Pussycat Moan

Katie Webster


03-08-28
マイナー系のヘヴィーなブルースは、華麗ながら、やや「軽い」ピアノのイントロで始まり、彼女のうめきが始まる。キーは Gm。
イントロ部分はちょっと違うんだけど、Gm-Gm-Cm-Cm-Gm-D7-Cm/D7-Gm/D7 という構成です。
芯のあるタイトなギターでニートなオブリを入れるのは Vasti Jackson。
うん、この音いいわあ、こゆの好みやねん。
でも、歌は暗いのよん。オトコに置いてかれたオンナの歌だもんね。

あんたはわたしの金を湯水のように使って
街中のオンナを追い掛けまわす


ううう、そりゃあたまらんわな。
なんでまたそんな不実なオトコになんか惚れちゃったのよ?と詰問したくなりまっせ、ホンマ。
難しいよね、男女の仲は。
一生懸命尽くすと感謝するどころか、それをいいことに好き勝手をするオトコ。
かと思うと逆にティファニーでペンダントを買って、ヴィトンの限定モデルが出ると聞いちゃ列に並び、いまぁ〜、シブヤなんだけどぉ、雨ふってきちゃったぁ、なんて言われるとクルマ飛ばして迎えに行く、そやって大事にしててもカネの切れ目が縁の切れ目、なんてオンナもいたり・・・
このブルースを聴きながら、人と人、ましてやオトコとオンナの間に横たわる深淵(か?)に思いをいたす、なんてのもタマにはよろしいのでは?と。
あ、でも彼女に Swamp Boogie Queen ってイメージを期待するとかなり「?」でございます。
ダンピングの利いたステディなベースは Gus Thornton。
手数を抑えてタイトに締め上げる(?)ドラムは Gerald Warren。
録音はシカゴの Streeterville Studios です。

Kathryn Jewel Thorne は 1936年 1月11日( alt.1939年 1月9日 )Texas 州の Houston で生まれています。まだ幼いうちから、ラグタイムのピアニストから the Sanctified Church of God in Christ の牧師になったのを機にゴスペルに転向した父の Cyrus からピアノを学び、音楽的な基盤を、スピリチュアルズやクラシックを手がけていた母の Myrtle から教わっているようです。
信心深い両親は彼女にゴスペルとクラシック以外の演奏を禁じ、ピアノの鍵を管理して、気ままに弾いたり出来ないよう、見張っていたとか。

しかし、それでも彼女はブルースやロック、R&B を深夜、ベッド・カヴァーの下に隠しておいた古い Philco のラジオで聴き続け、機会あるごとに「俗世の」音楽に親しんでいったのでございます。え?当時は真空管式のデッカいラジオで、んなとこに隠せるワケない?いえいえ、1940年には RCA から電池の電圧でも駆動できる MT管が登場し、真空管ながら「ポータブル・ラジオ」が登場していたのでございますよん。

まだティーンエイジャーだった彼女は両親が California に向かったのを機に South Louisiana に移り、演奏する音楽を制限するよなおカタい人種じゃない親類のもとで暮らし始めます。で、効果テキメン(?)弱冠13才にして Dallas から New Orleans に至る、いわゆる "crawfish circuit" をジャズ・バンドとともに廻るプロのミュージシャンとなり、15才にして、ピアニストの Earl Webster と結婚し、すでに、そのあたり一帯で最も「お呼び」のかかるスタジオ・ミュージシャンになっていたのでございますよん。
お馴染み、Excello Records の Jay Miller と、Goldband Records の Eddie Shuler のふたりは特に積極的に登用し、1950年代と 1960年代を通して、Lonnie Brooks、Slim Harpo、Lazy Lester、Lightnin' Slim、そして Clifton Chenier なども含む、実に莫大な(500を超える?)数のセッションに参加しています。

1964年には、あの Otis Redding の Louisiana 州 Lake Charles でのセッションにも彼女のバンド the Uptighters とともに参加し、そのままツアーへの同行も依頼されて一緒にツアーを行いました。
Otis Redding の Live At The Whiskey A-Go-Go アルバムにその時のツアーが収録されています。1967年の Otis Redding のツアーには、彼女が妊娠していたために参加しなかったのですが、もし参加していたら、おそらく Redding とともに死んでしまってたかもしれません。

Otis Redding の死によって、彼女の受けた打撃は大きかったようで、1980年代の初頭にヨーロッパ・ツアーで活路を見出すまで、Goldband での吹き込みは続けていたものの「低迷」が続きます。結局、彼女の存在を積極的に認知したヨーロッパには 30回以上もツアーに訪れることになりました。そのようにして立ち直った1980年代には、地元アメリカの聴衆の前でも数々のギグや Chicago Blues Festival、The New Orleans Jazz and Heritage Festival、The Boulder Blues Festival、The Newport Folk Festival に The San Francisco Blues Festival を含む各フェスティヴァルへの出演を通してそのプレゼンスを高めて行きました。

1988年には Alligator Records から The Swamp Boogie Queen ALLIGATOR ALCD 4766 をリリース。このアルバムには、昨日の Sippie Wallace に続きボニー・レイットが再び登場しております。あ、でも、この Pussycat Moan はその翌年、Alligator からリリースされた Two Fisted Mama! の方に収録されてるんですけどね。

その1989年には、初めて David Sanborn による NBC テレビの番組に出演。
1992年には、Koko Taylor、Lonnie Brooks、Elvin Bishop、そして Lil' Ed and the Blues Imperials とともに、Alligator の 20周年を記念して組まれた Alligator 契約ミュージシャンによる国内を巡るツアーに参加しています。

しかし、1993年のギリシャ・ツアー中に発作を起こし(卒中?)、彼女は左手の機能と殆どの視野を失ってしまいました。それでも彼女は前向きな姿勢を失わず、その後もフェスティヴァルを選んで出演し、その最後のライヴまで Swamp Boogie Queen の名に恥じないドライヴするブーギウーギを聴かせてくれたそうです。

この実に多彩なプレイを見せた Swamp Boogie Queen は、1999年9月9日( 9 ばっかしやね)に息をひきとりました。



o.j が某 FM ステーションで、アンケートで決めた上位 100人のギタリストってのをやってたの聴いたらしいんですが、さて、トップ3は誰?なんてクイズにしてた(って放送聴いてた人は知ってるからダメなんだけど)んですが、面白半分におちゃらけ出して、おし、それじゃワシはその 100人に入ってないギタリストにしよ、なんて、どんどん主旨をイツダツし始めたんですよん。
どーせトップとなりゃあ大体キマってるでしょ?それより、みんなが「ワタシならこの三人」ってコアな名前を連発しだしたとっから、一挙に楽しくなってまいりました。
え?ワタシ?その話題は某板のものですから、ここじゃ言わないよ〜ん。

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