Please Send
Me Someone
To Love

Percy Mayfield


03-09-10
こりゃもう、カンゼンにジャズだよねー、っちゅう Edward Truman のモーダルなピアノに乗せて、ジャズ・シンガーにしちゃ、ちょっとテクスチュアのあるヴォーカルが切々と歌い上げていきます。


どうか、すべての人々に理解する力と心の平和をお恵みください
しかしそれが過ぎた望みで無いとしたら
この私にも愛する相手をお恵みください

どうすれば世界中が仲良く出来るのか、をお示しください
憎しみが去り、平和が訪れる様を
夜、横たわったまま寝つかれずこの世界を覆う争いについて考え
いつも同じ答えに辿りつく
人類がこの戦慄すべき罪悪と縁を切らない限り
この世界は憎しみの炎に包まれてしまうのだ、と
なんと恥ずべきことか

これが私の哀しみの理由だ
憐れみは要らない
過ぎた望みで無いとしたら
この私にも愛する相手をお恵みください


ただ単にタイトルの Please Send Me Someone To Love だけを見ると、「愛に飢えた」オトコの歌、と思えちゃうんですが、この歌詞を見る限り、そこにあるのは、せっかく第二次世界大戦が終結して平和が訪れた、と思ったのも束の間、1950年の 6月25日に勃発した「朝鮮戦争」によって、世界が再び戦火に包まれることへの絶望、哀しみ、人間の愚かさに対する怒りなどではないでしょうか?(この曲の吹き込みは、1950年の 8月16日)このタイトルは、こんな世界にしてしまう人たちをとても愛せやしない。という意味ではないか?と考えています。私が愛せるのは冷静にお互いを理解し、平和を希求する人なのだ。そんな愛することが出来る人をお与えください、と。

ときあたかもニューヨークの世界貿易センターの悲劇の「あの日付」の直前。我々は「あれを仕掛けた側の事情」を少しは「理解」出来たのでしょうか?なんちて、カタい話になっちゃいましたね。

ワタクシがこの曲にサイショに出会ったのは「あの」1972 Ann Arbor Blues & Jazz Festival での Luther Allison のヴァージョンで、でした。・・・と言いたいところですが、実はちゃうのよねん。ジャズ・ピアニストの Phineas Newborn Jr. のアルバム Please Send Me Someone To Love( with Ray Brown & Elvin Jones もちろん歌ナシねん。1969年2月12・13日、L.A.で CONTEMPORARY のために録音。ヴィクター VICJ-60787 )で、だったのでございます。ただ、その当時は「美しい曲だなあ」程度の印象しか無かったのですが、たぶん1976年ころにダディ正井の紹介で Ann Arbor を聴き、感銘を受けた何曲かの中に Luther Allison のキョーレツなヴァージョンがあったのですじゃ。
ただ彼のヴォーカルはすぐ終って、サックスのソロがメインみたくなっちゃうんで後半はこの曲ナニ?状態になっちゃうんですよ。サビとこも歌ってないし。で、このままではイカン!サビがどーなってるのか確かめねば!って辿り着いたのが、このオリジナル、Percy Mayfield だったのでございます。

彼が生まれたのは、1920年の 8月12日、Louisiana 州の Minden です。ダンサーの父と歌手の母のもとで、彼自身、音楽の才能を伸ばしていったのではないでしょうか。1930年代の中頃には Texas 州の Houston に移り、1940年代の末( alt. 1942 )には西海岸に移ります。まず最初はソングライターとして世に出ているようですが、どうせなら自分で歌ってみたら?とススメられた、というハナシもあります。それが(たぶん)1940年代の晩期で、1950年には Specialty に吹き込んだ Please Send Me Someone To Love が R&B チャートの 1位に登りつめ、およそ10万枚に達するセールスを記録する大ヒットとなりました。この曲は数多くのアーティストにカヴァーされる名曲として(ワタシまでやってるくらいっすから)愛されています。
それ以後 Lost Love( 1951 )、Big Question( 1952 )と連続するヒットによって、ステイタスを築き上げていったのですが、車の事故によって、彼のソロ・パフォーマンスはそこで断たれてしまったのでした。

1960年代には Ray Charles に提供した Hit The Road Jack( no.1 of R&B chart '61 )が彼のソングライターとしてのプレゼンスを世に知らしめ、Ray Charles はその後も彼の作った曲を採り上げています。
Percy Mayfield は、CHESS や Imperial を経て、その Ray Charles のレーベル Tangerine にも一時( '62〜67 )在籍していますが、その後も RCA、Atlantic、TRC、Timeless、Winner と移籍していきました。

そして1984年の 8月11日、心臓の発作で死亡し、その 5年後、Johnny Adams は全編を彼の作品で構成したトリビュート・アルバム『Walking On A Tightrope』を発表しています。



★ある国が『純粋性』を語り始めた時、その国の進歩は終る。
─これはスペインの作家、 Juan Goytisolo が、某新聞のインタビューで、9.11以降2年間のアメ
リカを総括する中で語った言葉です。
この場合、『純粋性』を語っているのはブッシュ政権であり、語らせているのは「いわゆる」ネオコン、という図式が一般的でしょう。では、少数のネオコンがなぜイニシャティヴを取ることが出来るのか?その背景には、およそ、アメリカ国民の総人口の実に15%ほどが「軍需関連産業」に従事していること、しかも、そこから生まれる「富」のおよそ 85%ほどを、そのまた中の僅か 15%ほどの「資本家」が独占している、という(この数値は数年前のもので、現在は「多少の」違いはあるかもしれませんが)パワー配分によっているところが大きいのかもしれません。豊富な資金力を背景に、情報を操作し、対立する「声」から発言する機会を奪ってゆく。
これに石油メジャーも相乗りすれば、「大勢」は決まってしまう、ってワケですね。

また Juan Goytisolo は、「人間同士なら敵とでも妥協や交渉が可能だが、理念を掲げる限り合意に達することは永遠にない」とも言っています。
ナゼか「理念」のためなら他人を殺せるよーになってしまうんですよね。いわゆるイデオロギーとか宗教ってヤツが、どれだけの大量殺戮をこれまで「正当化」してきたことか・・・
ごリッパなコトを言うのは割りとカンタンです。どっちもね。でも、その言ってるコトが気に喰わないからって、コロしちゃえ、ってのは「言ってるコト」が全人格より「上位」にある、ってゆう実に「おマヌケな」誤解によるものです。
言葉なんかで言い表せない部分こそが、その人間の根幹を成してるんじゃないの?

★かつさんに女の子が生まれました!安産だったそうで、ホントに良かったです。きっとかつさんの家庭だったら、音楽に溢れた環境でしょうから、その中で育って行く将来が楽しみですよね。小ファッツ君とブルース・バンドを・・・ってのはいくらなんでも気が早すぎかな。
このふたりが成長したころには、平和で戦争もテロも公害も無い社会になっていて欲しいものです。目の前の選択肢の中から、それにつながるルートを見出す努力を今、しておかないとね。
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