Dedicated to Otis

Lucille Spann


03-08-26
冒頭、地元 Ann Arbor の FM局 WNRZ で「Toke(ミス・スペルじゃなく、ホントにこー綴られてます) Time 」っちゅう Blues と Jazz の番組を持ち、Ann Arbor Blues And Jazz Festival の Co-producer でもある John Sinclair の M.C.で、「このフェスティヴァルを今は亡きオーティス・スパンに捧げます。」に始まりマディがそれを受けて Spann について触れ、その未亡人 Lucille Spann を紹介します。
その Lucille の、声も震えがちな答辞の次にこの曲は収められていますが、実際に当日にもこの順番だったかは判りません。
Lucille Spann は1938年 6月23日 Mississippi 州 Bolton で生まれています。本名についてふたつ説があるようで、Lucille Jenkins Spannとするものと、Mahalia Lucille Spann っての。あ、そのフュージョン版の Mahalia Lucille Jenkins ってのもありましたけど。

曲はウェットな Mighty Joe Young のギターで幕を開けます。そして Lucille の前説が入り、いざ歌い出すともうフル・パワー!
なんだかコラエてきたものを全てブチまけるよな「激しい」モノローグのようなブルースが叩きつけられます。あまりのテンションの高さに疲れちゃいそなイキオイですが、ひとつのパフォーマンスとして捉えたとき、これほど「哀切な」心情を表現し得たブルースはあまり無いように思います。地声からシャウトに盛り上がって行く様子も不自然ではなく、あたかも感情の昂ぶりに操られるまま移行するがごとく昇華させてゆく・・・カタルシスってヤツかしら?
死者を悼むのにふさわしいような「沈鬱さ」を時に折り混ぜて低く徘徊するベースは Sylvester Boins。Rick Wright の Fender Rhodes かと思われるピアノは、そのローズ臭さが時にハナにつきますが(どころか、フレーズもハナについたりしちゃうんですが)ま、Otis Spann に捧げる、ってんで健闘してるほーじゃないでしょか?やはり「もろ」ブルースに Rhodes の音は合わないよな気はしますがねえ。
良くトレースし、ヴォーカルを盛り上げているドラムは Alvino Benson です。あまり目立たないけどブラスは Charles Beachum( tp )と Walter Hambrick( ts )のふたり。

さて、この Ann Arbor Blues And Jazz Festival とは?
それを主催する RAINBOW multi media のオフィシャル・サイトから抜粋してみます。
The Ann Arbor Blues and Jazz Festival 小史 by Michael Erlewine, Festival Archivist
フェスティヴァルの公文書管理人 Michael Erlewine による─
1969年8月の暖かい(って「夏ちゃうんかい?」とツッコマれそーですが、フェスティヴァルのオフィシャル・サイトにそー「warm」書いてあるんざんす。ま、Michigan 州つーと北のほーだから、「暑い」ってほどじゃなかったんでしょう)夜に、今につながる「伝説」がスタートしました。数千人のブルース・ファンが Michigan 州 Ann Arbor のあまり広くないアスレチック・フィールドに集まり、ラスト・ステージを B.B.がシメたのですが、それこそが Michigan州の南西部にあったこの学生の街にとてつもないコトが起きた瞬間だったのです。
この 1969 Ann Arbor Blues Festival こそは、北米における(南米も入れたってそーだと思うんだけど?)この手のブルース・フェスとしては最初のものでした。

とゆーワケで、Ann Arbor Blues and Jazz Festival はミシガン大学の支援で始められましたが、次第にその規模を拡大し、後には市当局の管理のもと、ヴォランティア団体によって運営される非営利の事業(条例・第 501-c に準拠する)として認可され、それ以来、フェスティバルの範囲はさらに拡張して行くこととなります。

この、第1回フェスティヴァルの出演者を挙げておくと、
Friday Night(1969年 8月1日)
Roosevelt Sykes / Fred McDowell / J.B. Hutto and the Hawks / Jimmy Dawkins / Junior Wells / B.B. King
Saturday Night(同 8月2日)
Sleepy John Estes / Luther Allison / Clifton Chenier / Otis Rush / Howlin' Wolf / Muddy Waters
Sunday Afternoon(同 8月3日)
Arthur "Big Boy" Crudup / Jimmy Dawkins / Roosevelt Sykes / Luther Allison & the Blue Nebulae / Big Joe Williams / Magic Sam(!) / Big Mama Thornton / Freddy King
Sunday Night(同 8月3日)
Sam Lay / T-Bone Walker / Son House / Charlie Musselwhite with Freddy Roulette / Lightnin’ Hopkins / James Cotton
となっています。3日間、4部構成だったんですね。それが翌1970年になると土曜の午後も増えて、3日間、5部構成になっています。そのまた翌年の1971年は「お休み」、そしてブルースばかりではなく、ジャズをも併せて開催するようになったのが、この1972年の Ann Arbor Blues And Jazz Festival から、だったのです。
Lucille Spann(表記上は Mighty Joe Young with Lucille Spann です)が登場したのは土曜日の午後のステージでした。会場となったアスレチック・フィールドは「Otis Spann Memorial Field」と名付けられていたようで、多くの聴衆に迎えられているようです。─ライヴの歓声の規模からするとね。

この1972年からは、出演者をジャズにまで拡大し、Miles Davis、Count Basie、the Arts Ensemble of Chicago、Pharoah Sanders、Archie Shepp、Ornette Coleman、Cecil Taylor、といったアーティストも参加しているのですが、レコード会社との契約によって制限され、このアルバムには収録されなかったケースがあったようです。それはジャズ以外でも同様で、たとえば Ray Charles や Etta James、James Brown、Booker T. & The MG's、Al Green などが収録されていません。

フェスティヴァルの土曜と日曜の会場は Ann Arbor の北東を流れる Huron 川を跨ぐ70エイカーの広さを持つに Gallup Park なっています。そこにはおよそ10,000以上の観客を受け入れることが出来、大きなメイン・ステージに主催者側のスタッフのための大きなテントや、子供のためのテント、食品などの販売ブース、出演者との交流用ブース、スポンサーおよびゲストのためのエリアなどが用意され、近くの Huron High School には広大な駐車スペースが用意され、聴衆はそこから、あるいは近郊から歩いて、あるいは自転車で、ローラースケートで、なかにはカヌーで(!)会場に集まってきます。

美しくレストアされたアールデコ調の Michigan Theater では夜の部が行われますが、当然座席指定になるため、希望者全員が観られる、というワケには行きません。その替わり、というコトじゃないんですが、街中の小さなクラブなどで行われるライヴを探す楽しみがあります。Ann Arbor のダウンタウンにある The Bird of Paradise Jazz Club では金曜と土曜の夜に各2ステージのジャズ・ライヴが行われ熱狂的なジャズ・ファンを集めているようですから。

ところで1972年の Otis Spann Memorial Field での Ann Arbor Blues & Jazz Festival 1972 の模様は、オーディオ・ヴィジュアル両方で記録されているのですが、いま現在、映像の方は発売されてはいません。一方の音源の方はレコード会社の許諾が得られたものからセレクトされて 2枚組のアナログ・ディスク Atlantic Records SD 2-502 として発売されました。(ただ、The Ann Arbor Blues & Jazz Festival, Vol. 2, 1972 Little Sonny: "Blues With A Feeling" Schoolkid's Records SKR 2102-2 ってのもあるよーですが、そちらはまだ見たことが無いよな気がします)
このアルバムのラストを飾る Otis Rush もたしか 4〜5曲実際にはやってたんじゃなかったっけ?記憶では Stormy Monday もやってたような・・・
Ann Arbor Blues & Jazz Festival の映像も発売してくんないかなあ。



二つのサイトがリンク・ページから姿を消しました。それぞれ主宰している方からメールをいただき、処理することが出来ましたが、少し前には「なんの連絡も無く、サイトが消滅していた」例があります。
さいわい、ウチからはそのサイトへのリンクを張っていなかったので実害は無かったのですが、やはりヒトコトもナシに消えちゃう、ってのはあんまりっちゅうもんでしょ。ま、あるいは、それどころじゃない状況に陥って、ネットに近付くコトも出来なくなっちゃったんでしょうか?
だとしたら、せめてごブジでいてねん、くらいしか言えませんが。

ネットでのマナーなんて堅苦しいハナシはともかく、相手の身になって考える、いわば「想像力」が欠如してると、知らず知らず、周囲に「不快な」思いをさせてしまいます。
ワタシの場合、あちこちの板などで、ナゼか不快感を与えられる、ってえ書き込みなどを分析&考察したことが、ホントいいベンキョーになりました。まず、自分は平気でも他人はそうではない場合がある、ってコトを理解しないとね。ズケズケものを言う仲間とフダン付きあってると、つい、その感覚のままで「トゲのある表現」をしてしまうんですが、相手によっては非常に不快感を持たせてしまいます。
また、コンテンツの内容や記載について疑義をはさむ(ミスを指摘する、あるいは知らないようだから教えてやるんだ、という高圧的態度は反発を招くだけです)場合、必ずメールで「恐れながらこの部分の記載ですが・・・」と「問い合わせ」するようにしています。メール・アドレスが判らず、「やむを得ず」掲示板で提示する場合には、表現に苦慮しますね。掲示板は一般に公開された場なワケですから、より慎重な表現が求められます。特に学術的な研究を公開して議論を闘わせる学究的サイトじゃなく、趣味でやってるサイトですからねえ。
ま、なんにしろ、相手の気持ちを考える、ってのが基本でございましょう。
でもねえ、ニンゲン、自分の中に無いモノは想像できんのですよ。フとしたことで傷つくような繊細さの無いニンゲンにはやはり、他人の痛みは判らないのかもしれません…
permalink No.492

Search Form