Baby You Don't Know

Roy Milton


03-10-03
冒頭、いきなり小洒落たヴァイブがイントロを奏で、ブラス・セクションも加わる中 Roy Milton の落ちついたヴォーカルが始まります。
しっかし、このサックス・ソロはちとヒドいなあ。
そこいくと、ジョニー・オーティスのヴァイブがなかなか利いてますよ。特にキーが B♭であることを考えれば、実によく健闘している、と申せましょう。
さて、フツーは Roy Milton と来たら RM Blues ってのが相場でございましょう。
事実この Johnny Otis Show Live At Monterey!( epic/LEGACY EK 53628 )には、そちらも「ちゃ〜んと」収録されてはおるのでございますよ。
でもねえ、ワタシの好みはこちらの Baby You Don't Know ですね。
もともとは Specialty に吹き込んだナンバーを 1961年に Warwick に吹き込みなおしたもので、発売当時、R&B チャートのトップ 30に入ったものでございます。

ギターのシュギー・オーティス(たぶんね)のオブリだけは小ウルサくて嫌いだけど、それ以外のイキオイっつーか、一丸となって軽やかに走るサマがとってもココロヨいのでございますよ。
ま、難を言えばドラムが 4ビートってえよりは、2/4的なプリミティヴさで「ちょっと」ドンくさくしちゃってるとこかな?え?ケッコー文句が多い?にゃははは、そーでしたねえ。

さて、この Roy Milton、生まれは 1907年 7月31日、Oklahoma 州の Wynnewood です。
でも、ほとんど、Chickasaw 居留区*にいた彼の祖母のもとで育ったようですが。

* Chickasaw インディアン: およそコーカソイドが表れる遥か以前の西暦1300年ころにはミシシッピー河流域の広い範囲で生活していたと思われる Chickasaw は、その中心をアラバマ近辺においていたようです。
それが1700年ころの各部族の移動に伴い、現在の Tenneessee 州あたりと、同じく Kentucky 周辺とに分割されました。
また一部のグループは 1723年に現在の South Carolina にあたる Savannah 川流域から Georgia 州 Augusta あたりにかけて定着しています。
そこにはイギリスからの独立闘争に際し、英国側についたために1783年に土地を没収されるまで住んでいました。この分派はやがて本流であるミシシッピー河北部に復帰するまで、Alabama 周辺の峡谷などを仮りの住まいとしていたようです。
しかし、1830年からのいわゆるインディアン排除思想の本格化に伴い、まず1832年にはミシシッピー東部に追いやられ、さらに1837年には Oklahoma の南西に Choctaw 族(そ、Lowell Fulson のとこで出てきましたよね。みなさん覚えてますかー?)から借りた土地に移り、1854年にはそこから一部がさらに東へ移動させられています。そして、これらの居留地制度が消滅したのが Roy Milton の生まれる前年の1906年だったのです。
しかし「消滅」したのは州法上の居留地を管理する条例などであり、Chickasaw の人々が「一気に」解放され、自由に住む場所を求めて出ていった、なんて思わないよーにね。
その後も旧居留地近辺に 12,000人を超える Chickasaw たちが暮らしています。


Roy Milton がブルースと出会ったのは、一家が Tulsa に引っ越してからのことだったようです。
1920年代の晩期に、彼はヴォーカリストとして Ernie Fields Orchestra**に参加しました。
そしてそのバンドでテキサスを公演中に、バンドのドラマーが拘留されてしまったために、彼が替わりにドラマーとなったのでした。

**Ernie Fields は Texas 州 Nacogdoches で1905年に生まれ、Oklahoma 州の Taft で育っています。ピアノとトロンボーンを学び、それが Tuskegee Institute を1921年に卒業するまでのメインの楽器となったようです。
そして Tulsa で彼の最初のバンド、The Royal Entertainers を始めました。
またキャブ・キャロウェイのもとでツアーに連れまわされた際に、ツアーの重要性を悟り、以後、彼のバンドはオクラホマからテキサスにかけてのツアーを行うようになります。ただ、このあたりでは、まだ the Ernie Fields Orchestra の名前は使っていないと思われ、したがって、本来なら「( Roy Milton は)ヴォーカリストとして後の Ernie Fields Orchestra に参加・・・」が正しいかとおもわれます。
バンドは1939年には John Hammond に認められて New York に招かれ、Vocalion Label に10曲以上を吹き込みますが「T-Town Blues 」がマイナー・ヒットした以外、これといった「当たり」には恵まれませんでした。


しかし Roy Milton は、1933年にはそのバンドを離れ、Los Angeles に移っています。
そして間もなく彼は有名な Roy Milton and The Solid Senders を作ることになるのですが、その前に Roy Milton Trio(?)を作っていた、とする資料もあります。
Solid Senders はそのトリオ時代からの女性ピアニスト Camille Howard にトランペットの Hosea Sapp に、Buddy Floyd のテナー、Jimmy Nottingham のトランペット、Dave Robinson のベースを加えたメンバーで、その Roy Milton and The Solid Senders が1945年の12月に吹き込んだ RM Blues が大ブレークして、彼自身はもとより、Specialty にとってもその地位を確立させるものとなったのです。
また、このようなスモール・コンボによるヒットの誕生は、それまでのビッグ・バンドの存在そのものに「弔鐘」をならすもの、なんて言われたりもしたようです。
Roy Milton はその後も Specialty に10年間在籍し、Milton's Boogie、Hop, Skip And Jump、T-Town Twist( Ernie Fields Orch. のT-Town Blues との関係は不明です)」、Best Wishes などのナンバーを残しています。
Specialty 以降は Dootone や King、Warwick などに吹き込んでいますが、1960年代の終りころには、彼のスタイルがもはや「outdated」なことは明白となって来てはいたのです。
それでも、ジョニー・オーティスのショウに参加し、1970年の Monterey Jazz Festival に出演したことによって再び注目されるようになり、ヨーロッパ公演の機会にも恵まれました。
1982年に病で倒れて以来、そのまま回復することなく、1983年の 9月18日、Los Angeles で死亡しました。



ウワサの o.j のホームページ、『What's up!』がオープンいたしました!
特に彼のミュージック・ライフ・ヒストリーが面白いですねえ。知ってる方々のお名前が出てくると、それだけで楽しいです。
そしてまた開店(?)と同時に阪神タイガース優勝記念セールがごときみなさまの「ご来店」!
やはり「人徳」と申すモノでございましょう(ま、ハンブンはさんざ待たせて、みんなシビレきらしてた、ちゅうのもあるにせよ)。
やはりネット界では HP 背負って一人前(?)、今後はセキニンある言動を・・・ なんてゆーと、今までメッチャ無責任だったみたいで語弊があるなあ。ま、ともかく楽しくやってねん!

現在、HP の存在は確認できておりません・・・ Dec. 2013
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