Lost Lover Blues

Fernest Arceneaux & Thunders


03-09-18
The Legendary Jay Miller Sessions なんてタイトルを目にしただけでココロ踊るものがありますねえ。
エゲレスはイースト・サセックスに拠を置く Flyright からリリースされたアナログ時代の一枚が手元にあります。その Bサイドに 4曲収録されている Fernest & The Thunders の 2曲目がこの耳触りの良いスロー・ブルース、Lost Lover Blues なのです。
他にはもろ「おフランス系」のダンス・チューンも入っておりますが、これはバックに通奏和音のごとくアコーディオンが鳴り続けている以外は(あ、スプーンもあったか?)フツーのギターを前面に出したブルースとあまり変わりません。
もっとエグい(と言っても、このひとのザディコはあましエグくないんですが)のを採り上げてもいいんですが、むしろこのひとのバヤイ、こんなブルースの辺縁系(?)の録音のほーがむしろエスニックっぽい香りが立つよな気がするんですよ。
ちょーど「焼きソバ」にカレー風味をつけると、ほんのちょっとでも「あ、これ、カレー入れたでしょ?」って判るよーな・・・ ってタトエは根本的にマチガってるよな気もするけど、まっ、その〜「ど」エスニックじゃなく、「風味」ってえ軽さがいいのかな?

Bruce Bastin( Red River Blues the University of Illinois Press, ISBN 0-252-06521-2 の著者)によるライナーによれば、1934年の 4月から 8月にかけて行われた、John & Ruby Lomax による Library of Congress のための 2回目のレコーディング・ツアーの終り近く、Louisiana 州 Jennings で、Austin Coleman と Joe Washington Brown と思われる二人が無伴奏で歌う曲を収録しているのですが、その時に録音された Les Haricots Sont Pas Sales が、録音されたものとしては最も古い「Zydeco」とされています。そして、それは冒頭の二語「Les Haricots 」が訛ったものである、と。
でも江戸川スリムさんによれば、アメリカ人でも、その地域で育ち、コトバの由来から知っている一部のミュージシャンやらカンケーシャを除いては、「Zydeco」という字面からフツーにもたらされる「ザィディコ」という発音をしちゃうヒトが多いよで、それが「だってアメリカ人がザィディコ って言ってたよ」っちゅーワケで誤解につながってるんじゃないでしょか?
アメリカ人が日本からの留学生に、「これ、なんて読むんだ?」訊いたら、そのニホンジンが知ってたらヒロサキと読む、って教えるでしょが、それまでに読み上げたのを聞いたことなければ普通に「これはヒロマエでしょう」と教えちゃうと思うんだよね。
そう教えられたアメリカ人は「いや、それはヒロサキじゃない。オレはニホンジンに訊いたけどヒロマエだと言ってたぞ!」・・・
アメリカ人がジャズ・ギラムと言った。ザイディコと言った、みんなその手のヤツでございます。

Fernest & The Thunders
Fernest Arceneaux は1940年 8月27日、Louisiana 州 Lafayette で生まれています。彼は、古いフランス系ルイジアナ・スタイルで演奏していた彼の父親からアコーディオンを学びました。そうして育まれた彼のスタイルは、たとえば Clifton Chenier などに代表される主流からすると、よりリラックスし、イージィな方向に向かっていた、と言えるかもしれません。
1970年代に、彼はジェイ・ミラーの Blues Unlimited のレーベルのために、彼のバンド Fernest And The Thunders で、最初のレコーディングを行っています。このレーベルに登場したことによって、彼の名は広く知られるようになり、ツアーを組むようになって、さらに幾つかのレコードを作ると同様にアメリカ国外でも知られる存在へと成長して行きました。
彼のサウンドは歯切れが良く、イキのいいアコーデイオンを中心に、トラディショナルなフランス文化に基づくダンス・チューンから、ストレートなブルース、そしてニューオーリンズ系の R&B にまでいたる幅広いレパートリーを持っています。

ところで Jay Miller が作ったレーベルはかなりの数にのぼります。たとえば1946年に彼がアコーディオン奏者だった Lee Sonnier を父に持つ妻の Georgia と一緒に戦時国債を元手にして月150ドルのビルを借りて発足させた、Crowley の North Parkerson Avenue 218番地の the M & S Electric Company、そして Fais Do Do Labelを設けたところから彼のレコードへの関与が始まっています。1947年には後に Slim Harpo のヒット Bad Luck を出すことになる Feature Records を、そしてそれらを全国供給するために Nashville の Excello と契約し販路を確保。
やがて Rocko や、Blues Unlimited、さらに Zynn なども作ることになります。

Crowley は Louisiana 州の Parish 郡に1887年に誕生した街で、典型的な南部の都市であり、一帯の米作農業の中心地として、また the Southern Pacific Railroad が New Orleans と San Francisco を結び、さらにハイウェイ 90 が Old Spanish Trail と呼ばれるゾーンを貫いています。
夏には耐え難いほどの湿気に悩まされ、冬は冬で南部とは思えないほど「よく冷える」(なんちて、行ったこともない土地ですから、資料を「信じて」書いてるだけなんすけど)その Crowley が、音楽産業地図上で光り輝く存在となり得たのは、ひとえに J.D.Miller という男の力によるものでしょう。

Jay Miller 自身は、子供のころはカウボーイ・ソングなど、カントリィばかりを聴いていたようで、シアーズ・ローバックの通販で 29セントで買った Gene Autry のソング・ブックを頼りに、8ドルのギターを弾いていたそうです。そんな彼が音楽と関わるようになったのは、彼の家族が Louisiana 州の Lake Charles にいた1933年、両親が申し込んだコンテスト(アイス・クリームのメーカーがスポンサーについてたそうで)に優勝し、一年間、地元のラジオ局 KPLC に毎週土曜日に 15分の時間を貰いカウボーイ・ソングを歌ったりしていたそうです。

そんな彼も Crowley に1937年に移り、ストリング・バンドなどの形態に触れ、音楽的にはかなり触発されたのではないでしょうか。やがて自分のレーベルを作ってからは Slim Harpo や、Jimmy Dotson、Lazy Lester、Silas Hogan、Henry Gray、Guitar Gable、Carol Fran、Lonesome Sundown、Jimmy C. Newman、Doug Kershaw、Rod Bernard、Wayne Toups、Al Terry、Happy Fats、Guitar Kelly などをレコーディングして行きます。
そのような Louisiana に根ざした音楽のレコーディングから生まれたのが、冒頭の The Legendary Jay Miller Sessions というものでございます。

あ、そうそう Fernest Arceneaux でした。彼自身はアコーディオンに専念しているようで、ヴォーカルには Gene Morris(時には Marcel Dugas のバンド、The Entertainers でもヴォーカルをとっています)や Bobby Price(こちらも後に Marcel Dugas のバンドにも参加)を擁し、そして Gene Morris の兄弟でドラマーでもある Jerry Morris がこの Lost Lover Blues を歌っています。ZYDECO BLUES / The Legendary Jay Miller Sessions Flyright LP 539 に収録。



偶然っちゅうのはフシギなもんで、こないだっから、サックスを採り上げたり、板でホンカーなどの話題を出してたら、それを知ってたハズはないんですが、かって「ぶぎうぎぶ」のサックス奏者、あるいはウィンド・シンセ奏者として、何度もライヴで吹いてくれてた「いしがきじま」ちゃんが遊びに来てくれるんだもんなあ。
ま、最近は林道制覇に燃えてて、ブローのほうはご無沙汰らしいのですが。

その彼女も今朝 8時ころ、今度は釣瓶落峠で県境を越える別な林道で能代に向け出発していきました。
どーやらラクショーだったようで、向こうっかわに降りたとこにある藤里の温泉でホコリを落としてから能代に到着したようです。
ま、ワタシがタイヘンだった、っちゅうのは、そりゃ HARO intenseっちゅう「デュアル・スラローム用」の、24インチ・ホイールながらもフロント・シングルのやや(やや、じゃねえ!っちゅうウワサも)重〜いマウンテン・バイクで行ってるからであって、250cc 4スト単気筒っつー「かわりにこいでくれるエンジン君」がありゃ、あの登りだってたいした峠じゃ無いのかも?
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