Trick Bag

Earl King



2003-11-28 FRI.
Earl King の有名なヒット曲名です。( 1976.9.11 Sea-Saint Recording Studio, New Orleans. From New Orleans Jazz & Herritage Festival 1976

Earl King と言えばこりゃもう、あまりにも有名な Those Lonely Lonely Nights も忘れちゃならんのでございますが、今回はちょとはぐらかして(?)、Trick Bag を。
独特なコードワークが刻むフシギなサウンドは A6/A6/A6/A7 という構造でトニック部分( 8 小節)で鳴り続け、サブ・ドミナントにブレイクで上がってからは普通の進行となるので全体が 16 小節となります。
しかし、この音作り、なんとなく不完全燃焼感を持つのはワタシだけでしょか?このリフとヴォーカルのメロディー・ラインが補完関係になってない!なんて言ってるのはやはりヘソ曲がりの証明かも。

Earl Silas Johnson IV(!)は1934年 2 月 7 日、New Orleans で、7 番目の子供として(父もまた 7 番目の子供だったようですが)生まれています。彼の父は "Tuts" Washington にくっついてた(?)有名なピアニストだったらしいのですが、彼がまだ幼いうちに死んでいます。母はがっしりした体格で "Big Chief" と呼ばれ、人種を超えて Constance Street 2834 の Irish Channel で育ちました。
彼は子供時代、the Antioch Baptist Church の合唱隊に参加し、隣り近所の仲間とゴスペル・グループも結成しています。「教会での務めははたしたよ」 Off Beat 誌に、この「 Trick Bag 」が録音された Sea-Saint Studio で語っています。「でも14才になったとき Big Marys ってとこで Smiley Lewis を聴いたんだよ。もちろん、そんなとこにいていいワケじゃないし、母からも禁じられてたんだけど、どうしても聴きたかったんだ。Sal の店で Smiley を見たんだけど、そこにもひとりピアニストで Hold That Note Sam って呼ばれてるのがいたな。」
ある日ギターを弾く友人の John Davis とふたりで街角でゴスペルを歌っていたところ、ひとりの男が近付いて来て「カネがほしかったらブルースを歌え。ゴスペルじゃカネにならんぞ」と言ったそうです。その男は Victor Augustine と言って、 Dryades Street に店を持っていました。そしてレコード会社のタレント・スカウトを知っているので興味があったら訪ねてくるように、と住所のメモを渡して去って行ったのです。しばしためらった後、その住所を訪ねましたが、その建物には「 House of Hope-Dr. Mighty the Voodoo Man 」とあったそうです。
中に入ると、誰かが弾くブギ・ウギ・ピアノの音が聞こえ、香が漂ってくるドアをノックすると、中は「まじないモノ」やらお香、蝋燭、預言書、フシギな水にレコードを売っているお店でした。
Earl が(まだ King にはなってないのじゃ)オーディションを受けに来た、と告げると、 Doc [Augustine](?)は二人をピアニストの Huey Smith!に引き合わせたのです。
Huey Smith は Earl に最初の仕事として、自分のグループのヴォーカリストとして Algiers のクラブで歌わせることにしました。しかし、ヴォーカルのみ、という人材を雇い入れるほどの余裕は無かったため、Earl にギターが弾けるようになるよう奨めています。このころ、Earl は週ごとに the Dew Drop Inn と the Tiajuana で行われていたタレント・ショーに応募し、何度か優勝しています。
特にこの The Tiajuana では彼が様々なミュージシャンと出会う場となりました。Ernie K-Doe、Billy Tate、Eddie Bo、Robert Parker に Lloyd Price、そしてタレント・スカウトにも。また彼のギターに大きく影響を与えた Guitar Slim もこの Tiajuana で見ています。「ホントにギターに興味を持つようになったには Tiajuana で Guitar Slim を見てからさ」
Earl にとっては Guitar Slim が彼に語ってくれたひとつひとつがとても重要な遺言となったようで、とかく陽気でおちゃらけたキャラクターと捉えられがちだった Guitar Slim の言葉の中の真実の響きに耳を傾けていた唯一の人間だったのかもしれません。
特に、曲作りにおいて、心理的な側面から、聴衆が欲するところを掬い上げることの重要さ、また構成では一番より二番、二番より三番が「強く」なければいけない、などのノウハウを残してくれた、と Earl King は回想しています。

その後、1953年の 6 月に彼は Savoy に Have You Gone Crazy / Begging At Your Mercy を吹き込んでいますが、モチロンまだ Earl Johnson 名義となっています。しかし Savoy はこのシングルの売り込みに熱心ではなく(というのも、この時期 Huey Smith を優先していたから、と思われます)、彼のデビューは失速してしまいました。
つづいて彼がサインしたのが Guitar Slim の Specialty で、そこでの初シングル Mothers Love こそは、彼が Earl King に変わった記念すべき作品となったのです。
ただし、Specialty の Art Rupe は King Earl と命名したハズだったのですが、ちょっとした手違いから Earl King として「印刷」されてしまったのでした。
このレコードが動き始め、Frank Painia のブッキングで Alabama と Texas のツアーを開始しています。
ただ、Mothers Love は「あまりにも」 Guitar Slim 的だったため、売れるのは Guitar Slim のレコード、という現象が起こり、特にジューク・ボックスなどでは、Mothers Love の演奏者の欄に「 Guitar Slim 」と書かれるほどで、結局 Earl King はこのままではいかん、と別な途を探すことになります。
Specialty を離れた King は1955年に Johnny Vincent の新設した Ace に移籍。そして、この Ace での Earl King の最初のリリースが Those Lonely Lonely Nights なのです。まず地域的なヒットとなり、続いて Well O Well O Well O Baby、Weary Silent Nights、Buddy Its Time To Go などがその後を追うカタチとなりましたが、もちろん Those Lonely Lonely Nights を凌駕するほどのセールスには至っていません。

とゆうところで、Trick Bag にまで辿り着けへんかったけど、字数からいってここらが区切りだな。
つづく・・・かもしれない(?)。
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