Welfare Cadillac Blues

Jerry McCain


2003-10-14 TUE.



正確には Jerry McCain and His Upstarts によるミッド・スローなナンバーです。
いきなり彼のヴォーカルから始まり、すぐに自分で吹いてるハープがチェイスいたします。ヴォーカルの距離感(つーか、あましマイクにガブリ寄ってないよな、ちょとレイドバックした感じ?)がなかなかいいですねえ。
そして Lazy Lester とは明らかに違うタイプの、でもこれまた、あっExcello の音!ってえカラーをにじませてるハープ。ま、距離感なんて言うと抽象的ですが、よーするにリヴァーブによる残響成分を付与してるワケでして、一方ギターにはあましかけない、ってスタイルが基本なのかもしれません。
このリヴァーブのかかった独特のトーンが「北部の」ブルースとはまた違った「高温多湿さ」を演出してるのかもしれませんねえ。
あ、面白いのは Little Sonny の A Love Shock( 1958 Detroit )でも同じよな音作りしちゃってるんでございます。

バックで地味に支えてるギターは Chris Collins。Jimmie Sheffield のドラムも必要最少限度に抑えてる感じでなかなかよろしい。
でも、クレジットにゃあ無いんですがゼッタイ、ウッド・ベース入ってるよね?ま、かなりキビしくチェックしたつもりなんですが、ところどころ、バスドラと違う音が「のたうってる」のがそーだと思うんですが、確証はありません。
この時期のレコーディングはまだ録音機材及び収録テクニックが「ワイド・レンジ」対応になってませんからいたしかたないのでしょうか?なんて思いがちですが、実は(後で出てきますが) Ernie Young のせーかもしれないんですわ、これが。

Jerry McCain は1 930 年 6 月19日に Alabama 州の北東にあり、Huntsville と Birmingham のほぼ中央に位置する Gadsden に生まれています。5 人の子供のうちの 1 人で、父は小作農として、現在はレース・コースになっている Talladega 周辺の綿花畑で働いていたそうで、かなり貧しい生活だったようです。
彼にはハープを吹く伯父さんが何人かいて、母もギターを弾いていたようですが、そちらはもっぱら教会での演奏がメインでした。そんな彼がブルースの洗礼を受けたのは、そのあたりをシマとして演奏していた Mutt and Jeff みたいなふたりのストリート・ミュージシャンによるものです。ノッポのほうは Chick、チビは(案の定?) Shorty と呼ばれてたんですが、まだ小さかった彼はこのふたりの後を追って演奏を聴き、時には一緒に演奏もしたそうですが、これがブルースに向かう彼のベクトルを決定したのかもしれません。
すでに 5 才で Gadsden の街頭で演奏をしてチップを稼ぐ腕を発揮していたそうですが、早くも Jerry "Boogie" McCain というニック・ネームをもらっています。
10 代に入るころには Sonny Boy Williamson や Sonny Terry のマネも始めているようですが、やはり、彼に決定的な方向づけを与えたのは Little Walter のブルースでしょう。
やがて地元の放送局、WETO に番組を得てジャグバンドのフロントマンとして出演するようになります。モチロンその番組は Sonny Boy Williamson II をメインに、ギターの Willie Love、ドラムの James "Peck" Curtis のセットで、Arkansas 州 Helena の KFFA で 1941 年から始まった有名な King Biscuit Time をマネたものでした。
その後、彼は自分で Alabama の Shuler Avenue にあったスタジオでシングルを作り、あちこちのレコード会社に送りつけてみたりもしたのですが、なかなか相手にされなかったようです。
しかし 1950 年代に入るとひとつのチャンスがめぐってきます。Gadsden の Will & Elmer's Cafe で出会った Christopher Collins というギタリスト( Chris Collins としても知られています。大工でもあった)をメンバーとして組んだことにより、なにやら離婚調停で稼いだカネ、ってのをバンドの装備を充実させるために使えたのが大きかったのではないでしょうか。

1952 年に Little Walter は Checker Records で、Juke と Can't Hold Out Much Longer というヒットをとばしていますが、プロモーションのために Gadsden を訪れた際に「この町にゃあマトモな酒(コーン・リカー)は無えのか?」ってゴネ(?)てた Little Walter を兄の(もち Jerry の兄ね。あ、弟かもしんない?) Snook こと Roosevelt と一緒にクルマで何箇所かの密造所を案内してやったことですっかり親しくなり、ライヴにも呼ばれるようになったようです。

やがて独立レーベルのひとつで Lillian McMurry の Diamonds Records が彼のバンドをオーディションに招いてくれました。そしてここで行われた 1953 年10月10日のセッションから East Of The Sun と Wine-o-Wine も生まれています( Trumpet 217 )。
前評判では彼女( Lillian McMurry ね)はとってもフェアな人間だ、と聞かされていたようですが、最終的に、一枚売れると「 0.5セント」というヒドい契約になってたそうですよ。
この時のメンバーはテナーに Bernard Williams、ピアノ Dave Campbell、ベース Herman Fowlkes、ギターに Chris Collins、そしてドラムは彼の兄(ここはちゃんと「兄」と判明しとりますのじゃ)の Walter なんですが、これがヒドいドラマーだったらしいんですよ。彼によると「 Walter, who couldn't drum worth shit 」だって。でもクルマを持ってたのは彼だけだったのでメンバーだったみたい。Gadsden から Lillian McMurry の家具屋の後ろのプリミティヴな小さなスタジオがある Mississippi 州 Jackson のダウンタウン、Farish Street までは 600マイル(ほぼ 1,000km 近く)もありますからね。
次のレコーディングは 1954 年の11月 4 日、基本的には Williams、Campbell& Collins の基本(?)はそのまま、セカンド・ギターとして J.V. Turner が加わり、ベースが Raz Roseby に、くそドラムの Walter のかわりに Junior Blackman が入っています。この時の録音では Stay Out Of Automobiles とそのカップリング、Love To Make Up : Trumpet 231がリリースされました。
Stay Out Of Automobiles は、「クルマにまつわる、ありとあらゆるトラブルの歌さ。あのジャクソンまでのドライヴでオレたちが経験したエンジン・ブロウやツルツルのタイヤ、クソいまいましいおんぼろダッジのね」この当時の録音は Trumpet LP 701 に収録されています。

やがて彼のもとに掛かってきた一本の電話が大きく運命を左右することになります。
Nashville で 1950 年代の初期に Nashboro records を設立した Ernie Young は、まずゴスペルから始め、次第にブルースにも手を伸ばしてきていたのですが、そのためのセカンド・ロゴとして Excello を設け、Crowley の J.D. Miller とともに南部一帯のブルースを独特のスタンスで採り上げて成功を収めていきます。
その Ernie Young によって 1956 年に Nashville で録音されたのがこの A Things Ain't Right でございます。
1955 年から 1957 年にかけて Jerry McCain and His Upstarts は Excello にレコーディングをしていました。すべて Nashville で行われ、この曲とカップリングとなった Run, Uncle John! Run や Courtin' In A Cadillac ( 2068 )などを残しています。
この時を回想する Jerry の証言によれば、ともかく Ernie Young はベースをオフぎりぎり、場合によっちゃ聞こえなくてもいい、ってえレヴェルで録るのを好んだそうで、Jerry はもっとベースを「オン」ではっきり聞き取り出来るようにしたかったらしいのですが、そこはオーナーの権限(?)で押し切られてしまったもののようです。てなワケで、ベースは居てもずいぶん軽視されちゃってたみたいざます。
Ray Harris や Seymour Heller、それに Ed Cobb らからなる AVI は 1970 年代の晩期に Excello のストックと Woodland スタジオを Crescent Corporation から買取り、リマスターして AVI / Excello The Best Of Jerry McCain として 1995 年に発売しました。そしてその後 AVI は手持ちのソースを今度は Rhino に売却し、結果 Rhino CD 70896 としてリリースされています。

ただ、先にも述べた Ernie Young の独断的なやりかたは彼にかなりのフラストレーションを与えたようで、それに対抗するかのように自宅での録音も行っています。そのテイクは 1981 年に、オランダのレコード会社を経営する Martin Van Olderen によって White Label( LP 9966 )Choo Choo Rock としてようやく世に出たのでした。ただし、このリリースに関しては、いささか意志の疎通がよろしくなかったようで、Jerry は「ダマサレた」という印象を持っているようです。

1959 年には Gary Sizemore をマネージャーとして契約、それから1980 年代まで続くおよそ 26 年間の(よくモメた)関係となります。このマネージャー自身もレーベルを持っていて、そこから「リース」したりもしたため、1960 年代にはかなりの混乱があったようです。ま、それでワリ喰ったのが Johnny Vincent と Ace Records かもしれませんね。
なんてなトコをほじくって行くと、とても今日中にゃあ終りそうもないんで、このくらいにしときますが、また、なにかの機会でこの続きを⋯(ホントか?)。
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