The Blues Don’t Bother Me

Matt Murphy


03-09-20
Matt Murphy と言えば、Blues Bros.?それとも James Cotton?どっちを思い出しますか?
どっちの彼もいいですよね。パワフルに「ガツン!」と来るギターじゃなく、5.65mm 高速ライフルの連射みたくシタタタタ・・・と畳み掛けて来る連続ワザがタマらん、ってえタイプのプレイがなかなか好きでした。

その彼が Roesh Records から出したアルバムのタイトル・チューンにもなってるのがこの曲でございます。
イントロでいきなりクセのあるフェイズ・アウト系のギターで、エルモアの Talk To Me Baby みたいなブレークがらみでスタートするファンキーなナンバーはどっかで聴いたよなリフに乗せて低空を徘徊するがごとく、独特な世界を作って行きます。
ま、いつもの、っちゅうか、イメージどおりの Matt Murphy を期待すると、ちょっとアテがハズレるかもしれませんが、そんなメッチャ張り切ってやるのだけが彼の音楽じゃないってのをタマには味わってちょーだい。

キーは E で 12小節の、いわゆる A-A"-B の様式とも言えるのですが、5小節目、フツーならサブ・ドミナントであるところの「A」に上がるとこがナゼか「C」なのでございますよ。さらに 9小節目、ドミナントである「B」には行かずに「G」が採用されておるのですねえ。つまり、E-E-E-E-C-C-E-E-G-A-E-E というコード進行でございます。そー聞くと、かなりヘンみたいでしょ?でもねえ、実際に聴いてると、あまし違和感ないんですよ、これが。

ズッシリとダンピングが利いた、ワタシ好みのベースで「這いずりまわる」のは Eric Udel。
カッチリとタイトに、しかも決してラウドではないドラムは甥の Floyd Murphy Jr.。
ハモンドとおぼしきオルガンは Pat Nigro。
左のほーでズ〜っと、S.ワンダーの「迷信」にも似たリフを弾きっぱなしのギターは、おそらく Matt 自身による多重でしょう。

彼は1929年の12月 27日、 Mississippi 州の Sunflower で生まれました。兄弟が 4人、姉妹が 2人、異母姉妹が 1人いたようですが、まったく、英語ってヤツは「不完全な」言語ですよ。兄と弟じゃあ「まったく意味が違う」だろがあ!姉なのか妹なのかハッキリしろいっ!
おそらく三・四才くらいのときに、ギターに興味を持ったようですが、「ワタシがギターを選んだんじゃない、ギターがワタシを選んだのだ」そうでございますよん。
彼の家にはギターが一本も無く、知人の家で見掛けるなり魅入られたように目が離せなくなってしまい、見かねた(?)家人が弾いてもいいよ、と言ってくれたそうです。
兄弟姉妹の中で 4人ほどはギターを「チョビっと」弾いたそうですが、彼がギターをならったのは母の死がきっかけで、Mississippi 州の Holly Spring 近くにいた母の姉妹(ほら、ここでも姉か妹か判んない!)のもとで暮らすようになったときに(その伯母 or 叔母のダンナ、Fletcher Perry もらしいけど)、知りあった(母の Sarah Richards、父の Spence Richards に Harry、Jim、Fred といった子供たちからなる) Richards 一家は全員ギターを弾いてて、中でも Fred Richards は彼にギターを教えてくれたのですが、それが七・八才のころだったそうです。ただ、Richards 一家の中でいちばんウマかったのは Jim だったらしく、その指使いは彼を魅了したようです。しかし、リズム感はイマイチだったようで、「リズム感は高校( Memphis の LaRose School と Manassas School )で学んだ」と。

「おば」はかなりな量のレコードを持っており、おかげで彼はあらゆる種類のレコードを聴いたようです。Clyde McCoy がトランペットで演奏した「Sugar Blues」や Blind Lemon Jefferson、「The Devil's Son in Law」の触れ込みで有名な Peter Wheatstraw、Blind Boy Fuller や Kokomo Arnold、ジャズでは Charlie Christian に Dorsey Brothers、そして Nat King Cole にそのギタリスト Oscar Moore。Johnny Moore はその兄弟ですがもう少しブルース寄りの演奏をしていて、その Johnny Moore が一緒に演奏していた The Three Blazers with Charles Brown。こういったレコードを聴くことで彼の音楽性は定まっていったのかもしれません。その当時は L-5 が欲しかったそうです。
ところで、なんでか彼の父は、自分もギターが弾ける、ってことをズっと隠していたみたいで、後になって初めて父がギターを弾いてみせたとき彼は心底ビックリしたみたいですよ。
どうやら、父としては彼をミュージシャン「なんか」じゃなく、もっとカタい職業につかせたかったみたいで、自分がギター弾けること教えたくなかったんでしょうね。
父はメンフィスに移ってから DuPont に長いこと勤めてましたが、ついに最後まで音楽とは縁のない生活を送ったようです。
彼が手に入れた最初のギターは「白い」キレイな Silvertone だったそうですが、ホントに弾き始めたのは Fender(モデル名は不明です)を手に入れてかららしく、Fender の時代もかなり長かったようですが、その後 Gibson にスイッチしています。そしてまた Fender へ。ケッキョク両方とも使っているようですね。
やがて父についてシカゴに行ったとき、ライヴを見ることが出来たようですが、ギタリストのコードのおさえ方に驚愕したようで、なんとかしてモノにしよう、と「George M.Smith Method」っていうコード・ブックのようなものを買ったようです。
オーギュメントにディミニッシュ、セヴン・ナインスなどもこれから学んだ、と。

1940年代に入ると、まず Tuff Green のバンドに参加、続いて Junior Parker の Blue Flames
(他に Ike Turner やドラムの L.C. Dranes も在籍)のリード・ギタリストになりました。そして Junior Parker( You're My Angel / Bad Woman Bad Whisky )と Bobby Bland のレコーディング・セッションにも参加。
1952年には Chicago に移り、そして Memphis Slim のバンドに 7年在籍しています。1963年にはヨーロッパ・ツアーに参加し、昨日の Sonny Boy "Rice Miller" Williamson のバックで Delmark に吹き込み。そして1970年代には James Cotton に参加。1977年には Boston に移り、以後お馴染みの Blues Brothers でまたまたブレーク!
そして1990年にして初めての彼のソロ・アルバム Way Dowa South を発表。この The Blues Don't Bother Me は二枚目、ということになります。

もうこのあたりのことになったら皆様のほーがご存知でしょうね。



今日は空がキレイな日でした。
夕焼けになる直前、太陽の右に雲の中で短い「虹の柱」が輝いていたのです。
幅が太陽の見掛け上の直径の2倍くらい、高さはその6倍くらいでしょか?
そして「夕焼け」。白神山地の上空が燃え上がるような茜色に染まり、街に「闇」が降りてくるほんの合間、あの夕焼けを追ってどこまでも行ってみたくなりますね。
ま、ホントにやったら日本海に落ちちゃうんですが・・・
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