Trouble Blues

Charles Brown


2003-12-09 TUE.
Some day Baby と似た構成を持ったこのブルースですが、ブラスの和音も「重く」アレンジして、「マイナーっぽさ」を演出しております。なによりもこの伸びやかなヴォーカル、なかなかタダ者ではおまへん。
ま、この手のブルースにはちと不慣れなせいもあって、ウマくヒョウゲンできないのですが、ブルースなのに、やたらバラードっぽい、いわば「歌い込み過ぎ」みたいな過剰感が逆にオモシロいざます。ピアノがなかなかいい味を出してるんですが、あいにくバックのメンツは不明でございます。

Charles Brown が生まれたのは 1922年 9 月13日で、Texas City です。
一説によれば、彼が生まれてすぐ(まだ生後六ヶ月でした)母が亡くなり、祖父母のもとで育てられることになったのですが、その祖父母に教会でピアノやオルガンを弾くようにしつけられていたにもかかわらず、(あるいはそれが災いして、か?)彼はミュージシャンではなく、高校の化学の教師(!)になっています(ただし、これにも異説があり、そちらでは、音楽をやりたかった彼の意思に反して両親が教師になることを「強いた」となっておりますが、したらお母ちゃんも生きとるやないの!ムジュンしとるなあ。さらにアリゲーターのサイトによれば、彼は 10 才でクラシックのピアノを学び始め、後には Art Tatum のジャズ・ピアノに影響を受けた、とされとります。ま、ぜんぜん資料の無いのもアレだけど、あったらあったで、異説だらけ、っちゅうのも困ったもんです)。
1943年には(異説:1944年) Los Angeles にいたようですが(これはどの資料でも言及されてるんですが)「オンガクで、もっと稼げる」ことに気付き転向したんだとか。

まず Ivie Anderson の Chicken Shack club に「シンガー」として雇われ、当時ナンバー・ワンの Los Angeles のグループとしては the Nat "King" Cole Trio でしたがそこでギタリストをしていた Oscar Moore と兄弟の Johnny Moore のグループに採用されて出来たのが Johnny Moore and the Three Blazers で、このグループで 1946年( alt.1945 )にトバしたヒットが Driftin Blues です。これでこのグループは全国的に有名になり、New York の Apollo シアターにも出演していますが、グループ自体は 1948 年に分解してしまい、Charles Brown は新たなメンバーで同じ名前のバンドを組んで、それ以後の活動を続けますが、すでにソロとしての資質が表面化して来ていたようです。1950年代に入ると Merry Christmas Baby、Black Night、Seven Long Days などのヒットを出しました。
また彼の作品は B.B.や Ray Charles、 Sam Cooke、Amos Milburn に Fats Domino などにも採り上げられ、ソング・ライターとしての才能も開花してゆきます。

今日のブルース Trouble Blues や、彼の他の代表作 Driftin Blues、Black Night、Hard Times、Merry Christmas Baby は、Hard Times and Cool Blues UK Sequel NEXCD 133 で聴くことが出来ます(ただしオリジナル・マスターは失われているため、再生速度がアヤしく、チューニングが合わなかったりします。なんで、こゆの再生するときに調律師を呼ばないんだろ?彼らにアドヴァイスしてもらったらもっと正しいピッチ出るのにねん)。1940年代から1950年代中頃までの録音は Aladdin label になされています。
今日の Trouble Blues はおそらく 1959 年に Ace に吹き込まれた New Orleans 録音と思われますが、1960年代に入ると、彼のサクセス・ストーリィにも「翳り」が出てきます。
やや低調だった 1960 年代から、1970 年代の半ばまでは、Los Angeles のクラブなどで歌っていたようですが、再発見(?)されて the 1976 San Francisco Blues Festival に出演し、さらに the Long Beach Blues festival などにも連なるのですが、レコーディングでは「かっての栄光」には及ばなかったようです。
ただし、ミュージシャンからの彼の評価は「低い」ワケではなく、ゲストとしてボニー・レイットやエルヴィス・コステロが来てくれるくらいですから、なかなかのもんでしょう。
1988年の12月には PBS から放映されたスペシャル That Rhythm…Those Blues に Ruth Brown(姓は同じ Brown だけど血縁はありません)と出たことによって彼もまた広い範囲に顔を知られるようになりました。

1990年代の彼は音楽のディレクターで、かつギタリストでもある Danny Caron とともにツアーにも出ています。しかし、病が彼の出演回数を減らすようになってきており、R&B 財団によって彼の功績が認められ、国の芸術基金によって文化財の保護基金の適用が決まったことを記念して開かれたコンサートの数日後、そして the Rock And Roll Hall Of Fame に殿堂入りする 2 ヶ月前の 1999年 1 月22日に死亡しました。
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