Good Morning School Girl

Sonny Boy Williamson I



2003-11-26 WED.
先に Sonny Boy Williamson Ⅱ をやっちゃいましたが、実際の年齢はこっちのほーが若いんですよ。「Ⅱ」が諸説あって、1899年から1909年のどれかの(?)12月 5 日ってえことになってますでしょ?一方の「 I 」は1914年の 3 月30日ですからねえ。どー見たって Ⅱ 世のほうが年上、っちゅう「それじゃ逆でしょ?」な状態なのでございます。

素朴なハープにこれまたシンプルなギターが絡んで来て、ヴォーカルが始まってからは Sonny Boy 自らハープでチェイス、ってえ構成でございます。この曲についちゃあ、特徴的なリフで飾った Junior Wells のヴァージョンのほうがもしかすると知られてるのかもしれませんが、このシンプルさも捨て難いものがあります。
この曲は、1937年 5 月 5 日、Illinois 州 Aurora の Leland Hotel の最上階で録音されています。ギターは Joe Williams と Robert Lee McCoy ですが、もちろんご存知の方も多いとは思いますが、この Robert Lee McCoy ってのは「あの」 Robert Nighthawk でございます。この時期の Robert Nighthawk は St.Louis で暮らしてて、Bluebird スタジオとの間を往復していたそうです( 7 月22日の日記でも採り上げていますのでそちらもどぞ。)。
この時はかなりのハード・スケジュールだったらしく、Robert Nighthawk 名義 6 曲、Sonny Boy 名義 6 曲、Big Joe Williams 名義 4 曲、さらに Walter Davis 名義で 8 曲を収録しています。
Sonny Boy 名義の曲は他に Bluebird Blues や Sugar Mama Blues、Jackson Blues、Got The Bottle Up And Gone、Skinny Woman などがあります。しかしこの Good Morning School Girl がやはり最大のヒットだったのではないでしょうか?
前述したように Junior Wells にカヴァーされ、さらにはロックの方でもグレートフル・デッド、ヤードバーズ(ただし、ちょっとアレンジされてて、むしろインスパイアされて作った曲と言ってもいいかも。『Five Live Yardbirds 』Repertoire に収録、タイトルは「 Good Morning Little Schoolgirl 」)、ステッペンウルフ、クラプトン、テン・イヤーズ・アフター、ジョニー・ウィンターもやってますねえ。
また Me And My Chauffeur Blues の元ネタって気もすんだけど・・・

John Lee Williamson(つまり Sonny Boy Williamson 1 世ね)はレコードがまだ 78 回転の SP だった1930年代から1940年代にかけて実に 120 曲ほども吹き込んだ戦前の代表的なブルースマンのひとりでした。
その彼が生まれたのは、前述の通り1914年の 3 月30日で、tennessee 州の Jackson に近い Madison County の南西部あたりでした。
彼はほとんど Jackson 周辺で成長し、異母兄弟、あるいは異父兄弟の T.W. Utley とともに叔父あるいは伯父の Fred Utley がいた St.Louis に向かっています。
彼のキャリアはその St.Louis から始まっており、彼の音楽を形成した重要な地であったようです。
まず Blairs Chapel Church に所属する the Four Lambs というゴスペルのカルテットに 10 才で参加し、その後 Sleepy John Estes や Homesick James とも仕事をするようになったそうですが、それでもまだティーンエイジャーですからね。
また Billy Boy Arnold にハープの「チョーク」を教えてくれたのも Sonny Boy だったそうです。およそ、ブルースでハープがメインとなり得ることを初めて証明したのが Sonny Boy と言われていますが、ハープのみならず、彼の曲もブルース界に大きく貢献しているんじゃないでしょか。特に一連の Bluebird に吹き込まれた作品群は「Bluebird Beat」と呼ばれています。
ブルース・ハープの世界に偉大な足跡を残した Sonny Boy、その彼が結婚した女性は Lacey Belle と言って、彼女の名前を冠した曲があるくらいなのですが、1948年のある寒い朝に Lacey が自宅のドアを開けると、そこには何者かに襲われて虫の息になっている Sonny Boy を発見したのです。最期の言葉は「 Lord have mercy 」でした。同じ Chicago の the Plantation Club での仕事からの帰りだったといいます。

機会がありましたら『 RCAブルースの古典』 BVCP-8733〜4 で彼のブルースに触れてみてくださいませ。
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