Tipitina / Professor Longhair

03-09-01
華麗な右手でまず耳を惹きつけ、いつもの「いささか、すっ頓狂」なヴォーカルと、重層するリズムで Tipitina が始まります。
New Orleans Fair Groundsに1976年 4月11日に居合せた聴衆は、紹介する M.C.を押しのけるように斬り込んでくる Professor Longhairの「あの」ピアノのノートが聞こえて来た瞬間に沸騰いたしました。
もう、この世界は「お祭」そのものでございますね。
この曲に限らず、彼の曲を聴いた後は、街を歩いていても、ココロの中で、彼のナンバーがズっと鳴りっぱなしになって、そのせいか歩き方がいつもとちゃうらしいんですよ。
つい昨日も街を歩いてたら、後から知人に声を掛けられて、「なんか、いいコトあった?」と言われました。「なんだかスッゲえ楽しそうに歩いてるよ」だそうでございます。
ははあ、昨日っから教授の曲をヒマさえあれば聴いてましたからねん、ズ〜っとアタマの中で鳴り続けているんですよ。そうすっと、歩いてるときのフォームが微妙に変化して、例えば骨盤の地上からの高さが歩くにつれ、横からその軌跡を見ると、通常は軽い山型の連続なんですが、アタマの中で Professor Longhair が鳴り響いていると、そのひとつひとつの山の頂上に軽い窪みが現れる感じ(使用者の感想です、この効果はどなたにも現れることを保証するものではありません)なんですねえ。
う〜ん、もしかすっとそこらが New Orleans のリズムの真髄かもしれんな、なんて思いそになりますが、ま、あたしゃあ現地に行ったコトも無いので、大口たたくのはヤメときましょ。
おんなじ New Orleans と言っても、このリズムとミーターズじゃあ、ビミョーに(主に「ファンク度」か?)ちゃうよな気がするし、ダーティ・ダズンのマーチング系のクラッキーなんともまた違ってて、それゼ〜ンブひっくるめてヒトコトでくくっちゃうのも、ベンリでいーかもしんないけど、B級グルメ(?)たるワタクシとしては、もう少しその味わいの違いを楽しんでみたいところでございます。

Professor Longhair こと Henry Roeland Byrd は、1918年の12月19日、Louisiana 州の Bogalusa で生まれています。
しかし、彼がまだ生後 2ヶ月くらいの時、一家は New Orleans へと南下いたしました。
やがて両親が離婚したことにより、彼はかなり苦しい生活を強いられたようで、路上でのダンス・パフォーマンスでもらうチップで暮らしていた時期もあったようです。
また、その時期、ボクシング(リング・ネーム?は "Whirlwind"。135 pounds だった)まがいの賭け試合で年長の相手から手ひどく殴られたこともあったといいますから、カネになりそなこたぁナンでもやったんでしょね。
あ、そのときの相手には金属パイプ持って「闇討ち」をかけてキチンと仕返しした、っていいますから、なかなかどうして、かなりな「ワル」だったのかもしれませんぞ。それ以来賭け試合からは足を洗ったそうですが、どーも、「こんなコトをしてちゃイカン!」なんてごリッパなアレじゃなく、仕返しした相手とまたモメるとマズい、ってんで行かなくなったんじゃねえか?なんて邪推したくなっちゃいますけど。

ピアノの前にギターを弾いていたとも言いますが(ピアノは母から初歩的なとこを教わったんだとか)、彼は Rampart Street あたりのクラブやらタヴァーンに出演する Robert Bertrand( Goldband recording artist: Lake Charles のケイジャン・ミュージシャンで Iry LeJeune のバンドではドラムを叩き、他にフィドル奏者でもありますが、ピアノも弾くの?Joel Sonnier がヴォーカルとアコーディオンで在籍し、Chuck Berry の Memphis をケイジャン・ヴァージョンで J.D.Miller の Fais Do Do label に録音もしてた the Louisiana Ramblers と the Lake Charles Playboys のバンド・リーダー。またアコーディオン奏者の Nathan Abshire との録音ではヴォーカルとして参加しています。1975年に死去)や Sullivan Rock に "Tuts" Washington、そして Kid Stormy Weather と言ったピアニストたちの演奏から多くのものを吸収したようです。
Sullivan Rock に Kid Stormy Weather あたりは、ちょっと手元に資料が無く詳しいことは判りませんが、一部の記載を信じれば「バレルハウス系のピアニストだった」そーでございます。
Isidore "Tuts" Washington はニューオーリンズ・ピアノの「最も偉大なる"教授"」であり、その受講生には Professor Longhair、Allen Toussaint と James Booker が含まれる、と。いわば「元祖」 Professor なワケですね。もっとも、我らが Professor Longhair のピアノは、それらのピアニストやミュージシャン、さらには Jelly Roll Morton による影響や、Pine Top Smith、Albert Ammons、Meade Lux Lewis など、北方の音楽シーンからのムーヴメントなどの影響、さらにはフランス系文化の名残りやら西インド諸島との交流、中南米のスペイン文化圏のエキゾチックな香りまでが玄妙な配合のもとに芳醇に醗酵したよなもんですから、やれ、誰の影響だ、とか騒がれるのは本人が生きていたら「片腹イタイ」と笑うかもしれませんがね。
ま、確かにブンセキしてるヒマがあったら、Professor Longhair 聴きながら、手近な「叩けるモノ」探して、パーカッショニスト気分で演奏に参加(?)いたしましょう。そしてるウチにほら、あなたの中にもこのリズムが染み込んで、ワタシみたく、街で声かけられるよになるかも?「おや、ゴキゲンだねえ、ナンかいいコトあった?」って。
それとカンケーあるかどうかは「?」だけど、彼ってダンスもベンキョーしてたみたいで( Bill "Bojangles" Robinson ってヒトの影響みたい)、Champion Jack Dupree など、多くのミュージシャンの演奏の間近で踊ってたそうです。その Champion Jack Dupree のススメでピアノと歌に戻り、そこでダンスで身につけたリズムをピアノに応用した、ってえ解説もあります。そしてブーギウーギの基礎みたいなとこは前述の Sullivan Rock から、"Tuts" Washington からはスジ金入りのブルースを受け継いだ、と。
ところで、Jelly Roll Morton と彼の違いは、そのまま New Orleans にとどまり、そこで「プロの」ギャンブラーとして「いい金」を稼ぎ続けた、ってとこだ!と主張してる Biography もあって面白いですよ。カードの扱いにかけちゃあプロだったそーでげす。その指先の器用さが「あの右手コロコロ」の華麗なフレーズに結びついた・・・ワケは無いか?

1940年代を通して彼はバンドの形で演奏を続け、1947年には Caldonia Inn 出演中にそのニック・ネームを頂戴してます。クラブの経営者がそのグループを Professor Longhair and the Four Hairs Combo と名付けたもんで。え?そんな情報要らん?にゃはは。
1940年代末期から1950年代初頭にかけて、She Ain't Got No Hair( Star Talent-809 /1949: Professor Longhair & His Shuffling Hungarians 名義)と Bye Bye Baby、Mardi Gras In New Orleans、Professor Longhair's Boogie と、計 4曲(?)を Star Talent レーベルに録音。
Hadacol Bounce( alt."Oh Well"; Mercury-8154/1949 )、Bald Head( Mercury-8175/1949 )、Her Mind Is Gone( Mercury-8184/1949 )や Hey Now Baby、これらの Mercuryへの吹き込みでは Roy Byrd & His Blues Jumpers の名前が使われています。
1949年から1950年のアタマにかけて Hey Now Baby( Atlantic SD 7225 )、Mardi Gras In New Orleans( Atlantic-897, SD 7225 )、Walk Your Blues Away( Atlantic 906 )、Hey Little Girl( Atlantic-947 )、She Walks Right In、Willie Mae、Professor Longhair Blues、Boogie Woogie( Atlantic SD 7225 )、Longhair's Blues-Rhumba などを Atlantic に Roy "Bald Head" Byrd(or Roland Byrd/Professor Longhair ) & His Blues Scholars 名義で録音(ついでながら、New York に本拠をおく Ahmet Ertegun の Atlantic Records にとって、初の南部、New Orleans での録音がこれらしい)。
続いては1951年、Federal に Roy Byrd 名義で K.C. Blues( Federal 12061 )、Curly Haired Baby、Rockin' With Fes( Federal 12073 )、Gone So Long( King LP 875 )。
さらに 1952(?)年、Wasco に East Saint Louis Baby( Wasco 201 )とBoyd's Bounce を Robert Boyd 名義で。
1953年11月にはふたたび Atlantic に In The Night( Atlantic-1020, SD 7225 )、Tipitina、Tipitina ( alternate take; Atlantic SD 7225 )、Ball The Wall、Who's Been Fooling You を Professor Longhair & His Blues Scholars 名義で録音しています。
1957年には Ebb に Cry Pretty Baby( Ebb 101 )、No Buts, No Maybes、Misery( Ebb 106 )、Look What You're Doing To Me、Looka No Hair( Ebb 121 )、Baby Let Me Hold Your Hand を Professor Longhair 名義で録音。
1958年には Ron に Cuttin' Out( Ron 326 )、If I Only Knew、Go To The Mardi Gras( Ron 329 )、Everyday, Everynight を、これまた Professor Longhair 名義で録音。
・・・とやってるとキリが無いっすね。この後も Rip や Watch に 4曲づつくらいは入れてくんですが、マーケットにあまり流通することも無かったようで、Mike Leadbitter が1970年に発見した時には South Rampart Street のレコード屋で掃除してたそうです。
そこから1972年に Atlantic のリイッシューが発売され、あちこちのフェスティヴァルにも出演し、New Orleansの代表的なミュージシャンとして認知されたのでございます。

彼は1980年の 1月30日に亡くなりましたが、その彼の葬儀は New Orleans の街がしばらく忘れていたような盛大なものだったそうです。
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