So Lonesome

Ramblin’ Thomas



2003-12-01 MON.
オープン D による、ユッタリとした、しかしながら、なかなかブリリアントなナンバーでございます。かなり個性のあるブルースマンと言えるかと思うのですが、困ったことに(って、別に困ることもないんですが)この Ramblin' Thomas、その生年すらハッキリいたしません。どーやら Louisiana 州と Texas の州境あたりで生まれ育ったと思われるのですが、その具体的な地名も不明でございます。
資料的には弟の Jesse "Babyface" Thomas のものが充実しているのに対し、彼と、そのまた兄で同じようにギターを弾いていたと言われる Joe L.Thomas の方はいささか手薄感を否めませんね。
ま、それとゆうのも、Jesse "Babyface" Thomas が1995年まで生き永らえて、おかげで周囲の証言も「鮮度」のいいものが得られたからでして、Willard "Ramblin'" Thomas のほうは1945年(推定─没年ですらこれですからねえ)あたりに亡くなっており、すでに半世紀以上が経過してしまっておりますから、生前の彼を知っていた人たちの「記憶」もすでに充分「風化」してるのはこれまた当然とゆうものでございましょう。
てなワケで仕方無く Jesse "Babyface" Thomas の資料も参考にしてみますが、どーやら彼らの父はヴァイオリン奏者(つうても、もちクラシックなワケはなく、「 an old-time fiddler 」と記されております)だったようですが、どのよーにしてギターを覚えたのか?などは定かではございません。ただ、Sears のカタログからギターを選んだ、っちゅう一節が出てきますが、それは Jesse "Babyface" Thomas のハナシかも。
Willard はメタル・バーを遣ったスライドを弾いていたようですが(この曲が収録されている Yazoo の Country Blues Bottleneck Guitar Classics 1926-1937 L-1026 のライナーでは、その音の特徴などからヒザの上に横たえる弾き方ではないか?としていますが、しかし、異説もある、と述べています)、1920年代の終りころには Texas 州 Dallas に移りました。Deep Ellum 周辺で演奏する注目に値するブルースマンとなり、そしてそのあたりから"Ramblin'" Thomas と名乗り、以後、実際に各地を「さまよった」ようです。

彼のブルースについて Blind Lemon Jefferson との類似性を指摘されるムキ( Yazoo のライナーなど。あるいは St.Louis への滞在から Lonnie Johnson の影響を云々する All Music Guide の Eugene Chadbourne など)もおられるようですが、ワタクシの個人的な「感じ」としては、1920年代のブルース界は、おそらく在野の(?)記録されなかったブルースマンたちが、実に多くの「進化的トライアル」の「混沌」の中にあったのではないか?と思うのですよ。そんな「録音で聴くブルースの歴史」が捉えきれていない数々の「流れ」が例えば Blind Lemon Jefferson、例えば Robert Johnson(こちらはも少し後になりますけどね)などの結節点を経て表層に浮かび上がって来ている部分も多大に「ある」のではないか?と疑っています。
したがって、ひとりのブルースマンの「拠って来ているところ」を、単にその音からだけ類推することの危険性(なんてゆーと「おおげさ」だけど)ってものも考慮しておきたいな、と。

その Ramblin' Thomas は Dallas で演奏しているところをスカウトに見出され、吹き込みに誘われますが、彼はそれより、San Antonio や Oklahoma での演奏を優先させた、と言います。
Document レーベルからは彼の録音がまとめられて出ているのですが、Ramblin' の名に恥じず、旅に明け暮れていたため、彼ひとりでフル・アルバムを作れるほどの曲数を遂に録音することなく終ったのだとか。
おそらく1945年あたりに、Memphis で肺結核のために死亡した、と伝えられています。

以前にも書いていますが、ホントにイチバン興味があるのは、そのブルースマンがどのようにしてブルースと関わるようになったのか?なので、どんな家庭に生まれ、どんな環境で、いかにしてブルースに触れていったのかが判る資料ってのが「欲しい」ワケですが、そうそうどのブルースマンにもそれが揃ってるワケは無いんで、困っちゃうんですよ。
あ、逆に多過ぎるのもまたなにかとタイヘンでして、ちょっと比べれば、どっちが信頼度が上か判ることもありますが(例えば先日の Earl King ですが、Biography で本名を Earl Johnson とだけ書いているものより、Earl Silas Johnson IV と書いてるもののほーが信頼でき「そう」な気がします。一見ね)甲乙つけ難い二つの資料で、でも記載内容に「違い」があったりすると(イチバン多いのは西暦年が喰い違うヤツねん)、ホント困っちゃいます。特に 20世紀に入ってスグ、なんてえ頃に生まれてたりするとその生年月日にゃあ諸説あって、おまけに本人の言質がいっちゃんアヤしい!なんて事例まであったりするんですよ。

ジョーシキで考えれば本人の証言ってのがイチバン信頼できるハズなんですが、ことブルース界ではムカシっからホラ吹きとか、でっち上げた神話なんてのが「常套手段」っつー人種をちょくちょく輩出しておりますからねえ。いわく「ワシは悪魔の義理の息子であるぞよ」だの「四つ辻で悪魔と契約しちゃった」だの「バスが着くと同時に産気づいてワシが生まれたんじゃ」なんてえのが・・・そのパーソナリティーにもよりますが、本人がそー言ってるから、とカンタンには行きませんね。
さらに、これは「故意に」ではなくとも、記憶そのものも(特に自らの評価に関わる場合には)自己を「美化」して行こうとするベクトルを持っているのではないでしょうか?
それに依る「変質」ってのは、確かに「悪意」は無いにしても、事実から離れてゆく危険性をはらんでいることに変わりはないワケでございます。

ま、そんな神話も「オモシロきゃいーじゃない」って考え方もありますが、いちおー「でもホントはどーなの?」ってとこも押さえとかないとね。
ま、今のとこ、諸説あるときは、なるべく併記しとくよーにしてますが、例の Robert Johnson の生地、Hazlehurst を Hazelhurst と綴っているのなどは明らかにカン違い、あるいはケアレス・ミス( Hazelhurst はミシシッピー州ではなくウィスコンシン州の町です)なのでこゆのは「諸説・異説」っちゅーのとはちゃいます。

でもねえ、生年の「諸説」の幅が 4・5 年ならまだいいんですが、11年もちゃうのがあって、こんだけ幅があると「時代」から受け取るモノがゼンゼン違って来ますよね。
あと英文の資料でいちばん困るのが、あの「 Brother 」ってヤツ。
兄なのか弟なのかハッキリしろい!ってハラ立ちます。それをキチンと The older brother なんて書いてたりすると「おっ!この資料はアテになる!」と思っちゃいますが、はたしてホントにそーなのか、は「?」でございますよ。
・・・ と、なんだかグチってるみたいになっちゃいましたが、なあに、それはそれでケッコー楽しんでおります。なんたってどれがホントか?なんて悩めるだけ資料がいっぱいある、ってこってすからねえ。
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