Hellhound Trail

2003-10-31 FRI.

さて、マブタの父 Noah Johnson を探して Hazlehurst に向かった、なんて言うのもひとつの伝説である可能性があります。
実際はどうだったのでしょうか?その動機についてもっと「冷静な(?)」ブンセキをしている資料では、小作農として報われない仕事に取り込まれて行きそうな Robinsonville での生活から脱出するためだった、としています。
いずれにしても、Hazlehurst では父に会った、という話しも無く、ジューク・ジョイントやランバー・キャンプでの演奏に巡っていたようです。
その間に出合ったのが、年上の女性 Calletta "Callie" Craft だったのでしょう。

そこから帰って来た Robert Johnson がトツゼン腕が上がっていて、その前を知っている Son House や Willie Brown がビックリしたのは有名な話で、それによって「悪魔と契約」のエピソードも生まれたのですが、この時点で、後に吹き込まれたあの歴史的録音で聴かれるようなギターが「完成」していたんでしょうか?
Ike Zinnerman の存在や、あるいは各地のジューク・ジョイントなどでの経験が彼のスタイルを作り上げていったのかもしれませんが、それ以前に彼にとってアイドルでもあった Willie Brown から学んだもの、そして直接教えられた Son House から受け取ったものが「時宜を得て」開花したのかもしれませんね。

極端な言い方をすれば、Robert Johnson は、彼以前のブルースを魅力あるカタチで総括し、それ以降の世代に手渡した「結節点」だったのではないか?という気がしています。
当時の有名な(あるいはまったく無名な)ブルースマンたちの演奏に触れ、そこで耳にしたブルースを自分なりの演奏に消化してゆく過程で、その曲が劇的な変化を遂げ、永遠に近い生命を持つことになったのではないか?と。

Robert Johnson は南部一帯の小さなクラブやジューク・ジョイント、さらには集会などでも演奏し、つねに次の「場」を求める生活だったようです。
1935 年には彼と一緒に活動をしていた、と言う Johnny Shines によれば、「 Robert Johnson は根っからの放浪する人間だった」と。
街から街へ、演奏できるところならばどこにでも出向いて行ったようです。
貨車に飛び乗り、トラックの荷台に乗り、たまたまチケットを買えるカネがあるときはグレイ・ハウンドで旅を続けたといいます。
彼は自分で作った曲だけではなく、先人たちの残したブルースや、もっと一般的なポピュラーも演奏していたようですから、表現言語をそれだけ豊富に持つことになったのかもしれませんね。

資料によれば彼は Mississippi 州 Jackson にあったレコード・ショップの白人の店主 H.C. Speirs にアプローチして ARC のスカウトマン Ernie Oertle に会うことができたようです。
Oertle は Robert Johnson を Texas 州 San Antonio に伴い、そこでレコーディングを行うことになりました。
1936 年11月23日に、前日の W.Lee O'Daniel & His Hillbilly Boys と次に控える Hermanas Barazacon guitarras の録音との間に行われています。
Columbia C 30034(アナログ・ディスク)の King Of The Delta Blues Singers. Volume Ⅱ のジャケットのイラストを信じるとするならば、録音は San Antonio のホテルの部屋で行われ、ふた部屋の間のドアが上半分ガラスであるのを利用して、一方を録音ブース、他方をミキシング・ルームとして使用しているようです。
マイクはカーボン・マイク 1 本を立て、そのケーブルがドアの下のスキ間を通って隣りの部屋に入り、管球式のドライヴィング・アンプに入り、その出力が直接カッティング・マシーンへ、という構成でしょうか。

カーボン・マイクというのは炭素粒を 2 枚の電極で挟み、そこに電圧を掛けます。一方の板が音圧を受けるようにしてあって、その圧力に応じて「抵抗値」が変わるため、入って来た音に応じた電圧の変化を検出できる、というワケです。その構造上、広い周波数帯域には適合できないため、それで録音されたものは「独特の」狭帯域感があります。

この時に録音されたのは Kindhearted Woman Blues や I Believe I'll Dust My Broom、そしてあまりにも有名な Sweet Home Chicago さらに Rambling On My Mind、When You Got a Good Friend、Come On In My Kitchen、Terraplane Blues、Phonograph Blues、32-20 Blues、They're Red Hot、Dead Shrimp Blues、そしてこれまたとてつもない広がりを見せることになる Cross Road Blues、「巣」の今回の一日一枚でも登場している(バターフィールドね。もちろん原型は Robert Johnson だけど)Walking Blues、Last Fair Deal Gone Down、Preaching Blues( Up Jumped the Devil )、さらに If I Had Possession Over Judgment Day・・・Robert Johnson はカネを受け取るとミシシッピー・デルタのなかに消えていきます。
この時から、アメリカの「ブルース」は(広い意味では「アメリカ音楽」そのものまでも)不可逆的な変成を遂げたのだ、ってのは言い過ぎでしょうか?

翌 1937 年の 6 月、Robert Johnson はふたたびレコーディングの現場に帰ってきます。この時の録音は同じ Texas 州ではありますが、Dallas で行われ、Hellhound On My Trail、Little Queen of Spades、Malted Milk、Drunken Hearted Man、Me and the Devil Blues、Stop Breakin' Down Blues、Traveling Riverside Blues、Honeymoon Blues、そして Milkcow's Calf Blues を 3 テイク、Love in Vain の 4 テイク(他はすべて 2 テイク)を録音しました。

その翌年、彼は St.Louis や Memphis、そして Mississippi 州内を旅し、次第にその終焉の地に近付いて行くのですが、今日はここまで。

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