Canned Heat Blues

Tommy Johnson


03-08-23
RBF 14 BLUES ROOTS / MISSISSIPPI に針を落とすと(そ、これはアナログ・ディスクなのよん)軽いスクラッチ・ノイズを追い散らすように Tommy Johnson の落ちついた歌がキュート(?)なギターに先導されて滑りだします。
ちょっと喉声かな?なんて思って聴いてると、D からのブルースなんですが、1コーラス目はフツーなんだけど、2コーラス目以降、9小節目の A から12小節目までは、ミゴトな裏声、つーかブルーグラス系にタマ〜にあるよな「ヨーデル発声」になっちゃうじゃないの!そ、これは「ファルセット・テナー」とかゆうんじゃなく、まんまヨーデル!
それを「ブキミ」と表現しちゃうのはどーかと思うけど・・・

もちろん Tommy Johnson と来たら、後に Floyd Jones によって開花(?)する Big Road Blues なんてえとこが有名なんですが、フツーじゃないワタクシといたしましては、ゼヒこのキショい(?)ヨーデルをみなさまにも味わっていただきたかったのでございますよん。あ、そうそう、この曲のタイトルから、あのブルース系バンド「キャンド・ヒート」が名前をパクったとも言いますかさだかではございません。

Tommy Johnson は、Mississippi 州の州都 Jackson の 20マイルほど南にある Terry の近くの George Miller のプランテーションで13人の子供のうちの1人として、およそ1896年ころ生まれた、と思われます。ただし、異説として、生年については、1880年( by Art Rosenbaum )が、また生地(「せいち」。きじ、じゃないぞう)については Copiah 郡の Crystal Springs( by Ishman Bracey )とする説もありますが、それは恐らくどっから来た?という問いに対しての答えから類推したものじゃないでしょか?。
彼の家族は1910年ころに Crystal Springs へ移ったもののようです。ただし、これにも異説はあり、Tommy Johnson が「単独」で「逃亡」した、とする資料もあります。彼の家族はみな音楽に縁があり、叔父や兄の LeDell はギター、他の親戚もブラス・バンドをやっており、兄がギターの基本を教えてくれたようです。このファミリーは揃ってパーテイなどで演奏して得られる報酬を小作人契約の土地代の支払いのタシにしてたようですから、ヒョっとして、そんなせーかつがヤになって、「あがり」を独り占めしたくて「逃げ」たのかも?

1916年に、彼は Maggie Bidwell と結婚し、ふたりは Yazoo Delta 地区の Drew にあって Dockery's Plantation( Dockery Farm )にも近い Webb Jennings の Plantation に移ります。
その後ジョンスンが、たとえ何人の妻を持ったとしても、この最初の妻こそが「不朽の名作」、あの Maggie Campbell Blues のキッカケとなった、とゆーのは定説になっとるようです。
ま、そんだけ「女癖」が悪く、多くの女性と関わった「困ったヤツ」だったらしいのですが。

やがて Charley Patton やローカルなギタリスト Dick Bankston、さらに Willie Brown などの影響でデルタ・スタイルに接近した、なんてブンセキもあるようですが、そのワリにはちょっとデルタ離れしたとこもありますよね?
どうも Tommy Johnson のブルースは、その音を聴く限り、意外な広がりを持っているように思われます。冒頭の Canned Heat Blues にしても、リズムの切り方がミョーに「ファンシー」なよな気がするんですよ。そこにもってきてあのヨーデルですからねえ。
それとは別に、彼は Charley Patton からギターを使った「演出」を受け継いだようで、まるでギターがロバで、彼がそれにまたがってるみたいに足の間で弾いたり、後にはみんながやり出す、アタマの後でギターを弾く、あるいはギターを空中に投げ上げるなど、アクロバティックなアクションを見せています。

さて、いまやリッパなアル中&女蕩しとなった Tommy Johnson が Cristal Springs に帰って来たのが1920年。ファミリーとの音楽的なつながりを復活させています。
彼は小作人の生活に戻り、Jackson 周辺で週末のパーテイに出演してチップを稼ぎ、綿花摘み人足に給料が払われたころを狙ってデルタ各地で演奏しています。

1920年代の初頭には Charley Patton と一緒に Greenwood や Moorehead (鉄路の交差する有名なポイント「the Southern Crosses the Dog」で W.C. Handy の Yellow Dog Blues で知られる)周辺で演奏していたようです。
彼は、自分の名声を高めるために、ことさら迷信を利用し、St. Louis のブルース演奏者 Peetie Wheatstraw にならって、「悪魔の義理の息子」を自称し、自らの外貌を不吉な影で包みました。
兄の LeDell によれば、彼は Crossroad で「例の」契約をした、と主張していたそうですから。
それは後の Robert Johnson(直接の接触は無かったようですが)にも採り上げられることによって、さらに有名な逸話となっていくのです。
当然ラビット・フットなど呪術的なものを身辺に採り入れ、魔術的な雰囲気を漂わせていたようです。ただ、後の「お馴染み」 Screamin' Jay Hawkins のよーに「VooDoo」を表立って利用することはしてないようですが。そのヘンは当時の黒人社会での「迷信」の「トレンド」の変遷を追ってみないと判らないのかもしれませんね。

1928年の 2月に、彼はギターの Charlie McCoy とともにメンフィスで Victor label のために吹き込みをしています。
その録音がそこそこ売れたので、引き続き同年8月にも録音が行われています。
そのセッションに含まれていたのが、この Canned Heat Blues です。もはやアル中も進行して、酒だけでは飽き足らず、合成アルコール(?)まで呑んでいたそうで、その状態がもたらした「曲」だったのではないでしょうか。さらにその後もアルコールについて歌った Alcohol and Jake Blues なんて曲もあります。この曲は Sonhouse や Skip James、そして Charley Patton などが録音した「栄光の」スタジオ、Wisconsin 州 Grafton の Paramount スタジオにまで出向き、1929年の12月にレコーディング(もち Paramount レーベルのために、ね)したものですが、その時のセッションが、彼の最後のレコーディングとなりました。

世界的な大恐慌が、レコード業界にも打撃を与え、彼に録音の機会が与えられることがなくなってしまったのです。
しかし彼の曲も唱法も奏法も後のブルースに大きな影響を与えています。例えばハウリン・ウルフの Cool Drink of Water Blues もそのひとつだし、 Houston Stackhouse はまだギターを覚えたてだった Robert Nighthawk に Tommy Johnson のナンバーを教えていました。

その Tommy Johnson が死んだのは、1956年11月1日。パーティーをした後に心臓発作を起こしたものです。生前、悪魔との契約や民間信仰の禁忌で武装していた Tommy Johnson でしたが、Mississippi 州 Crystal Springs の Warm Springs メゾジスト教会の墓地に埋葬されました。

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