Travellin' South

Albert Collins


03-09-25
アメリカの中でも長寿といえる音楽の番組 Austin City Limits は、その名の通り、Texas 州 Austin でのライヴ( 1991.10.28 )を収録したものですが、そこに 1991 年、Albert Collins のこの曲 Travellin' South も含まれています。
そしてまったく同時期のスタジオ録音も 1991 年の Albert Collins( Pointblank / Charisma 7243 8 39194 2 0 )に収録されており、この両方を聴き比べたりして、どっちにするか迷ったのですが、今回は(?)やはりライヴ盤の方にしときましょ。

いささか暴れ過ぎで空中分解寸前までツッコんじゃうドラムは Soko Richardson で、特にイントロのとこなんて、おいおい、ダイジョーブかよ?ってシンパイになりますが、ちゃんと立ち直るのね。
もう、一曲通して、このドラムがガンバりまくってます。時にはウルサいくらいにね。
この Austin City Limits のライナーには名前が抜けてるけど、サイド・ギターがいて、途中ソロもまわされてるんだけど、ダレだか不明です。Brother ナントカって言ってるよーだけど、Pointblank( Virgin レーベルの一ディヴィジョン)のほーに参加してるギタリストに、それにあてはまりそーなのがいないんですよ。Jack Holder じゃないし、Mabon "Teenie" Hodges でもないし、Debbie Davis じゃブラザーですらないし・・・

派手なオルガン・ソロはスタジオ盤じゃあ Charles Hodges でしたが、ここ Austin では Reese Wynans。
そー言えば、ホーン・セクションも全員スタジオとは違ってます。トランペットが Steve Howard、テナーが Jon Robert Smith& Mark Kazanoff、トロンボーンが Derek O'brien と Jon Blondell、ついでにベースはスタジオ同様 Johnny B. Gayden でございます。
自分でやる時にはこんなハゲしくなく、ちょっとリキの入ったシャッフル、ってな感じでね。

Albert Collins は 1932 年10月 1 日( alt. 3 日)、Texas 州の Leona で小作人の家庭に生まれました。ライトニン・ホプキンスのいとこだとか(注;ブルース業界で「しょっちゅう出てくる」いとこってのは「遠い親戚まで含むケースが多い」ので真に受けないようにね)。
1941 年( alt.1939 )には Houston の黒人ゲットーに移り、学校で習ったこともあってピアノとオルガンを弾くようになったらしいのですが、18 才の時にそのピアノが盗まれてしまい、以来ギターに専念したもののようです。それでも、その時代の名残か、オルガン奏者の Jimmy McGriff* を Favorite Artist として挙げており、自分の演奏でもオルガンをバックに入れることを好んでますね。
この時代、彼は "In Texas, I was raised up around those kind of sax players like Illinois Jacquet. Down there there's blues and jazz and R&B. I had a choice to make when I started out, so I decided to play blues."(テキサス時代、俺は Illinois Jacquet のようなサックス・プレイヤーに囲まれて育ってるけど、ジャズ、ブルース、R&B のどれかを選ぶってときに、ブルースをとったのさ)だそうでございます。

*James Herrell。1936.4.3, Pennsylvania 州 Philadelphia 生まれ。 piano、bass、vibes、drums に Saxophone まで演奏する。彼自身は "I'm a blues organ player. That's really what I feel. They're always classifying me as a jazz organist, but I think of myself primarily as a blues organist."と答えています。
2 年間の朝鮮戦争での憲兵時代の後、まずベーシストとして Big Maybelle のバックを務めたりもしていますが、ここで警察機構を離れ、Philadelphia の Combe College、そして New York の Juilliard School of Music でオルガンを学び始めます。さらに有名な Jimmy Smith や Richard "Groove" Holmes、Milt Buckner、そして Sonny Gatewood などにも私淑して、1962 年には「I Got A Woman ( Sue Records )」でオルガン・デビューし、以後「ソウル・ジャズ・オルガンのプリンス」てな扱いを受けることになります(で、キングは、モチロン Jimmy Smith ね)。他にも"All About My Girl" などのヒットあり。


その彼のギターのスタイルはいとこの Willow Young によるところが大きいようで、マイナーのオープンチューニングもそこかららしいです(ただし、その際、Dm オープンであるとか、Em オープンだ、とか、Fm オープンで、F-C-F-G#-C-F である、とか諸説あって困っちゃうんですが、最近は Fm にまとまって来てるのかな?)。ただカポタストは Gatemouth のを見てから、だそうです(彼と Gatemouth はカポタストを「Choker 」と呼んでいます)。
15 才のときに地元のブルース・クラブで Clarence Gatemouth Brown と共演したそうですが、1952 年には自分のバンド the Rhythm Rockers( alt.1949-1951 )を結成。また Piney Brown*のバンドにも 3 年間加わっています。21 才になるころにはもうセッションマンとして成功していたようで、Little Richard や Big Mama Thornton のバッキングもやっています。

*1950 年 Apollo から「How About Rockin' With Me 」、また 1952 年には Atlas から「You Made Me This Way ( Atlas 1023 )」を、Charlie Singleton Records からは「Good Aire / My Song 」を出して、サックスによるインストルメンタルとして同レコードの方向を決めるよなヒットとなっている。


1958 年には自己名義の最初の作品 The Freeze を Houston の Kangaroo と Hall-Way Label からリリースし、ここで Albert Collins のキャラ(?)が固定した、と考えてもいいでしょう。彼の Fender TELECASTER(フロントにはハムバッキング、律儀にブリッジ・カヴァーはかぶせたまま。あちこちには反射シール!)、バタースカッチ・ブロンドにメイプル・ネックは(彼自身によれば) Fender QUAD Reverb につながれ、TREBLE & MID がフル 10!BASS はゼロ!Reverb は 4、というセッティングが、「Icy」サウンドの証!(別名「Cool Sound」)

個人的な好みで言えば、1968 年に Canned Heat の Bob Hite によって「連れ込まれ」た Imperial での録音や、Eagles のプロデューサーとして知られる Bill Szymcyzk の Tumbleweed label での録音(やはり Joe Walsh もプロデュースで一枚噛んでいるのねん)なんかより、その後の一連の Alligator でのアルバム( Ice Pickin' 1978、Frostbite 1980、Frozen Alive 1981 )のほうがいいな。
この Alligator での吹き込みでは、妻の Gwen Collins や友人からのススメで、マジでヴォーカルにも取り組み、「歌も」良くなった、なんて言われてますが、ワタシはもともと彼のヴォーカルがダメだ、なんて思ったことがないので(だってワタシより、ちゃんとブルース歌ってますからねえ)歌がウマくなった、なんてことより、そのサウンドのクォリティが「いい」のでございます。
この Austin City Limits の 2 年後、1993年11月24日、Nevada 州の Las Vegas で死亡してしまいました。



なんだか久しぶりの雨です。
お彼岸も過ぎて、ひと雨ごとに秋めいてゆくきょうこのごろ、Austin City Limitsの後半に収録されてる W.C.Clarkの「Ain't It Funny How Times Slips Away」がココロに泌みますねえ。
そうすっと、その次に入ってる B.B.の「Night Life」が、よけ〜「やらしく」聞こえるのよね。
ま、もともとワタクシ B.B.には「まったく好意的じゃない」ので、よけーにこの手慣れたふーの歌いっぷりにちょっと引いちゃうのでしょうが。
少なくとも、「Night Life」に関しては、どっかのライヴだ、っちゅうブレイク・ダウンのテープで聴いたフサノスケのがいっちゃん良かったなあ。と言っても記憶の中にしかないので、確かめようがないんですよ。ま、だからヨケーに美化されちゃってる可能性もありますけどね。
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