Juice On The Loose

Cousin Joe


03-09-24
Cousin Joe?ダレそれ?って方も多いでしょうね。
いちおう New Orleans 系のシンガー/ピアニスト(若いころはウクレレとかも弾いてたらしいけど)でございます。
とゆうと、じゃあ、Professor Longhair みたいな?って思いそうになるのも無理ないか?
まっそのー、なんちゅうか、たしかに「それ系」ではございますのですよ。ピアノなんかね。時々・・・
え?歯切れが悪い?そうなんですよ。実はちょっとこのヒトのバヤイ、ちょっと表現に困るのですが、ワタシが「 New Orleans ピアノ」に期待するモノ( Professor Longhair がベンチ・マークなんですが)を100とすると「45」くらいっきゃ得られない(?)のでございます。
まあ、New York 生活で「洗練」されちゃったのかな~?なんて気もいたしますが、でもねえ、New Orleans と来たら、やはし「ご陽気、ハイ・テンション、エモーショナル」ってえ勝手なイメージがあるんですが、この Cousin Joe さん、やや陰気、湿っぽい、思索的、内省的、悲観的なんてヒョーゲンが自然に浮かんで来ちゃいます(ワタシだけかもしれませんが)。
だもんで、これ採り上げるの、どうしようかな?ってだいぶ前から悩んでいたのですが、ま、New Orleans でもこんなの(シツレイ)もありまっせ!ちゅーコトでやっちゃうことにいたしました。
本人がイマイチ(ますますシツレイ)なぶん、注釈だらけで脇道トリップを楽しんでいただこう、ってワケなのでございます。
主役を押しのけて(というよりビッグ・ネームが次々と登場いたしますので)魅力ある配役で、とドリョクいたしました(って、ようするに、ゴマ化してるんすけどね。ツマんなくなりそだから)。

曲は「 B♭ 」のキーで、B♭-B♭7-E♭-B♭dim-B♭・・・え~い字面がワルい!「♭」のかわりに小文字の「b」を使いますのでマチガえないでねん。
Bb-Bb7-Eb-Bbdim-Bb-G-C/F-Bb/F ってえ構成です。そ、Please Send Me Someone To Love みたいなパターンですよ。つーことは、とーぜんサビあり。
サビは Eb-Bbdim-Bb-Bb7-Eb-Bbdim-F-F でございます。

Pleasant "Cousin Joe" Joseph( Brother Joshua あるいは Smilin' Joe の名前も使っています)は Louisianna 州 Wallace で 1907年12月21日に生まれました。1919年には New Orleans に辿りつき、Freddy Keppard* や Mutt Carey**、そして King Oliver などが活躍していた Storyville のハズレに来ています。ただ、彼の母はまずスピリチュアルズを歌わせたようで、バプティスト教会でデビュー(?)しました。それでも、そんな環境にいて「汚染」されないハズはなく、次第に「ブルース・シンガー」として知られていったようですね。

*Freddie が正しい、とする資料も。1890.2.27-1933.7.15。コルネット奏者で BYG に Edgar's Creole Orch と吹き込んだ1926年のアルバムがある。他には彼の吹き込みを集めた The Complete Set 1923-26 Retrieval 79017。
**1891-1948.マーチング・バンド出身のトランペッター。1914年から1925年まで Kid Ory***と一緒に活動していますが、Chicago に行く Ory と別かれ、ハリウッドで映画関係の仕事につきます。大恐慌を経てディキシーランド・リヴァイヴァルの波に乗り、1944 年には Kid Ory's Creole Orchestra に復帰、1947 年には自分のバンドを作るために独立した。
***Edward Kid Ory。1886-1973。もともとはバンジョー奏者だったがトロンボーンに転向し、頭角を表す。1912 年に組んだ彼のバンドは King Oliver や、まだ若かった Louis Armstrong、Johnny Dodds に Sidney Bechet、そして Jimmie Noone などが在籍したことで知られています。1919 年には健康上の理由から California に移り、ついてきてた Mutt Carey も含め、新しくバンドを結成し、Kid Ory's Creole Orchestra として活動を開始。「黒人による初のジャズの吹き込み」を 1922 年に行っています。1925 年には Chicago に移り、様々なミュージシャンと演奏をしています。大恐慌の時期には仕事も減り、雌伏の時期を経験しますが、1940 年代に入ってディキシーランド・ジャズの復興により息を吹き返し、1943 年には Kid Ory's Creole Orchestra を復活させることができました。1966 年に引退するまで、ツアーやレコーディングを行っています。


彼は、ミシシッピー川を航行するリヴァー・ボート(あのデカさでも英語じゃあ「ボート」なのね)で歌い、チップを集めていたそうですから、そこそこイケてたんでしょう。
1930年ころには自分のバンド the Jazz Jesters を結成しています。そこでピアニストとしての腕を上げた彼は Armand Piron*、Harold Dejan**に Joseph Robichaux***などとともに Smilin' Joe's Blues Trio を 1942 年にスタートさせています。

*Armand John "AJ" Piron: ヴァイオリン奏者。1888-1943。1912 年には Olympia Orchestra を率いていた。初期の Clarence Williams のビジネス・パートナー。
**Harold Dejan: クラリネット&アルト・サックス奏者。1909.2.4-?。1958 年には自身の Olympia Brass Band を結成、1980 年代まで活動していました。
***Joseph Robichaux: ピアニスト。1901-1965。自身の New Orleans Rhythm Boys で1933.8.22-26 に録音もしています。個人としては the Jones-Collins Astoria Eight の 1929 年録音に参加しました。


1937 年には New York のナイト・スポットに姿を表しています(って呑みに来てたのを見掛けた、っちゅうイミじゃないよ)。そして1945年には Mezz Mezzrow の King Jazz label に、Saw Mill Man を吹き込みますが、その時の共演者は Sydney Becket や Lips Page*に Sam Price**、Mezz Mezzrow***といったメンバーでした。

*Oran Thaddeus "Hot Lips" Page: 1908.1.27-1954.11.5、トランペット&ヴォーカル。
Ma Rainey、Bessie Smith に Ida Cox の伴奏を務め、1928 年から 1931 年までは Walter Page の Blue Devils でソロをとり、1932 年にはそこを出て "Bennie" Moten のバンドに参加、また Reno Club では "Count" Basie とも共演し、1936 年にはソロとして独立しています。
**Sam Price: ピアニスト。Ida Cox、Jimmy Rushing、Sidney Bechet、Lester Young に Cow Cow Davenport とも共演している。
***Milton Mezz Mezzrow: クラリネット奏者。 1899-1972。1920 年代にはシカゴの白人のジャズ・シーンの中にいて、the Austin High Gang や the Jungle Kings、そして the Chicago Rhythm Kings に参加しています。1927 年には New York に移り、Eddie Condon と共演。
1930 年にはスゥイング指向のバンド、The Disciples of Swing を作る。自身の King Jazz label を 1945 年から 1947 年まで運営していたが、1948 年にはフランスに行ってしまう。


1946 年には Philadelphia Label に Brother Joshua 名義で録音、この前年には Leonard Hawkins*や Pete Brown**とも組んでいましたが、ここでは Earl Bostic's Orchestra と共演しています。
1940 年代末には New Orleans に戻りますが、その後も Philo / Aladdin や Savoy、Gotham、DeLuxe、Signature、Decca、Flip に Imperial などのレーベルに吹き込んでいます。
また彼が New York 時代にレコーディングした中には、ギタリストの Al Casey***とのセッションで吹き込んだ「Old Man Blues / Too Tight To Walk Loose」 Savoy 5536や「Death House Blues / Big Fat Mama」 Savoy 5540 なんてのもあります。(名義は Cousin Joe with Al Casey Quartet。彼自身はヴォーカルで、Steve Henderson のピアノ、ギターが Al Casey で、ベースが Al Matthews、ドラムは Arthur Herbert: New York, May 21, 1947 )


*Leonard Hawkins: トランペット奏者。1946.1.29, NYC の Dexter Gordon のセッションに参加し『Settin' the Pace 』( Savoy Jazz SVY 17027 )を録音。
また Billie Holiday の伴奏( 1949.2.18, NYC )で Savoy S 36106「I cried for you 」なども録音しています。
**Pete Brown: アルト・サックス奏者。1906.9.9-1963.9.20。まるでコトバをしゃべっているかのような特徴あるスタッカート・プレイが印象的なニューヨーク・ジャズのプレイヤー。
***Al Casey And His Sextet( Gerald Wilson のトランペット、Willie Smith のアルト、Illinois Jacquet !のテナー、Horace Henderson のピアノ、そしてトーゼン Al Casey のギター、ベースは John Simmons、ドラムが Sid Catlett )では 1945.1.19, Los Angeles で「Sometimes I'm Happy / How High The Moon」 Capitol 10034 なんてえのもあります。出て来ましたねえ、Illinois Jacquet!


さて、こーやってやたら注釈だらけの一文が出来ちゃいましたが、ケッキョク Cousin Joe は影薄いのねん。いくらキラ星のごとく有名な関係者を並べてみたところで、ご本尊がいまひとつ「光らない」んですよ。
このアルバム COUSIN JOE OF NEW ORLEANS BLUESWAY BLS 6078 は Al Smith が Roosevely Sykes にノセられて(?)作ったよなもんですが、やはり、いまいち「必然性」がリカイ出来ないっすねえ。なにしろ「楽天的・ポジティヴ・パッパラパー・明るい・楽しそう・軽い・派手・おちゃらけ・ダンサブル・セクシー」っちゅう(あ、これはワタシのイメージね)New Orleans Sounds のイメージにいっこも当てはまらないんだもの。
お亡くなりになったのは1989年10月 2 日 New Orleans でございます。
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