Trouble In Mind

Big Walter Horton


03-09-22
これは、もうダレでも知っている、有名なナンバーですよね。この Big Walter Horton With Carey Bell Alligator 4702では、彼のハープと、彼の薫陶よろしきを得た Carey Bell のハープ、あとは Eddie Taylor のギター一本だけ、というシンプルな構成で聴かせてくれます。
キーは「A」で、A-A7-D-D7-A/F#-Bm/E-A という進行になっています。
でも、イントロはちょっと「伸縮」してるよーだし、ハープ・ソロで一部、D のかわりに Dm7 に行ってることもあるみたい。ま、そこらエディ君のこってすからどーにでもなっちゃうのかな?

Big Walter Horton、あるいは Shakey Walter Horton( alt. Big Walter "Shakey" Horton )は1917年( alt.1918 )の 4月 6日、Mississippi 州の Horn Lake で生まれています。そして彼が父からもらって、ハーモニカを吹き始めた(ホントは「吸う」ほーに「キモ」があるよな気がするから、一律「吹く」ってえ表現はちとおかしいと思うんだけど、ま、口にあてがって呼吸を利用して音をだしてる以上、そー表現するっきゃないか?)のは 5才のときで、さっそくローカルなタレント・コンテストで優勝したのです。
10代になってすぐ Arkansas に移り、さらには母に従って Memphis へと移動しています。
そこでは Handy Park(そ、Memphis に来た Eddie Taylor は「水曜日が Beale Street、そして土曜の夜は Handy Park に通い、Little Buddy Doyle などのローカルなギタリストや Joe Hill Louis、Big Walter Horton などとも出会い」っちゅーワケです)で Johnny Shines や Furry Lewis などと交流しています。最初は自己流だった彼のハープも、そこで Memphis Jug Band の Will Shade や Hammie Nixon あたりからあらためて教わっていたのではないでしょうか。
Samuel Charters によれば、Memphis Jug Band で一緒に演奏していた Horton はまだ 9才か10才だったそうです。本人は1927年に、Memphis Jug Band で録音した、と主張していますから生年を考えると符合しますね。ただ、このころには Little Buddy Doyle のバックで Okeh にも吹き込みをしてるハズ。ここでは Shakey Walter( Harp )と表記されていたようです。
1930年代を通じて彼は Robert Johnson や Honeyboy Edwards などとも共演し、さらに Little Walter や Sonny Boy II などにも影響を与えたとされてます。ただし、バッキングがメインだったようで、まだ自己名義での吹き込みはありません。
1940年代の後半に一度 Chicago に出ているのですが、間もなく Memphis に戻り、1951年には「Jimmy( De Berry ) & Walter」として Sam Philips の SUN Records に初めての吹き込み。そしてそれはそのまま MODERN Records にリースされています( Sam Phillips の SUN からは SUN 180としてリリースされています)。
彼単独では1953年で、この時の吹き込みは Mumbles という名前で行われました。その一連の吹き込みの中から、Ivory Joe Hunter の I Almost Lost My Mind を下敷きにしたインスト・ナンバー Easy がヒットします。
そのヒットによって彼はふたたび Chicago に出て、Eddie Taylor と一緒に演奏を始めました。そして Junior Wells が徴兵されたために、マディのバンドの後釜になるのですが、リハ中に呑んでるのをマディに見つかって追い出されてしまいました。
この1950年代の録音は(そんなことがあったマディのバックや、Willie Dixon や Otis Rush とのも) CHESS に残っています。
1960年代には国内外にツアーに出るようになり、1964年には CHESS 傘下の ARGO に彼自身のリーダー・アルバムを吹き込む機会にも恵まれました( The Soul Of Blues Harmonica CHESS 9268)。
彼のサイドマンとしての仕事を列挙すると、マディのバックで Blow, Wind Blow や I'm Ready 、Johnny Shines の Evening Sun 、Otis Rush の I Can't Quit You Baby のオリジナル・テイク、そして Jimmy Rogers の Walking By Myself、まだまだありまっせー!Willie Dixon でしょ、Eddie Taylor、J.B. Hutto、Floyd Jones、Johnny Young、Big Mama Thornton、もひとつオマケに JohnnyWinter のファースト・アルバムまで!
そして1970年代には Ann Arbor や Miami Blues Festival、さらに Monterey Jazz Festival に Smithsonian Festival of American Folklife といった数々のブルース・フェスに参加し、1972年には愛弟子と言ってよい Carey Bell との Big Walter Horton With Carey Bell Alligator 4702を発表しました。

1981年 12月 8日 Chicago で死亡。なお、もっと詳しく、おそらくは正確な解説が江戸川スリムさんとこにありますので、キョウミを持たれた方は、ゼヒそちらも訪れてみてください。江戸川スリムさんのと、ここで記述が喰い違っていたら、たぶん正しいのは江戸川スリムさんのほーですよん。



ここんとこ「ちょっと」短めな記述で終ってることがあるのお気づきでしょか?
そりゃまあ「あまり資料がない」てな場合じゃそうなるのも無理は無いのですが、実はもうひとつ別なファクターがあるんですよね。
これまでは日記サイトを利用してましたから、ただ原稿書いて「送信!」ボタン押すだけでよかったんですが、ワケあってホームページ内に無理矢理持ち込んじゃいましたから、日々の更新がいささかメンド臭いのでございます。
そうなると「やや」気勢が殺がれてコンパクトになりがち・・・
いけませんねえ。なははははは!
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