Heaven or Hell?

2003-11-01 SAT.

Mississippi 州 Greenwood。位置としては、ちょうど Robinsonville と Hazlehurst の中間あたりに位置します。
あの有名な Dockery Farm にも近く、また某レコード会社(てなコト言っても、次の名前を見たらバレバレでんがな)がその名前をいただいた鉄道「 Pea Vine Railroad 」の路線もあったようですが、この Pea Vine railroad ってたしか、テネシー河を越える橋が完成して自動車の方が圧倒的に便利になっちゃったもんで、次第に採算性が悪化して、ついには 1936 年10月31日を最後に「廃止」に追い込まれちゃったんじゃなかったっけ?1937 年だったかな?

1938 年の 8 月13日の土曜日。その夜、Robert Johnson は Mississippi 州 Greenwood 郊外のジューク・ジョイントで演奏をしていました。それは Three Forks にあった Shaples General Store(つまり雑貨店ですね)のバック・ルームにあったようです。
そこでの演奏が終った後、午前 2 時半ころに気分の悪くなった彼は Greenwood の Young Street 109 番地の黄色いペイントを施された家に担ぎこまれ、そこで三日後に息をひきとりました。

この件に関する見解はいくつかあって、死因については「刺された」と「毒殺された」と「病死」の三つが取り沙汰され、また、もし他殺だとすると、その犯人は「その時に付き合っていたオンナが嫉妬から」というのと「その時に付き合っていたオンナの亭主が嫉妬から」という二つが「まことしやかに」語られてきました。
たしかに Robert Johnson が Greenwood のとある女性と「非常に」親しくしていたことは広く知られており、それ故にウィスキーにストリキニーネのような毒物を入れられた、というのが「信じられやすかった」のは確かでしょう。

この時 John Hammond によって『 Spirituals to Swing concert 』がカーネギー・ホールで計画されていたのですが、そのさなかにミシシッピーから悲報が届いたのでした。「 Robert Johnson が死んだ。嫉妬したガール・フレンドに毒殺された」と。このニュースがまず行き渡り始めたのでしょう。
また「口から泡を吹き、まる四日間、のたうちまわって、看護するひとにつかみかかるなど狂った犬のようだった」などという恐ろしげな描写も伝えられたようです。
また、彼は松材の棺に入れられ、なんのマークもない場所に埋められた、と。
彼の遺言とされているのは、「 I pray that my redeemer will come and take me from my grave.(私は、贖罪者が来て、墓から私を連れ出してくれるように祈ります。─だと思う)」という言葉です。

1970 年代の中頃、 Steve LaVere というオトコが Robert Johnson の曲の印税関係に興味を持ち、調べていたところ、唯一の近親者として、異父妹(姉かもしんない?) Carrie Spencer の存在をつきとめ、権利関係を管理する財団、the Robert Johnson Estate の運営をもちかけ、結果として、彼女に雇われてそこで働くカタチになりました。さっそく彼は Robert Johnson の演奏した曲を採り上げたアーティストに対し、支払いを求める業務を開始しています。
それらの一連の業務の中で LaVere は他にも Robert Johnson の遺産に関わってくる存在はいないのか調査をしていましたが、その過程で Robert Johnson の「死因」に関する新しい解釈を与えることになりそうな文書に遭遇することとなります。
それ以前の関係書類としては、ミシシッピー州の検死官による公式の報告書に記載された表現しかなく、それにはこう書かれていました。
「死因:医者にかからなかったため( No Doctor )」
・・・おいおい、それって「死因」か?と思わずツッコミたくなりますよねえ。

新たに発見されたのは、前述の Robert Johnson が死を迎えた家、Greenwood の Baptist Town と言われた一角、( Honey Boy Edwards の記憶を信じれば)Young Street 109th の家主の陳述を含む文書だったようで、それによれば、Robert Johnson は梅毒からくる合併症で死んだ、と述べられていたようです。
これについては別な資料でも、ほぼ四日間にわたって彼は発汗し、毒素を体外に排出することに成功しかけていたが、そこで持病からくる肺炎が悪化して死亡した、としているものもあります。
この件に関して LaVere は数人の Robert Johnson の友人たちにもインタビューをして調べているようなのですが、梅毒からの合併症が死因、という見解について、それを否定するような証言は得られなかった、としています。

ただし、多くの人たちにとっては、毒殺説こそが「伝説」に相応しいものだったようで、いまでも、Robert Johnson をドラマティックに語るコトバの中には必ずこの「毒殺説」は登場し、それが残す印象があまりに強いために、その部分だけが独り歩きを始めてしまうのかもしれませんね。

彼が最後に演奏した Shaples はとっくに無くなり、Three Forks も現在では Highway 82 と 49E の交差する円環状の交差点となっているそうです。

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