Wild About You Baby

Hound Dog Taylor



2003-11-25 TUE.
1972年の Ann Arbor では Brewer Phillips のソロをメインにした Kitchen Sink Boogie が収録されておりましたが、この1973年の Ann Arbor では Hound Dog Taylor のエルモアチック(?)なスライディング・リフで始まるギンギンのブーギでございます。Ted Harvey のズンドコ・ドラムと独特に歪んだ「お下品な」スライド・ギターの取り合わせが実にステキじゃあございませんか。
この重心の低い、いささかワイセツな腰の動きが似合いそな Hound Dog のブーギあたりが「いい」とおっしゃる方はかなり「ブルース度が高い」、と勝手に決めつけておるくらいでして。

さて、Theodore Roosevelt Taylor がいかにして「 Hound Dod Taylor 」になったか、ってえと、ある夜、彼がクラブで二人連れの女性をシツコク追い掛けまわしてた時、友人がそれを見て「いつもエモノ追い掛けてるよな〜」っつう意味で猟犬( Hound Dog )って名前をつけたんだって。なんだかなあ、ケッコー安易なのねえ。もっとスゴいエピソードでもあるか?と思ったんだけど、ザンネンでした。

ところで、このズンタ・ズンタってえカッチョいーんだかダサいんだか判んないよなドラム叩いてる Ted Harvey ですが、最初っから Hound Dog のメンバーだったワケじゃありません。
最初のドラムは Levi Warren というひとなんですが、ちとその資料は見つかりませんでした。
その Ted Harvey と Hound Dog Taylor が初めて出会ったのは1955年、Elmore James のバックでドラムを叩いていた時で、1963年の Elmore の葬儀でまた会っています。その時から Hound Dog は誘い続け、1965年には Houserockers に正式に加入しました。
そして、その時から Houserockers は三人で固定したワケです。Hound Dog がヴォーカルとスライド・ギター、Phillips(なんでか彼はダレからもファースト・ネーム「 Brewer 」では呼ばれないんだって)が低音弦でベースを弾いて、時としてリード、そして Ted Harvey がドタバタと景気づけのドラムで間隙を埋めて行く。
とても三人とは思えない大音量だったそうですよ。

The Houserockers は、ライヴの前にゼッタイ、リハしないんだって。
おまけに、揃って呑んべえらしく、どっかのダレかさんみたく、一定量の「燃料」が入るまではステージに出なかったらしい(!)。
ショーを通じて呑んでたようですが、Hound Dog は最初ウィスキーをショット・グラスでストレートであおり、続いて「混ぜた」もの、最後はビールになるらしいんですが、ともかく速いペースで呑んでたようで、この三杯をあまり間を空けないで次々と、なんだって。これでやっと「準備オッケー」で演奏を始めるそうですからスゴい!

ところで、酒が入ると臆面が無く(?)なってフダンじゃ恥ずかしくて出来ないことが平気で出来たりして、ある種の(気が小さい、とか内向的な)ひとは呑んだほーが「いい」演奏が出来たりすることもありますけど、それも「酩酊」の域に近付くと、まず自分の音が聞こえないよな気がするんでギターの音量がデカくなり、次に正確な音高がとれなくなるんでチューニングが出来なくなっちゃうのよね〜。つまりリッパな「ハタ迷惑」となるのでございます。
あ、でも、酔ってても出来る、ってのがブルースの「いいところ」かもね。まずクラシックの四重奏あたり、一人でも酔っ払ってたら出来っこないでしょ?そゆ譜面通りにやんなきゃ、って音楽(そのイミじゃビートルズみたいなポップスだって、オリジナルの通りやろう、なんてゆうフル・コピーは「モデル」があるワケだから譜面と一緒だよん)は呑んでたらもームリっしょ。

とゆーワケで、みなさま、楽しく呑みながら出来るブルースをこれからもよろしくね。
シラフじゃなきゃ出来ない、なんて難曲はそゆ「職人さん」たちにお任せして、ワシらは「生きた音楽」を作っていきましょ。

さて、ここで Brewer Phillips についても少し。
彼は1924年11月16日、Mississippi 州の Coila( alt. Coita )のプランテーションで生まれています。Eddie Taylor とは一緒に魚釣りなどをした遊び仲間だった、とか、Memphis Minnie にブルースを教わった、などという記述も散見されたりはするのですが、その信憑性のほどは不明でございます。
やがて Memphis に出てプロのミュージシャンとしてのスタートを切ったようで、彼の最初のレコーディングは Roosevelt Sykes のセッションでバックを務めた Bill Harvey のバンドの一員としてだったようですが、1957年から1975年までは Theodore "Hound Dog" Taylor と行動を共にすることとなります。
そこでの彼はサム・ピックで低音弦でベースの替わりをしつつ、残った指(こっちはピック無しね)でコード・ワークをこなしたり、時には突き刺すようなトーンでテレキャスターからのリード・ワークをこなしたりしております。ホンの冗談から Hound Dog Taylor に「撃たれ」、彼は Houserockers から離れましたが、死の床にあった Theodore "Hound Dog" Taylor を見舞いに訪れ、和解した二日後に息をひきとる、というドラマもありました(詳しくはこちらで)。

その Hound Dog Taylor が死んだ後も彼はシカゴのブルース・シーンに関わり続け、たしか 4 枚ほどアルバムもリリースしてるハズです( Whole Lotta Blues JSP-1983 から Homebrew Delmark-1996 まで)。
その Brewer Phillips も1999年 8 月30日に Chicago で死亡しました。
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