Somebody Have Mercy

Otis Rush


2003-10-27 MON.

さあ、大物の登場です。しかし、大物だけに、彼のブルースでどれをピック・アップするか?はずいぶん悩みましたよ。
演奏の質としては(チューニングが甘い、後半ダレるなど・・・)アレだけど、やはり Ann Arbor での Gambler's Blues もいいし、Sugar Boy Williams こと Joseph Leon "Jody" Williams の Little Girl のとこでも言いましたが、パクリ疑惑がつきまとうとはいえ、All Your Love も捨て難いし、ツェッペリンにカヴァーされた名曲 I Can't Quite You, Baby、そして彼のトリッキーなヴォーカルのメロディー( Treat me The Way~のとこの急に上がるとこねん)がスゴい It's My Own Fault、そして一度、聴いたらスグ覚えちゃいそな Home Work など、ありがちなフレーズながら「枚挙に暇(いとま)が無い」とはまさにこれでございますよん。

そんな中で選んだのは、かって、「ぶぎうぎぶ」で蓮池クンの持ち歌としてやっていたこの Somebody Have Mercy です。
重心の低いスローなブーギにホーンをアレンジしたナンバーで、この曲での Otis Rush のギターはショージキあんまし「らしく」はないのですが、なんといってもヴォーカルがいいのですよ。
Otis Rush のブルースには、いつだって独特な翳りを感じるのですが、それは彼が何度か経験した不遇の時期によるものなのでしょうか?「悲愴感」とまで言ってしまうと、ちょっと大袈裟すぎるけど、「哀しみ」や、あるいは「辛かった記憶」といったものが、ココロの底層部に淀んでいて、静かに「醗酵」を続けているよな彼ならではの「重さ」が、良くも悪くも Otis Rush のブルースを他の誰とも違う位置に導いているような気がしています。

ワタシ自身のギターを形成したブルースマンの列には入っていないものの、Otis Rush はやはりワタシにとっては特別な存在です。ワタシのギターってのは、かってブルース喫茶をやってた時に、ヒマな時など、レコード(当時はまだ CD なんて無い時代ですからねえ)に合わせて弾くことで方向が決まっていったようなものなのですが、そこで皆様が「想像」されるのとは異なり、レコードと一緒には弾くけど、絶対にコピーはしないのです。つまり、必ず「共演」するつもりで、「マッチはするけど、ちゃうフレーズを弾く」のです。こーして、Buddy Guy を一番のセンセーに出来上がったのがワタシのギターです。後には Johnny Guitar Watson が、Albert Collins が、そして Clarence Gatemouth Brown もその師匠に加わりました。

しかし、Otis Rush は、それが「出来ない」のです。それは前述の「重さ」から来るものなのかもしれませんが、他の師匠のみなさんはどこか「ギターが楽しくてしょーがない」って部分があるよに思えるんですよ。でも、Otis は・・・
楽しむ、なんて、そんなとこに力点を置いてない、というか、もっと根源的なところからの表出としての「彼のブルース」があるように思えて、そんな気軽に一緒に弾いてみよ、なんてもんじゃないんですね。
ネが「おちゃらけた」ワタシの性格からいくと、そんなヘヴィーなセンは「敬して遠ざける」場合が多いのですが、Otis Rush だけは、そーするには「あまりに魅力がある」のでございますよ。
そして今日のブルースとして採り上げた Somebody Have Mercy は、そんな彼の「前向き」なパワーが感じられて、忘れ難いナンバーなのです。このアルバム Ain't Enough Comin' In では、他にも印象的なナンバーが多く収録されていますが、やはし、この曲を聴くと、「行け行け~っ Otis!」てな気分になるのですよ。ま、ワタシだけかもしれませんが。

Otis Rush が生まれたのは 1935 年の 4 月29日、場所は Mississippi 州の Philadelphia でした。最初に覚えたのはハープでギターは 8 才から、などと言われておりますが、これほどのビッグなブルースマンについちゃあ、ワタクシがゴタゴタ言うまでもなく、みなさまとっくにご存知か、でなくとも、あちこちにもっと「ディープに」迫ったサイトなどもございますゆえ、ここではカンタンな Timeline を述べるに留めておきましょ。
1934 7 人の子供たちの一人として Otis Rush 誕生。1942 ギターを弾き始める。1948 Chicago へ。1954 本格的にギター。1956 Cobra Records とサイン。1960 CHESS Records とサイン。1961 Duke Records に変わる。1969 Cotillion Records と契約。1970 Capitol Records と契約・・・どーです?ケッコー目まぐるしいですね。
かなりの変動のある人生だったのでしょうか?日本の P-Vine で録音しようとした時に、自分の持ち歌でありながら、その歌詞をあらかた忘れてしまっていた、というエピソードもありました。
いま現在、もっとも真摯にブルースを演奏出来る最後の「巨人」かもしれません。

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