If Trouble Was Money Mr.Bo 03-09-26 | さて皆様は Mr.Bo をご存知でしょうか? 彼の兄弟、Little Mac Collins と共作し、1966年に Detroit で録音されたこの曲は、後に Albert Collins( with Charlie Musselwhite のコンビ?)によってもカヴァーされていますが、初期の B.B.を思わせるヴォーカルと、それよりはもっとアクの強いトレブリィなギターで、じっくりと歌い上げるスロー・ブルースとなっています。 バックにはホドをわきまえた、それでいて要所を抑えるリリカルなピアノと、さらに地味ながらもブラス・セクションが控え目に和音をもぐりこませ、全体のトーンに微妙に色付けてるような・・・ ただしバッキング・メンバーは不明でございます。 1995年にこの曲を再吹き込みし、Blue Suit から If Trouble Was Money というタイトルでアルバムも出ているのですが、そちらはまだ聴いたことがおまへん。 Mr.Bo こと Louis Collins は Mississippi 州の Indianola で1932年 4月 7日に生まれています。 1946年には Chicago に移りますが、1950年代に入ってすぐ、今度は Detroit に行きました。 ハウス・パーテイなどで腕を上げていったようですが、そこで Washboard Willie* やジョン・リー、Vernon Harrison "Boogie Woogie Red"** や Little Sonny、さらに Eddie Burns などと知りあっています。 1950年代の晩期に彼は「 Mr. Bo 」と名乗るようになっていますがその由来は判りませんでした。 1959年には初吹き込みをしていますが、その時のレーベルは Northern、Big D、Reel あるいは Diamond Jim のどれかと思われます。 そして1966年に、兄弟の Little Mac Collins と一緒に作った「この」If Trouble Was Money を録音するワケでございます。 そのリリースをうけて、定期的にクラブで演奏などもしているのですが、彼の知名度は次第に落ちて行き、1980年代にはかなり「忘れられた存在」になりかけていたのですが、1993年に、オランダの Blues Estafette からそのオリジナル・シングルがリイシューされたのを契機に、復活がはかられ、1995年にはスタジオ入りして再び If Trouble Was Money をレコーディングし、そのリメイク盤が Blue Suit から発売されました。 しかし彼はそのせっかくの結実を味わう間もなく、流感で死亡してしまったのでした。 時に1995年 9月19日のことです。 * William Hensley。Georgia 州 Columbus 出身、1909-1991。 31才の時にパーカッションに目覚め、以来ウォッシュボードやフィンガー・シンバル、フライパンを身につけて「ひたすら」叩き続ける。 1948年、Detroit の北部に移り、自動車製造ラインの洗車部門に勤務。 1952年ころ、ジョン・リーや Eddie Burns が出ていた Harlem Inn にライヴを観に行った際、その時のドラマーが「イケてなかった」のでクルマからウォッシュボードを取って来て演奏に参加したところ、二曲目でクラブ・オーナーが毎週末、演奏してくれるよう依頼し、それから 3年間、そのクラブでステージに立ちました。 そして自分の仕事がらみの「泡─Suds」からヒラメいてバンドを Washboard Willie & the Super Suds of Rhythm と命名。 1955年には Little Sonny が加入。 1956年、Joe Von Battle に Cherry Red Blues、Washboard Shuffle、Washboard Blues Pt. 1 & 2 などを初吹き込み。 1957年から1962年にかけて Von Battle に吹き込み。彼のドラム&ウォッシュボードに、Calvin Frazier のギター、Boogie Woogie Red( Vernon Harrison )のピアノ、Chuck Smith のバリトン・サックスというものでしたが、そのテープは George Paulus が Von Battle の倉庫から持ち出して自身の Barrelhouse Records で1982年にリリースするまで「眠り」についていたのです。 他に Herculon label から Natural Born Lover と、有名な Wee Baby Blues(共に1966年のセッションから。 Evans McLendon のギター、 Angelo Willis のバリトン・サックス)や Big Bear / Poly 2460 186 がある。 1973年からは各地のフェスティヴァルなどに参加していますが、1980年代にはいると、地元の婚礼などで演奏する他はあまり出て来なくなります。家庭を大事にし、日曜学校の教師でもある多忙な生活を充分に楽しんでいたようですが、1991年 8月24日、Detroit で死亡。 **Loisianna 州 Rayville 生まれ。1924.10.24。 まだ若いうちに一家を挙げて Detroit に移り、彼は Big Maceo や Dr.Clayton の影響を受けつつも自分のキーボード・スタイルを構築していく。 18才のときに Chicago に乗り込み、Lonnie Johnson や tampa Red、さらに Memphis Slim などとジャムをするようになっています。 1946年には Detroit に戻り、そっから14年間、ジョン・リーのもとで過ごす。 しかしモータウン・サウンドの隆盛に押されてブルースが下火になるにつれ、彼も一旦、演奏から身を引きます。それが1971年、ヨーロッパでのツアーに参加した彼はその反応に気を良くし、デトロイト周辺でのライヴの他に海外へのツアーも開始したのでした。アルバムは Live At The Blind Pig など。 なにやら北海道の東部ではかなり大きな地震があったみたいです。 でもさいわいに津波にはならなかったみたいで良かったですね。日本海側で起きた地震だと津波の被害が出るコト多いみたいでアブナイんですが。 |
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No.523