Soul Fixin' Man

Luther Allison


03-09-09
まるで Tore Down を思わせるよーなリフに乗せて、ライトでクリッキィなリズムの上で Luther Allison の Gibson ES-345TD サンバースト、ストップ・テイルピースが伸びやかにうたい始めます。このアルバムがアメリカでは Alligator から発売された時にはこの曲がタイトル・チューンになっています(ワタシのはドイツ RUF原盤で日本のキングから出た KCIP 427 )。


あの靴磨きをしてたコロに戻るぜ
靴磨きたちがズラーっとならんだあの一角に
ず〜っと路上にいて
昼も夜も
親父の怒鳴り声と
お袋の泣き声

あの靴磨きをしてたコロに戻るぜ
あんたの靴を磨いてる間ブルースを歌うのさ
オレは Soul Fixin' Man


さて、この Soul Fixin' Man をどー訳せばいいんだろ?魂を修理する?魂を買収する?決心させる?
ワシにゃあ決めかねるだす。皆の衆、それぞれにウマくやってちょ。(ムセキニンな・・・)
どっちにしても、曲調はともかくポジティヴ。サイド・ギター(は、右隅でヒョコタンなリフを刻む)James Solberg、左隅にいるのはピアノの Earnest Williamson、典型的なブーギ・スタイルをベースにときに鍵盤上を転がります。ただし、中央よりに入るオルガンはたぶん同一奏者による多重録音か?ステディなベースは Dave Smith、手数を抑えたいさぎよいドラムは James Robinson。曲そのものは Luther Allison と James Solberg の共作です。

Luther Allison は1939年 8月17日に15人の子供たちの14人目として Arkansas 州の Widener( alt. Mayflower )で生まれています。ラジオから流れて来る「the Grand Ole Opry」と B.B.を聴いて育っているようですが、教会でオルガンを弾き、歌っていました。そして彼が11才の時に家族ぐるみで Chicago に出て来ています。彼の兄弟のうち 5人が The Southern Travelers というゴスペル・グループを結成し、別な兄弟は Freddie King のバンドのメンバーだったそうです。彼の母は熱心なクリスチャンで、時として自宅でも歌い始め、それが一家を挙げてのジャム・セッションになったりもしていたそうですが、彼だけはあまり熱心じゃなく(つーか、当時の彼はプロのバスケット・ボールの選手になりたかったらしい)、シラケてた(?)よーですが、マディの息子とトモダチになって、リハを目にしたり、家に訪ねてったりしてるうち、ウルフや Magic Sam、Buddy Guy、Freddie King あたりを目にするうち、「ぼかぁ、ミュージシャンはヤだ!」っちゅう彼の決心(?)も揺らいできたようで、兄の Ollie から真剣に学ぶよーになったのでございます。
1957年には、学校をドロップ・アウトし(つまり、プロのバスケット・ボール選手もアキラメたワケやね)クラブに出入り出来る年齢には達していなかったため、別な兄の Grant と一緒に The Four Jivers というバンドを作っています(バンドとしてならスンナリ入れますからね。あ、サイショ Rolling Stones って名前つけたんだってホントかどうか「?」だけど)。このころには、彼の才能は徐々友人たちの間でも知られるようになっていたのでしょう。
1959年に Freddie King が全国ツアーのために自分のバンドをシカゴに残してっちゃった時に、Luther Allison はそのバンドを引き受け、その指導によって(?)そのバンドはシカゴのウェスト・サイドでも有数の「ホットな」バンドに大ヘンシ〜ン!

でも特筆すべきは、やはり1969年の Ann Arbor Blues Festival 出演でしょう。ここで彼はミゴトに花開き、結果、このフェスティヴァルには、そ後 2回も出演しています。その 2回目のほう、1972 Ann Arbor Blues & Jazz Festival での Please Send Me Someone To Love は、例によってワタクシの Favorite Songs にリスト・アップされておるのでございますよ。
これによって彼のファンも増えて、国内ツアーも行えるようになりました。
彼のライヴは調子がいい時は4時間にも及ぶ白熱したものになったりする一方、ダメなときはそりゃもう目も当てられないほどだったそうで、その気分屋的なところはレコードにも現れている、と言う批評家もいるくらいです。
1972年には Motown Records と契約。当時の彼はモータウン唯一のブルース・ミュージシャンです。あ、でも製作は子会社の Gordy label で、 Motown Records のディストリビューションだったっけ?そして国内ばかりか海外にもツアーを組むようになりましたが、彼のレコードはむしろフランスとドイツでのほうが良く売れた、と言えるかもしれません。
アメリカ国内では、70年代に入って、ブルース・ミュージックが退潮期を迎えていたせいもあってレーベルを変えてみたりもしたのですが次第にセールスは不振となり、ついに Luther Allison は '80年代に入るとパリに居を移し、いまだ一定の動員も売上も見込めるヨーロッパを基盤とする活動に入ったのでした。ヨーロッパでは、Paris Album、Ramble、Encore、Entente、TIS、そしてこの曲を収録するドイツの RUF(ただし録音は Memphis )などからリリース。
1987年に Blind Pig Records から出したアルバム Serious は高い評価を得ています。1996年にはアメリカに帰り、W.C. Handy Awards の Entertainer、Male Blues Artist、Blues Guitarist of the year を含む 5部門で授賞しました。

しかし、彼はもはや手がつけられないほどに進行していた肺癌のために倒れ、予定されていたワールド・ツアーもキャンセルし、1997年 8月12日に死亡しています。
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