Never call me so!


Ultimate Mystery


2003-10-29 WED.

今日の BLUES 日記はちょといつもとちゃいます。
個別の曲ではなく、ある存在を主体にしたいからです。
でも、長いこと、採り上げるのをためらって来ました。それはナゼか、って言うと、日本のブルース関連サイト(いえいえ、時にはロック系サイトや、フォーク系サイトも)でしか通用しないバカげた短縮名( Jimi Hendrix を「ジミヘン」と言うような)が乱発され、しかもそれが「親しみの表現」であるかのように正当化されているのがガマンならないからなのです。

ま、別に誰も日記の感想を板に書き込んだりしなければモンダイは無いのですが、ヘタにその短縮名を使って書き込みなんぞされた日にゃあ、当 HP 全体の「品位」が(いまだってボロボロだけど、さらに)穢れるっつーものでございます。
ワタシは「それ」を「見るだけでもイヤ」なので、ここでも「それ」は一切、サンプルとしてでも使いません。

日記をご覧になって、なにか言いたいことがおありの場合でも、「必ず」正しいフル・ネーム、あるいは苗字を使ってお書き込みくださいませ。ワタクシは自分の板で、その略した名前は見たくないので、もし故意ではないにせよ使用された場合は管理人権限で「即座に」削除させていただきます。

ハタから見たらつまらないこだわり、と思えるでしょうが、世の中には、そのような「狎れ狎れしい」無神経さを非常に「不快」に思っている層も存在する、ということを判っていただきたいのです。
ま、みなさまがご自分の HP や板で「お使い」になるぶんにはいっこうに構いませんので、どうかウチの板だけの「ルール」としてよろしくお願いいたします。

これだけのモッタイつけた前書きで今日、採り上げるのは・・・
Robert Johnson ─1911年 5 月 8 日、Mississippi 州 Hazlehurst で生まれ、1936 年と 1937 年の録音で、それ以降のブルースを変えてしまった男。
伝説では、深夜、十字路に立ち、そこに表れた黒い巨人と契約し、魂と引き換えにギターの腕を手に入れた、と言われる男。
オンナにからんで、その嫉妬深い亭主に毒殺された、と言われる男。
彼の「本当の」墓はどこにあるのか?が TV の番組にまでなりましたが、その探求の前にはやはり濃い霧が立ち込めています。その伝説もまた彼の一部なのでしょうが。

Mississippi 州 Hazlehurst(一部のサイトでは「 Hazelhurst 」と綴っていますが、それは Wisconsin 州にあり、Robert Johnson が生まれた Mississippi 州の Hazlehurst ではありません)はそんなに大きな街ではないようで、2000 年のデータでは人口が 4,400 人(うち女性がやや多く 2,408 人、男性が 1,992 人)といいますから、ちょっとイメージしづらいですが、それでも Hazlehurst City だそうですから、アメリカの地方行政の法制は日本とはだいぶちゃうようです(日本じゃ、そんな人口少なかったら「市」にはならないんじゃなかったっけ?)。州都 Jackson からは南南西に 50km ほどの位置にあり、この市の中心を State Highway 51 が南北に貫き、その少し西には、同じように Route 55 が南北に走っています(でもこれって後から出来たバイパス臭いなあ。ムカシは State Highway 51 が Route 55 だったのかも?)。どちらも北に辿れば Jackson です。
父の名は Noah Johnson、母は Julia Major Dobbs だったようですが、母は再婚で、継父の Charles Dobbs がいました。そして「どちらの父も」彼の成長にはあまり関心が無かったようです。また Charles Dobbs は個人的な恨みを買っていたらしく、復讐されるのを恐れて苗字を Spencer に変えていたため、彼自身も一時期 Robert Spencer となっていたとか。ただし、これについては異なる証言もあり、R. L. Spencer や、さらに他の名前も名乗っていた、とも言われています。
さらに Johnson 姓を名乗った時には Lonnie Johnson( 1894 or 1889 年、New Orleans 生まれ、最初はヴァイオリンに興味を持ったようだが後にギターに転向。1925年11月 2 日に初吹き込み。以後1932年までにおよそ130曲を吹き込む。1928-29 には白人のジャズ・ギタリストで Blind Willie Dunn としても活動していた Eddie Lang とも録音しています。1969年、カナダのトロントでクルマにはねられ、それが原因で翌1970年に死亡。Robert Johnson が吹き込む前にすでに「スター」でした)の縁者である、と主張したこともあったようです。彼が恵まれなかった「家族」というものに対する「憧れ」がそうさせたのかもしれませんね。

Robert Johnson 自身はさほどギターの才能には恵まれてはいなかった、と言います。証言によればサン・ハウス( Eddie "Son" House )がギターを教えたらしいのですが、およそ基本からその応用にいたるまでをサン・ハウスから学んだとされています。
しかし、それについては別に Ike Zinnerman の存在を重視する見方もあります。1931年に彼がいったん Robinsonville を出た(一説では実父を探そうとしたとか)時に出合ったのがこの伝説的なギタリストらしいのですが、録音が残っていないため、その腕前などは推測の域を出ません。
それはともかく、彼はこのギタリストのもとでめざましく上達し、素晴らしいギターを弾くようになった、と。
Robinsonville に帰って来た彼のギターを聴いたサン・ハウスは、そんな短期間で巧くなったのは「魂を悪魔に売った」からに違いない!と言ったそうです(ってのも伝説かも?)。

いやはや、本人が早くに死んでしまっているために、伝聞やらそれぞれの証言が錯綜し、いったいドコまでが本当なのか、資料の霧は実に濃密で、これじゃアナがあっても判らんよね。

てなワケで今日はレコーディングにまでも辿り着けなかったけど、ま、いっか。

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