Do You Wanna Jump

Washboard Willie


2003-10-11 SAT.

Washboard っちゅうと、「あの」洗濯板の他に、ありとあらゆる音が出そうなガラクタをいっぱい付けて、なにやらドガチャカと賑やかに、でもプリミティヴなブルースをやりそうなイメージがあるのですが、この 1973 年の Ann Arbor Blues & Jazz Festival での Washboard Willie のナンバーは、ランニング・ベースに乗せて軽快にトバす 4 ビートに彼の滑らかなヴォーカルもキモチいいスマートな仕上がりなのでございますよ。トリオでこんだけの充実度があるんだからタダモノじゃありませんね。
9 月26日に紹介した Mr.Bo の If Trouble Was Money の段にも登場いたしました Washboard Willie が彼のバンド、Super-Suds of Rhythm( Sudsってえのは泡立った石鹸水のコト)とともに出演したライヴの録音でございます。
P-Vine PCD-4782/3( 2 枚組みなんですが、そのうちの「 Jump 」盤、vol.3 にはこの曲がそのままディスク・タイトルとして採用されています)

William Paden Hensley は Georgia 州 Columbus で( alt. Alabama 州 Phenix City 生まれで、Detroit の前は Columbus にいた、という資料もあります)1909 年の 7 月24日に生まれています。成長していった過程は定かではありませんが、31 才の時にパーカッションに目覚め(?)以来ウォッシュボードやフィンガー・シンバル、フライパンを身につけて「ひたすら」叩きまくっていたそうです。
その彼が Detroit に移ってきたのが 1945 年と言われています。そして 1948 年には Detroit の北部に移り、Car Wash( Motor City の異名をとるだけに、この町では自動車関係の仕事が多く、ここでのそれが一般的な洗車サーヴィスなのか、あるいは、生産ラインのフィニッシュで「トリートメントを施す」仕事なのかは判りませんでしたが)の仕事についています。そして次第に他のミュージシャンと知りあう機会も増え、Calvin Frazer( b.1915.9.16 - d.1972、ヴォーカル&ギター。Arkansas 州 Osceola 出身で 1930 年代には Robert Johnson とも一緒に演奏していた、という経歴を持つ。初吹き込みは Alan Lomax による 1938.10.16 の Walfare Blues、Baby Boy Warren のバンドでは Washboard Willie と一緒になっている )や Little Sonny( Aaron 'Little Son' Willis、1932.10.6、Alabama 州 Greensboro で生まれる。1953 ━1954とする資料もあります━ 年に Detroit へ。Washboard Willie が彼に「音楽で」カネを払ってくれた最初の人間となる。1958 年には自己名義で JVB に初吹き込み。 I Gotta Find My Baby、これは Duke でも発売されました。他に Love Shock は JVB から Excello にリースされています)といった人脈を形成するようになっていったようです。
1952 年ころ、ジョン・リーや Eddie Burns が出ていた Harlem Inn にライヴを観に行った際、その時のドラマーがイケてなかったので外に駐めてた自分のクルマからウォッシュボードを取って来て演奏に参加したところ、二曲やったところでクラブのオーナーに気に入られたらしく、毎週、演奏しに来てくれるよう依頼されます。
それから実に 3 年間、そのクラブでステージに立つことになった(!)。
そして、仕事がらみの「泡─Suds 」からヒラメいて、自分のバンドを Washboard Willie & the Super Suds of Rhythm と命名しています。1955 年には Little Sonny が加入しました。
1956 年、Joe Von Battle に Cherry Red Blues、Washboard Shuffle、Washboard Blues Pt. 1 & 2 などを初吹き込み。1957 年から 1962 年にかけてはまた Von Battle に吹き込みをしています。彼のドラム&ウォッシュボードに、Calvin Frazier のギター、Boogie Woogie Red( Vernon Harrison:Loisianna 州 Rayville 生まれ。1924.10.24。若いうちに一家を挙げて Detroit に移り、Big Maceo や Dr.Clayton の影響を受けつつも自分のキーボード・スタイルを構築。1942 年には Chicago に行き、Lonnie Johnson や tampa Red、さらに Memphis Slim などとジャムをするようになっています。1946 年には Detroit に戻り、以後14年間、ジョン・リーのもとで過ごす。1971 年、ヨーロッパでのツアーに参加した彼はその反応に気を良くし、デトロイト周辺でのライヴの他に海外へのツアーも開始するようになります。アルバムは Live At The Blind Pig など)のピアノ、Chuck Smith のバリトン・サックスというものでしたが、そのテープは George Paulus が Von Battle の倉庫から持ち出して自身の Barrelhouse Records(そ、あの『Chicago Boogie 』で有名な!)で 1982 年にリリースするまで世に出ることは無かったのでございます。
他に Herculon label から Natural Born Lover と、有名な Wee Baby Blues(共に 1966 年のセッションから。Evans McLendon のギター、 Angelo Willis のバリトン・サックス)や Big Bear / Poly 2460 186 があります。1973 年からは今回の Ann Arbor Blues & Jazz Festival を初めとして、各地のフェスティヴァルなどに参加していました。
多い時には週に 6 日もクラブに出演したりもしていたようですが、レパートリィはブルースに限ったワケではなく、結構モータウン系のナンバーもやっていたそうです。
1991 年 8 月24日、Detroit で死亡しています。

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