Mama & Papa

Earl King



2003-11-29 SAT.
さて、植字工の単純ミスで King Earl となるハズが姓と名が逆になったまま印刷されてしまった Earl King でございますが、今日のナンバーも New Orleans Jazz & Herritage Festival 1976 からでございます。しかし昨日も今日もクレジットを見ると Sea-Saint Studio でのレコーディングとなっているのに、聴衆の歓声などが入ってるのはどーしてか?なんてワタシに尋かないでちょ。

一瞬、Buddy Guy のメリーさんの羊かいな?っちゅうフレーズが始まるけど、すぐに Earl King の味わいのある声が斬り込んできて、軽快な 8 ビートが快く刻まれて行きます。いいですねえ、このユルさ。個人的な好みで言えば昨日の Trick Bag より、こっちかな?
またギターもガっついてなくていーよね。

昨日は Ace で Those Lonely Lonely Nights と、その後の一連のシングルを出したとこまででしたね。
1959年に Ace を去る前に Jimmy Clanton の Just a Dream を Earl King がプロデュースしたそうですが、1958年 7 月21日に初登場 22 位、以後 25-12-9-5-4 位と登りつめ、3 週 4 位をキープしています。通算 15 週間、チャートに姿を見せていました。
Clanton 以外にも Huey Smith や Roland Stone のプロデュースも行っていたようです。
Ace 時代の彼は Cosimo のスタジオ( 1950年代と1960年代にはクレッセント・シティでの唯一と言ってよいレコーディング・スタジオとして、New Orleans の音楽を支えた Cosimo Matassa のスタジオ。当時、最強のハウス・バンドを擁していた。そのメンバーは、サックスの Lee Allen と Alvin "Red" Tyler、ドラムの Earl Palmer と Charles "Hungry" Williams、ギターでは Justin Adams と Ernest McLean が詰め、ピアノが Huey Smith に Edward Frank、ベースに Frank Fields、といったメンバーで、Fats Domino や Smiley Lewis、Little Richard に Lloyd Price、そして Shirley & Lee などのバッキングを務めていました)で、Johnny と Dave の両 Bartholomew と出会っていますが、Johnny の方は Cosimo によれば「ありゃプロデューサーっつうよりチア・リーダーだな」なんて評されております(?)。
ま、それはともかく、Bartholomew は早速 Earl King のプロデュースに乗り出し、そこで生まれたのが1960年の Come On( Let the Good Times Roll・・・ alt. 当初は Darling Honey Angel Child のタイトルだったものが、別テイクの収録時 or 再発時にタイトルが変わったのではないか?という情報をすかさんからいただいています)、Bartholomew によれば、Earl King は非常に積極的に有益なアイデアを次々と提供したそうで、尊敬に値する才能だったそうです。この時期には Lee Dorsey にヒット、Do Re Mi も提供しています。他にも Fats Domino に Hum Diddy Do、Berna Dean( Bernadine Washington )に Hes Mine などを書いています。

1961年には昨日のブルースとしてピック・アップした Trick Bag が発表されました。続いて1962年には Always A First Time が出て、R&B チャートの下位に顔を出しています。しかしその Imperial は1963年に Liberty Records に身売りしてしまいます。これが New Orleans の音楽産業に与えたダメージはかなり大きかったようで、多くのミュージシャンが Detroit に流れ、Motown と契約をすることとなり、その中には Earl King も含まれていたのです。しかし、この契約をアレンジした Joe Jones と Barry Gordy の間で条件が折りあわず、彼は土壇場で契約を見送り、New Orleans に戻っています。そして Hot Line レーベルをスタート、また彼の書いた Danny White の Loan Me Your Handkerchief、Johnny Adams の Part of Me、Willie Tee の Teasing You、Dell Stewart の Mr. Credit Man、そして Professor Longhair の Big Chief が世に出ています。
ここでディストリビューションを Dover に任せたのですが、これがミゴトに Hot Line ともども失敗、ケッキョク彼はまた New Orleans を出て Capitol あるいは Motown のために仕事をしています。ま、この辺りから、ちょとワタクシのキョーミも薄れてきちゃってるんで、たしょーおざなりになっちゃいますが、カンタンに・・・
1972年には Allen Toussaint と Atlantic にアルバムを入れますが、Sea-Saint Studio のオリジナル・レーベル Kansu からシングル Street Parade がリリースされ Mardi Gras の代表的な曲のひとつとなりました。このアルバムは時宜を失った1981年になってからイギリスの Charly からリリースされています。

この New Orleans Jazz & Heritage Festival 1976 は彼の1970年代における重要なマイルストーンと言えますが、その後スェーデンの Sonet レーベルに録音したアルバムや、他にも Wand Records や Black Top レーベルにも録音があり、1990年代には Sexual TelepathyHard River to Cross というアルバムを送り出し、高く評価されています。
2003年 4 月17日、New Orleans で死亡。彼の画像を見ると、ケッコー「ストラト」を使ってるのよねー。それも、ワリと低い位置に吊る、ってえ「正しい」 Stratocaster スタイルでヒジョーによろしい。
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