Junco Partner

Professor Longhair


03-08-31
もう、このピアノが聞こえてきただけで、骨盤が定位置からさまよい出はじめちゃいますねえ。
いったい、このリズムはどーゆー構造になっておるのか?あるいは、このようなリズムが生まれるに至った歴史的流れとは?なんぞといったものはワタシにゃあとても云々できまへん。
それに、こればっかりは、このノリだけは「コトバで言う」より、まず聴いてもらわないとハナシにならん!のですじゃ。
まずはアマゾンで試聴されてはいかがっしょ?
Amazon.や iTunes で Rock'n' Roll Gumbo を選んでくださいませ。
この大きくグラインドするベースのリズム(つーのはイコール、教授の左手のリズムなんですが)と、ミッド・レンジを受け持つパーカッション&ハイ・エンドのハイハットがこれまた目の前でさんざめくが如くに揺れ、もうカラダが「お祭気分」になっちまうんですねえ。まさにこれが New Orleans のノリなんでございましょうか?

キーは「B♭」でございます。
ブラスも入っとらんのに、しかもピアニストが(たぶん)自分から B♭の曲をやるなんて・・・ え?そりはおめえの下手なピアノだからで、プロはどのキーでも出来る?にゃはは、そうかもしれませんねえ。が!それにしてもホンモノのピアニストのみなさま、そこらいかがなんざましょ?
あのベース・パターンを左手で弾きながら、右じゃコロコロと走り廻るワケですが、フダン、管入りでやるコトが多かったら「B♭」なんて「どうっつーコト無いよ」になるものなんでしょか?
ま、ワタシなんざ、なるべく黒鍵を使わないで済むキーが好きなんですが、そこらシロートの「悲しさ」つーものでげしょう。

イントロこそフツーでございますが、この曲のコード進行は基本的な 12小節ではございません。
トニック 4小節の後、サブ・ドミナントに行って、またトニックに帰って来るとこまではいっしょなんですが、次、ドミナントにいって 2小節(つまりサブドミナントに落ちない)、トニックで 2小節、そしても一回ドミナントにいって 2小節、トニックに戻って 2小節目はブレーク!っちゅー構成になっておりますよん。

この Junco Partner って曲は James Wayne っちゅーひとが1951年に Sittin' In With に吹き込んだナンバーで、ドクター・ジョンにもまったく同名の曲がありますが、ワタクシ所有の(教授の方の)アナログ・ディスクにライナーを書いてる N 氏は「ドクター・ジョンの『ガンボ』にもとりあげられているので聞き比べてみるとおもしろい」なんぞとおっしゃっておられますが、おいおい、バカ言っちゃいけないよ!エラそうにそんなこと言う前にオマエが聴き比べろ!ホントに自分じゃ聴きくらべてねえだろう!
だって「ちゃう」曲なんだもの。たしかに、Oh, Down the Road っちゅー歌いだしは一緒ですが、驚いたコトにコード進行が「まったく」ちゃいます。ワタクシのジョーシキでは、コード進行が違ってたら、そりゃもうカンゼンに「別な曲」でございますよん。
たしかに両方とも、クレジットにはこの曲をフィールド・ワークで発掘して「ちゃっかり自分の名前で著作登録しちゃったらしー(濡れ衣だったらゴメン!)Bob Shad の名がクレジットされてますが、自分で楽器やるヒトなら、このふたつを「同じ」曲だ、なんてゼッタイ言いませんよね。
タブン N 氏は、タイトルやクレジットを読んだだけで「同じ曲に違いない」と判断したか、(もっと情け無いけど)聴いても、「うわ〜、かなり感じ違うなあ」くらいにしか思わなかったのかもしれません。そー思ってみると「聞きくらべてみるとおもしろい」ってえ言いまわしが実にアイマイな「逃げ」のせりふだ、っちゅうのに気が付きますねえ。でも、出来れば「おもしろいかもしれません」ってほーが、あたしゃあまだやってませんが、ってえニュアンスがあってさらにいいと思いますがね。ま、ヘンに断定してないだけマシ、っちゃあマシなんですが。

とゆーワケで、ドクター・ジョンの Junco Partner は教授のテイクではなく、ひょっとしてボブ・シャッドが採集したオリジナルに準拠してるんじゃないか?ってえ気がいたしておりますが、ワタクシ、そのオリジナルをいまだ耳にしたコトがございませぬゆえ、「だったりしち」と言うにとどめるといたしましょ。

あ、そうそう、こんな機会でも無いと James Wayne が出てくるコトもメッタに無いと思うんで、ちと掘り下げときましょか?
James "Wee Willie" Wayne についての資料はあまり手元に無いんで生没年、出身地、どこで育って、どーしてミュージシャンになったのか、なんてその他の情報も今のとこまったく不明でございます。
判ってるのは、Stan Lewis(こりゃもう、たぶんみなさまもご存知のコトとは思いますが、新聞販売でタメこんだおカネを元手に 1948年の 6月22日にレコード・ショップを開き、Shreveport の KWKH、Little Rock の KAAY の両局の番組のスポンサーとなり、その放送を通してレコードの通販を開始し、Leonard & Phil Chess、the Bihari Brothers、Sam Phillips と彼の兄弟などとの交流を通してレコード・ビジネスに関わり、1963年に始めたのが Jewel Records なんですよん)によって見出されたってえこと。
シンガーであり、かつドラマーだったようですが、1951年 3月に Houston で Bob Shad が Morty Shad とともに New York City で 1948年に創立したサザン・ブルース指向に特化した Sittin' In With レーベルのために、この Junco Partner と Tend To Your Business を吹き込み、かなりなヒットとなっています。この時の名義は James Wayne( alt.James Waynes )。
ディスコグラフィーによれば Tend To Your Business は Love Me とのカップリングで Sittin' In With #588。そして Junco Partner は Which Woman Do I Love とのカップリングで Sittin' In With #607 としてリリースされましたが、当初は Which Woman Do I Love が A サイドだったみたいですよ。
他にも Please Baby Please と I'm Going To Tell Your Mother SIW #622、Money Blues と Bullcorn SIW #639もあります。

続いて彼は Imperial に1951年から1952年にかけて New Orleans で Lee Allen のスタジオ・バンドをバックに吹き込んでいますが、その中には When Night Falls や Two Faced Woman が含まれ、その際の名義は Wee Willie Wayne です。
1954年に Aladdin のために Los Angeles で吹き込んだ Crying In Vain に続き、これも Imperial に1955年に吹き込んだ Travelin' Mood はニューオーリンズ一帯で非常にポピュラーなナンバーとなりました。彼はそのままローカルなサーキットで活動を続け、1961年には Imperial がまとめようとしてた彼のアルバム用に Tend To Your Business を再吹き込みもしています。
しかし 1960年代の終りころには彼は音楽業界を離れてしまったみたい。一部では「ココロの病」で入院生活を送っているらしい、という話もありましたが、そのヘンは未確認です。

とゆーワケで、今回は Professor Longhair よりも、曲の Junco Partner がらみで道草喰い過ぎちゃいましたねえ。でも、ショージキ、脱線&逸脱こそが「BLUES 日記」でございますんで、どうかお赦しを!



HARO F1


早めの夕食を済ませて、二階の窓を閉めに上がっていったら、西の空に浮かぶ雲が「茜色」に染まり、豪華な色彩を見せています。

まだ外は明るいし、例の HARO F-1ってえ前後20インチ、超前傾姿勢になるファニーバイク(左画像)で夕焼けを追うおサンポに出ましょ。

大学病院の先で下町に向かって、岩木川の河岸段丘の上から降りてゆく橋まで行ったら、太陽はもう「白神山地から岩木山へとつながる」稜線の下でしたが、上空の雲は紅の帯となって輝き、その下に広がる家々を優しく染めています。
これも、高い建物が少ない弘前ならではの楽しみかもしれませんね。
permalink No.497

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