Rush Hour Blues

Sam Lay


03-10-06
一瞬エルモアを思わせるイントロだけど、こりゃレギュラー・チューニングでのフィンガー・スライドじゃないかなあ。
それ弾いてるのは Larry Burton* でございます。
そしてちょっと野太いカンジの、でもディストーションのかかってない(?) Sam Lay のヴォーカルがなんだか「おおらかに」歌い上げるミドル・テンポのブーギ・ナンバーでございます。
途中ブレイクもかまして、なかなかいいチョーシ。
Larry Burton のギターはメッチャ弾きまくってます。一方ベースはやたらシブい思ったらアコースティックつかってんのね。
締まった重低音がほとんど伸びない、減衰の早いウォーキング・スタイルに良く合ってますねえ。サイゴ近く、みんなで一斉に歌ってんのがご愛嬌!

* Larry Burton は1951年 Mississippi 州 Coldwater 生まれで、1956年に Chicago に出る前に短期間 Memphis にもいたようです。
Chicago ではウェストサイドで暮らし、Big Bill Hill's pioneering blues radio showってのを聴いて育ったそうです。
最初ベースを弾いていたらしいですが、後に Albert King のアルバムの何枚かでプロデューサーともなった Tony Llorens などの高校の同級生とバンドを組んでいたみたいです。
やがて Larry は Albert King や Albert Collins、ジョン・リー、タージ・マハル(日本じゃムカシ、「タジ・マハール」なんて読み方をしてたんですが本来はムガール帝国のシャー・ジャハーンの妻のひとり、アルジュマン・バーヌー・ベイガムの死に際し、「国母(ムムターズ・マハル)」の廟として造られる「タージ・マハル」から来てる名前でしょう。キー・ポイントは「インド、イスラーム、霊廟」。これがなんでブルース・ミュージシャンの名前になるのか、あっしにはリカイできまへん)、ジョニー・ウィンターなどとも共演するようになりますが、さらにそのリストを並べて行くと、まるでブルース人名辞典みたくなります。Koko Taylor、Little Milton、Son Seals、Otis Rush、Jimmy Johnson、Lonnie Brooks、Jimmy Witherspoon、Champion Jack Dupree、John Littlejohn・・・
録音に参加した中で有名なのは 4枚の Albert Collins のアルバムでしょう。日本とスイスでのライヴにも名を連ねています(つーことは日本にも来ているのだ)。兄弟の Aron Burton と the Burton Brothers Blues Band を作って、ヨーロッパでは B&B Label からアルバムをリリースしています。
エルモア好きなだけに、そっち系の音に定評があるようです。自身のソロアルバムは Brambus Label の Hustlers' Paradise から。最近では Babylon label から The Blues Just Stay The Same を Nashville 録音。


Sam Lay は、「あの」 Magic Sam の Ann Arbor ライヴでドラム叩いたんで有名ですが、彼はドラムのみならず、ヴォーカルでも例の Testament の V/A、Goin' To Chicago の 3曲を忘れてはいけまへん。
1935年 3月20日、Alabama 州 Birmingham で生まれた Sam Lay がドラムを始めたのは 14才の時 Clevelandで、最初のバンド the Moon Dog Combo に入ったのは1956年のことでした。
さらに1957年には the Original Thunderbirds のドラマーになり1959年までは在籍しています。
しかし彼のインタビューによると、1960年の 2月にはそこから Chicago に移っています。
ただし、この前後のコトに関しては彼の記憶がコンランしているのか、あるいは、こちらの英文の解釈にモンダイがあるのか、Birmingham を出たのは1964年だ、という発言もあり、実際のところはちょと「?」です。
また彼は1955年の Emmet Till 殺人事件(割りと自由なシカゴで暮らしていた14才の Emmet 少年が Mississippi でキャンディーを買ったお店で商店主の妻に気安く声をかけたのが原因でリンチ殺人された事件。陪審は「無罪」の表決をしている)のコトも語っているのですが、Sam Lay の祖父はヨハネスブルグから来た白人だし、祖母はチェロキーで、完全な混血だったため、かなりフクザツな思いを持ったようです。また、そのような血筋であるがゆえに、白人のアーティストとも抵抗なく共演することが出来たのかもしれません。
シカゴでは、Little Walter が彼のドラミングを一回聴いただけで、それまでのドラマーをクビにして彼を入れた、と(本人がそー言ってます)ゆうことらしいですが、他にもウルフのバックで1960年から1966年まで叩いてるし、そっからベースの Jerome Arnold と一緒に抜けてバターフィールドのアルバムに顔を出し(ツアーにも参加してますが)、ディランの、物議を醸したらしい 1965 Newport Folk Festival でもドラムを叩いてます。
ただ、バターフィールドに関しては、ハープを吹ける白人がいる、ってことで Smokey Smothers が連れてきたらしいのですが、一緒にやってみようか、と言ってた日に、なんとあの John Fitzgerald Kennedy がダラスで暗殺されたのです。
バターフィールドはノコノコやって来たらしいのですが、Sam Lay は「そんな気分じゃない」と帰ってしまったそうです。
やはりこのへんも白人とカラードの「差」なんでしょうか。
Sam Lay はマディのFather's & Sons アルバムへの参加や、前述の Magic Sam at Ann Arbor でのドラムでも知られていますが、同時に James Cotton の(初代正式メンバー?の)ドラムでもあったようです。そして自分のブルース・バンドを結成し(初期には the Blues Revival と、後には Sam Lay Blues Band と呼称。Jimmy Rogers、Eddie Taylor もいたことがあるらしい。彼の言によれば、Otis Spann、James Cotton、Sunnyland Slim もいたそうです) Appaloosa Records や Evidence Records に吹き込み、また Telarc Blues label ではこの Rush Hour Blues が吹き込まれました。

1980年代末には the Blues Hall of Fame in Memphis に the Jazz Hall of Fame in Los Angeles、さらには Rock n' Roll Hall of Fame in Cleveland にまで殿堂入りし、1992年には the Blues Hall of Fame にも名を連ねています。
ドラムそのものをとれば、Freddie Below ほどの大向こうウケするワザは無さそうですが、その存在が持つ包容力みたいなモノ、張りつめそうになるテンションを緩めてくれる潤滑剤的なスタンスが数多いセッションに彼の「場」を作った要因だったんじゃないか?なんて言うと、会ったコトも無いのにムセキニン過ぎるかもね。
彼には 3人の息子と、娘がひとりいます。長男はハリウッドで映画関係の仕事についているようです。そのインタビューの中で最高のケッサクはディランと共演した時のエピソードですね。
記者が「スーパー・スターと共演するのはどんなキモチですか?」なんて訊くから、「その質問はディランに訊くべきだろ」って言ってやったよ、はっはっは!だそうです。

ところで、そのインタビューの中で、なんと彼が Kodak の古いムーヴィ・カメラ(たぶん Regular 8と呼ばれる古いタイプの 8mmだと思われます)で撮影した、およそ 20時間分の Little Walter や Jimmy Reed の映像を「持っている」ことを語っているのですが、ナショナル・アーカイヴなんぞにゃ寄付せず、(今までさんざんサクシュされてきたんだからな)いいカネになるぞ!とウソぶいてます。あ、もち「音はナシ」ね。映像だけ。どうかウ〜ンと高く売れて、安楽な老後を送れますように。
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