Doodle Hole Blues

Charlie Lincoln

2003-10-16 THU.

先日とりあげた Barbecue Bob こと Robert Hicks の兄で、本名 Charley Hicks の1930年の録音です。
Yazoo のライナーじゃあ D オープンのワン・コードのブルース、となっているんですが、だとすると、数々の矛盾が・・・

第一にこの曲ですが、キーは「 B 」です。
現実問題として、通常の弦のセットで B オープン、なんてチューニングは「考えられない」ですからねえ。そこらどーなってるんでしょ?
もし本当に D オープンだったとしたら、基本位置が 9フレットになってしまいます。しかも、この音から考えると Spanish Tuning であることはマチガイ無さそうなんで、D ではなく G オープンではないでしょうか?
それだと彼の弟である Barbecue Bobがやっていたように 4フレットにカポタストをして演奏している、と考えるのが自然ですからね。

次に、ワン・コードとのことですが通常の12小節でいう 9小節目あたりでドミナント的な響きが(ベース音をハズシてるんで、明確なドミナント、とも言い切れないのですが)、しかも時には続いてサブ・ドミナント的な響きまでも聞こえるよーに思えるのは気のせーでしょうか?
とゆーワケで、この曲を明確に「ワン・コードである」と言い切る自信はワタクシにはおまへん。

タイトルの Doodle Hole がナニを意味するのかは、ちょっと判りませんでした。
Doodle ってのはナニも考えずにしてるイタズラ描き(よく電話しながらメモ用紙に描いてるヤツか?)のことらしいのですが、それと Hole がどーつながるのか?
ま、それほどこだわってるワケじゃないんですがね。

Charley Hicks: 別名 'Laughing' Charlie、あるいは Charlie Lincoln(ただし Charlie と Charley の両方の表記が使われており、どちらが正しいのか「?」です)は 1900年 3月11日 Georgia 州 Walton County の Walnut Grove 生まれ。
前にも説明した通り、Charley Hicks( Lincoln )と Robert Hicks( Barbecue Bob )、さらに James Weaver( Curley Weaver )の三人は、いわばギターに関する「ご学友(?)」でございます。三人の先生はモチロン James の母である Savannah "Dip'' Weaver( Savannah "Dip'' Shepard )ね。
1918年には Hicks 兄弟は一帯で演奏をしていたようで、ギターがウマかった Robert と声のいい Charley という組み合わせがパワーを発揮していたようです。1923年には Atlanta に移り、このあたりから12弦ギターに専念した、とも言われていますから、Barbecue Bob の回に書いた『彼らと親しかった、とされる Snap Hill によれば、この時期に Hicks 兄弟は 6弦のギターから12弦に移ったのだそうです。』ってのと矛盾しますね。どちらも、それぞれ「記憶」に残った印象からきた証言ですから、どちらが正しい、とは一概には言いきれないのですが、おそらく、Newton County 時代に「まったく」12弦を弾いたこともない、とは考えにくいし、かと言って、カンゼンに12弦に転向した、ってワケでもなかった、ってえあたりじゃないでしょか?

やがて弟の Robert も Atlanta に来て、1925年には James Weaver も Eddie Mapp(こちらも以前説明しましたが、 1911年 Georgia 州 Walton County の Social Circle の出身と思われるハープ奏者。James "Curley" Weaver とふたりでダンス・パーティなどで演奏したり、ときには Hicks 兄弟も一緒に演奏もしています。彼は Newton 郡では最高のハーモニカ奏者と言われていました。Charlie Lincoln の「 Lincoln 」が Mappe の母の旧姓と言われる。1931年の11月14日、路上で死亡しているのを発見される。死因や事件性の有無など詳細は不明 )も Atlanta に出てきます。
Weaver はミュージシャン仲間になかなか人気もあったようで Buddy Moss( Eugene "Buddy" Moss。1906年1月26日、Georgia 州 Jewell 生まれ。Augusta で成長したようです。12才のときからハープを演奏。ジャグ・バンドでギターとハープを演奏し、1928年ころ Atlanta に来た、とされています。Barbecue Bob や Blind Willie McTell とも共演。しかし1930年代中期には「妻を殺害した」件で服役している。1984年10月19日に死亡)によればみなが彼と演奏したがった、と。それに比べると Charley は、やや社交性に欠け、開放的な性格でもなかったようで、逆に言えば弟の Robert、一緒にギターを学んだ James そしてそのチャンネルを通じて知った Eddie Mappe や Buddy Moss のような限られた共演者しかいなかったのではないでしょうか。

1927年には Chrley Hicks は弟も含む The Georgia Cotton Pickers や弟とのデュエットで Columbia Records に初吹き込み。このとき何曲かの冒頭に「笑い声」のように聞こえる奇声が入っていたことから「 Laughing Charlie(あるいは Charley )」の別名がついた、とされています。しかし、日常の彼はまったくそのようなキャラクターではなかった、とされてますので、はたして?
それから 3年にわたり、彼は着実にレコーディングを続けましたが、そこでリリースされたのは一部に過ぎません。

さて、あまり社交的とは言えず、その人的交流範囲も限られていた、と思われる Charlie Hicks ですが、1931年の10月21日、Georgia 州 Lithonia で、弟の Barbecue Bob こと Robert Hicks をインフルエンザに起因すると思われる肺炎で失ったことが彼を打ちのめしたようです。それだけでも大きな心理的打撃だというのに、その 2ヶ月後に今度は Eddie Mappe が理不尽な死を迎え、さらにその1年後には彼の義理の妹が、おまけに 2年後には母も死んでしまい、もはや彼の音楽につながるチャンネルがすべて失われていったのですから、ヤル気を無くすのも無理はないでしょね。
妻とも別れてしまいますが彼女も後に肺炎で死亡しています。
1935年には父の死、という具合に、妹(あるいは姉かも?)の回想によれば、彼の人生は「死別」の連続だったらしく、このあたりから彼はアルコール漬けとなっていったようです。

1955年のクリスマスに、彼は自分の内縁の妻が殴られそうだったので、それを阻止しようとした時、相手がボトルを投げ付けたのでやむを得ず撃った、として逮捕されますが、目撃者の証言はそれを覆すものばかりで、裁判の結果、彼は殺人罪で 20年の刑を得て服役することになりました。彼は刑務所の中でも12弦ギターを弾いていたらしく、それについては Big Joe Williams が監獄で12弦を弾く囚人に会ったことがある、と証言していますが、それが Charlie Lincoln だとは知らなかったそうです。

彼は収監されたまま、脳出血で死亡しました。1963年の 9月28日のことです。



今日は夕方近くに郊外の尾開山(おびらき?かな?)の林道に迷い込んでみました。
ま、そこ抜けるとドコに着くか、もマウンテン・バイクで走破したことある道なんで知ってますから「迷い込む」も無いんですが、ものスゴイ登りを辿ってゆくと、深緑の中に赤や紅、褐色に薄黄の「紅葉」が散って、彩りの秋の盛りにまっしぐら、って感じでしたよ。
峠から引き返してみると、樹間を通して、ところどころ灯火が目立ちだした弘前の市街が見え、暗くなってゆく林道を下る間にも、紅葉が陰に沈んでいくのがなかなかケッコウでございます。
と、かような審美的な時間のあと、田澤食堂で美味しいチャーハン!・・・ 食欲の秋でもある、と。
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