Right On For
The Darkness


Curtis Mayfield



2003-12-04 THU.
またまた「純粋ブルース・ファン」からは Curtis Mayfield がブルースか?とツッコミを入れられそうだけど、Rainy Night In Georgia もドサクサにまぎれて採り上げちゃったくらいですから、ま、広いイミでのブラック・ミュージックの振幅の中には収まってるっつーコトでお目こぼしを・・・
逆にいくら「ブルース」と分類されていようが、ジョニー・ラングやスー・フォーリィなどの白人を「今日のブルース」ではゼッタイ採り上げません。

Darkness に相対する単語は「 Light 」であって、Light on for the darkness なら「暗がりを照らす明かりを点(とも)せ」となるのですが、彼はこれを「 Right 」としてあります。本来、Right on では「時代の先端を行く」あるいは「洗練された」という形容詞となり、for the darkness の前に来るべき動詞 or 名詞とはならないので、やはりここは多少ムリはあっても「暗がりに」正義を!てなイミに考えるべきでしょうか。
キーは F#m ですが、実際にはギターのコード・ワークによる F#m7 と Bm7 の二つを基本に、背後には流麗ながらも「重さ」を持ったストリングスを配し、ボトムはスポンティーニアスなドラム・ワークとスライド・アップを多用するヘヴィーなベースが支えています。
一部、ベースのソロ的な部分もあって、終盤になだれ込むと世界の終末を思わせるような(はちとオーヴァーやけど)ストリングスによる旋律の重層が、ある種の虚無感を、あるいは希望の無い未来を暗示しているようで、この作品から 30年、我々はいったいなにをして来たのか?いまだに「暗黒」に光がさすことは無く、いやそればかりか、新たな「闇」を作り出してしまっているのではないのか?という疑問が「痛い」のでございます。

この曲にちりばめられたブラスによるリフが「天使の軍勢」を象徴するものだとしても、もはや現実の「闇」はキリスト教社会の外部にまで流出しており、「この」神の威光では照らすことすら出来ない「今日」を 30 年前に予想していたとは思わないけど、Right on for the darkness に込められたメッセージ、いや、メッセージというよりは、むしろ「リポート」、そこに Curtis Mayfield が見ていたもの、その重さをいまさらにかみしめています。

1960年代の終りころに Sly & The Family Stone というプロジェクトがスタートし、ブラック・ミュージックに公民権や人種差別、黒人の意識向上などの概念を持ち込むことが「当たり前」となって The Impressions のメンバーだったころの Curtis Mayfield も、その潮流に気付いていたハズですが、「神の言葉を伝える(ゴスペルはいわば神の言葉を伝えるものでもありますから)」ことを離れ、別な言葉を語りたくなったとして The Impressions から離脱するのが1970年。
すぐに自身のソロ・アルバム Curtis を Buddah からリリースしています。
この Right On For The Darkness が収録された Back To The World はその前の Superfly( film soundtrack )にも増してラジカルに彼の目が社会に向けられた作品で、ブラック・パワーを(不本意ながら?)励起するような Sly & The Family Stone とはまたちがった位相で「20世紀のアメリカで黒人であることの現実」を抽出している、と言ってよいのではないでしょうか?

なんちて、どーも、このあたりのハナシになるとシリアスっぽくなってイカンなあ。やはり時代のバイアスみたいなものがあるんでしょうか。
ちょうどこの時期から、いわゆるブリティッシュ・ロックに、ある種の空疎感を見るようになって行くのも、この Curtis Mayfield や Sly & The Family Stone の歌詞の世界に気付いてからだったような気がします(それに音の方でも Velvet Underground の洗礼を受けてからは、ただ「見せかけの」パワーだけのロックってえのに多少「アホらしさ」も感じ始めてたしね)。

Curtis Mayfield は1942年 6 月 3 日、Chicago で生まれています。さすがに生まれた土地が土地だけに、黒人音楽の様々なフェイズを吸収して成長したことでしょう。特にゴスペルとソウルにおいて彼の資質に大いに寄与していたようで、なんと 10 才になる前に彼にとっての最初のグループ The Alfatones を結成し、そのリーダーとなっていた、と言いますからスゴい!
1956年に彼の家族は Chicago のノース・サイドに居を移していますが、そこで彼は Jerry Butler と出会い友人となるのですが、Butler は自身のグループ、Arthur & Richard Brooks、Sam Gooden からなる The Roosters に Curtis Mayfield を誘いました。そしてクィンテットとなったこのグループは後に The Impressions と名を変えています。
彼らの初ヒットは1958年の For your precious love でした。
1961年には Curtis Mayfield は住まいを New York に変えていますが、この年の Gypsywoman は、ここ何年か続いていた、メンバーとレコード会社の間の悪感情のしこりを修復した、とされています。Curtis はもはやグループのリード・シンガーとしてそのユニークな声を活かして Im so proud、Keep on Pushing、People get ready、Were a winner、「Mighty, mighty 」などの一連のナンバーを送り出したのでした。

その Curtis Mayfield が The Impressions から離脱したのが 1970年のことで、同年、Buddah からソロとしての初アルバム Curtis をリリース、そこから Move on up が唯一イギリスでのヒットとなっています。
続いて The Impressions 時代のナンバーも含む New York の Bitter End でのライヴを収録した Curtis Live! を 1971年にリリース。同年 Roots もリリース。
1972年には 10 万枚を超える大ヒットとなった、あの Superfly のサウンド・トラックで彼の名は一躍知られるようになったのでした。実に 4 部門のグラミーを授賞し、それが契機となって Gladys Knight & The Pips、Aretha Franklin、そして The Staple Singers のプロデュースまでも手がけるようになります。
ここで Superfly がヒットしたことによって、彼は「商業的ポテンシャル」を優先させた作品ではなく、彼自身のもっと深いところに沈潜していた社会的なインタレストを中心としたコンセプチュアルなアルバムの製作に取りかかることができたのではないでしょうか。
そうして翌1973年に完成したのが、この 5 枚目のアルバム、Back To The World なのです。そのタイトル曲でもある Back To The World はヴェトナムに派兵された黒人兵士の戦場での「地獄」と、そこから無事に復員してきた祖国での「新たな」地獄を歌ったもので、いわゆるドロップ・アウトした白人ヒッピーたちの心情的な「反戦ムード」なんぞとは次元の異なる「現実」として、マイノリティにのしかかる重圧として描かれています。
ヴェトナム戦については、非常にアメリカ寄りな、北ヴェトナム戦士を冷酷な殺人鬼のように描いた、マイケル・チミノの『ディア・ハンター』という(ムダに長い、なんて言われてましたが)映画がありました。ここでも特徴的だったのは、主人公である、やはりアメリカ社会の中では完全にマイノリティに属する「ロシア系移民」たちが、マイノリティゆえに「国策」に迎合するしかない、という姿で、これは第二次世界大戦中のアメリカ陸軍の日系二世による第 442 部隊にも同様なことが言えるのではないでしょうか。

Back To The World は、その終り近く、McDonnel F-4 Phantom(と言われていますが・・・)の音で幕を閉じます。そして続くのは、これもまた黒人達の生活を見据えた Future Shock、その余韻の中で始まるのが、この Right On For The Darkness なのです。
このアルバム中、唯一の救いかもしれない I Were Only A Child Again などを挟んで夢のように美しい(でも、内容はクスリに溺れる愚かさへの警告だと思うんですけどね)Keep On Trippin でアルバムを終える(あ、オリジナルの場合ね。現在の CD じゃ曲順がちゃいます)。

Curtis Mayfield はこの後も Buddah から Curtis In Chicago( 1973 )、Sweet Exorcist( 1974 )、Got To And A Way( 1974 )、Claudine( 1975 )」、さらに Curtom でも 8 枚のアルバム、以後 RSO、Boardwalk、CRC、Ichiban、Essential、Windsong、Warners などからもアルバムを出していくのですが、ワタシにとっては、それはもうどうでもいいこと。ワタシにとっての Curtis Mayfield は、Back To The World!これに尽きます。

1990年、Brooklyn での野外コンサートに出演していた彼の上に照明のクラスターが落下!彼の脊柱を損傷し、それ以来、彼は四肢麻痺患者としてリハビリテーションを送ることとなり、1996年には新しいアルバム New World Order をリリースしていますが、そこでの彼は歌だけで、あれほど評価の高かった彼のギターは、1999年12月26日の彼の死まで、ついに復活することはなかったのでした。
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