She's Mine, All Mine

Arthur Gunter

2003-10-20 MON.





とっても素直な、シンプルかつストレートなシャッフルでございます。初期の Jimmy Rogers を思わせる素朴ながらも味わいのある佳品でございますねえ。
Ernie Young の息のかかった(?)Nashville 録音らしく、やはりベースはあまりキチンと録られてないですが、それでも、今回は聞こえてるほーじゃないでしょうか?とは言え、やはりゴニョゴニョ(?)と音程もあまり定かじゃあないんですが。
ブレイクがらみのステディかつライト( Right じゃあなく Light ね)な仕上がりで、エグさは無いけど、耳に快いヴォーカルですよ。これまでの BLUES 日記を読んでいただいている方はおそらくご存知のコトと思いますが、ワタクシ、ディストーションのかかったヴォーカル(つっても、コトバどおり、ヴォーカルの音声信号ラインにディストーションを掛けてるっつーイミじゃなく、ダミ声、ツブレた声、カスレた声、シャガレた声のコトざます)がダメなんでございます。
Buster Benton やら James Cotton、それに大木トオルなんてのもそーですね。それでもウルフみたく「深み」つーか「奥行き」があるといーんですが、テクスチュアだけ、ってえ感じなのがなんとも好きになれないんですわ。

それと、ギターもシンプルなトーンでいいですねえ。ディストーションのカケラもございません。
そー言えば、かねてよりギモンに思っていることがございまして、ま、ありていにいえば TONEWORKS の Pandora なんですが、あれに入っているプリセットの BLUES ってえ音が「必ず」ハンパに歪んでいるんですよ。
一体それがどーしてブルースなの?って思うんですが、デビー・ディヴィスとかスー・フォーリィとかの音がまさに「それ」なんですわ。
う~んナットクいかんなあ。BOSS のエフェクターで Blues Driver ってのもそゆクランチ気味の音を「ブルースっぽい」としてるんでしょ?それって白人のギタリストが誤解してる「 Blues 」じゃ?って気がすんですが、どーなんでしょ。

この曲はヴォーカルとギターにリヴァーブを「目立つ」ほどにはかけてません。
う~む、これはシカゴ系の音に近付けて、より広い市場を狙ったのだろーか?いつもなら洞穴の奥から聞こえてくるよなヴォーカルも、この録音ではかなり耳元に近付いた感じですよ。
とは言いつつも、ドラムにはちゃ~んと、「それと判るほどの」リヴァーブがかかってて、そこら「さすが」 Excello でございますね。
そのドラムと、あまし音程がとれないベース(これはベーシストが下手とかゆーんじゃなく、Ernie Young が例によってボトム・エンドを軽視した録音をしてるせいです、たぶん)のふたりはクレジットされておりません。
サイド・ギターは Little Al、となっていますが、このヒト、シカゴのブルースマンで最近スイスのブルース・フェスティヴァルにでた Little Al Thomas でも、ナッシュヴィルで C&W 系のセッションに参加してる Al Anderson(以前は Little Al と呼ばれたコトもありましたが、最近はめっちゃデブって「 Big Al 」と言われてる!)でもございません。
生年月日や出生地などのデータは見つかりませんでしたが、どーやら Vanguard の Junior Wells It's My Life Baby ではなんでかドラム叩いてて、Little Lean Woman ってえ曲もある Little Al らしいんですよ。

さて、Arthur Gunter は 1926 年の 5 月23日に Tennessee 州 Nashville で生まれています。
ってとこまではいいけど、その先の詳細な情報が記載された資料が見当たりません。いつもなら叔父さんにもらったギターだのラジオから流れて来たサニー・ボーイを聴いて・・・なんつーエピソードのひとつやふたつ出てきて、ま、不完全ながらもあるてーど、そのブルースマンの方向性みたいなもんが感じられたりするんですが、そのヘンが霧の中でございます。
ただし EXCELLO のライナーノーツには、幼少の頃から兄弟や従兄弟(これが日本でいう親の兄弟姉妹の子供、という意味よりはもっと広い範囲の「親戚」という意味で使われているようなので要注意ですが)とともに Gunter Brothers Quartet というゴスペル・グループのメンバーであった、という記載はあるようです。
1950 年代に入ってから、Ernie Young(Ernest Lafayette Young は1892 年の12月 2 日、Tennessee 州の Giles County で生まれています。つまり Arthur Gunter の 34 才年上ですね。1951 年の 8 月に Nashboro Records を設立していますが、1952 年の 8 月には、その下に Excello を発足させています。どちらも 177-793rd Avenue.North の通信販売で業績を伸ばしてきた Ernie's Record Mart に併設されていました。
Excello の記録した最初のヒットこそ、この Arthur Gunter がピアニスト Skippy Brooks & Kid King's Combo とともに吹き込んだ Baby, Let's Play House で、1955 年 1 月29日に R&B チャートに登場し最高 12 位まで登りつめています(リリースは 1954 年 11 月)。ついでながら同日登場した B.B.の Everyday I Have The Blues は最高 8 位にまで達しました。Arthur Gunter の Baby, Let's Play House は、その後エルヴィスにカヴァーされたことで有名になりますが、本来、Eddy Arnold のナンバー I Wanna Play House With You へのアンサー・ソングでした。また、その1955 年からは、Louisiana 州 Crowley の Jay D. Miller と手を結び、一連の有名なセッションをリリースすることとなります。
しかし 1966 年、Ernie Young は彼のもとで働いていたゴスペルのプロデューサーだった Shannon F. Williams に Excello を売却しました。
1977 年の 6 月 8 日、Tennessee 州 Nashville の自宅で、彼は妻と二人の兄弟、そして一人の継子、Mississippi 州 Jackson の Glenn H. Massey を残して亡くなっています
)と知り合い、Excello でセッションに参加したりしていたようです。
1954 年には彼がかって在籍していた、とも言われる Kid King's Combo とともに吹き込んだ Baby, Let's Play House が Excello にとって「初の」ヒットとなります。
それとほぼ同時期に吹き込まれた(?)のが今日のブルース She's Mine, All Mine とゆーことになりますが、1954 年とあるだけで、何月ころかクレジットが無いんで「同時期」と決めつけるのはモンダイあるかも。

実はこの Arthur Gunter、ここでたびたび採り上げている 1973 Ann Arbor Blues & Jazz Festival にも、先日の Eddie Burns と殆ど同じ(つーことは、例の Mack Collins の The Partymakers Incorporated ね)バッキング・メンバーで出演し、「往年」の大ヒット、Baby, Let's Play House を演奏しております。

しかし、その 3 年後、1976 年の 3 月16日、肺炎によって、34 才も年上だった Ernie Young に先立つこと 1 年 3 ヶ月、Michigan 州の Port Huron で、わずか 49 才の若さで死亡したのです。
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