、ワタクシ相性が悪くて、遂にモノになりませんでした。どうもあれってワタシの手に負えないよなヘヴィーなゲージの弦に向いてるのかもしれませんね。

ワタシの愛するブルースマンはたくさんいます。でも、その中で、「尊敬」の度合いでは、もう群を抜いてこのひと。その Eddie Taylor は、1985年 12月 25日、まさに Christmas の日に息をひきとりました。

長々と綴ってまいりました Eddie Taylor Special、よーやく完結でございます。もー Eddie Taylor はタクサンだ!なんてえ満腹感を与えるコトが出来ましたでしょか?今度は初回にまで遡って、忘れてたコトなんぞを今日になって追加したりもしてますから、三日前のもまた情報が増えております。クドいのもここまで来るとリッパっしょ?
ま、ここまで彼にこだわるのも、やはりあの Eddie Taylor 弘前ライヴの「思い入れ」があるからなんですねえ。今回ばかりは登場する人名につける註もシツコいほど追っかけてあります。みんな知ってるよなビッグ・ネームは放ったらかしですが、たぶん、ダレこれ?って思われそなのを突っ込んどきました。
Willie Tango とかはケッキョク生没年不詳で終っちゃったけど、ま、そのうち資料に遭遇したら改訂しよっと。
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