Pete Wheatstraw

Peetie Wheatstraw


2003-12-10 WED.
いよいよ「元祖(?)」悪魔の義理の息子 Peetie Wheatstraw の登場でございます。
とってもベーシックな(後の時代の「華麗な」ブルース・ピアノに比べて、ね。とってもギター的な音の選び方だと思うんですよ、このピアノ)「オン」なリズムを生み出すピアノに乗せて

ムカシは俺もとっても「いい子」だった
街中でイチバンいい子だった

それが「お前、カネが欲しくないか?」てな声をかけられて、そいつの言いなりになったことで人生が変わっちまった・・・つまり、この曲で初めて「 the Devils Son-In-Law 」あるいは「 the High Sheriff from Hell 」になっちゃった、ってえカミング・アウトをした記念すべき(?)曲だ、っつうことになっております。
ただ仔細にケントーしてみても、歌詞の中には Devil っつー単語も、Hell なんて単語も登場いたしません。
抽象的な You という「相手」と、それに隷属する関係らしいことや、「俺が通りかかると、みんなピシャリと扉を閉ざす」なんて歌詞から、彼が信心深い大衆からは忌み嫌われる側に身を落としたのだ、ってのが暗示されるだけです。
ただし、一見、間投詞ともとれる、Little Mama や Mama を「相手の女性」そして、この曲を、そのオンナの言いなりになってるオトコの歌、と読むことも可能な歌詞ではあります。いささか型破りではありますが。

とは言え、当時の黒人社会の中でのキリスト教(しかも、多分にそれは西アフリカ、あるいは西インド諸島などから伝来した呪術的な宗教をも「取り込んで」いることによる独特な側面を持っていたのではないか?)の位相を正確に想像することも出来ない「異教徒」としては、そのへんをあまり断定的に語ることは避けたいところではございます。
一応、自分のことを「悪魔の側」にいる、と明言して(あるいは、それを「売り」にして)演奏をしたブルースマンとして、知られている中では、この Peetie Wheatstraw がその鏑矢とされておりますが、歴史の上に記されてはいなくても、その点についての「無名のパイオニア」がいた可能性は否定できませんね。

Peetie Wheatstraw こと William Bunch は 1902年の12月21日に Tennessee 州の Ripley で生まれています。ただし、彼が生まれてすぐ一家は Arkansas 州の Cotton Plant(南北戦争時の激戦地のひとつ) に移っているようですが。
彼の場合も、その生い立ちなどがまったく知られておらず、ただピアノとギターの両方を弾いていたらしい、ということが言われております。
1927年には、彼は Cotton Plant を後にして、南部を巡るミュージシャンとして生活をたてるようになっていたようですね。
ほぼ 2 年間の放浪の時期を経て、1929年、彼は Missouri 州 St. Louis に腰を落ちつけることになりました。その期間は確実に彼の音楽を成長させ、St.Louis のみならず、ミシシッピー河を挟んだ対岸の Illinois 州 East St.Louis にも演奏の場を持つようになっています。
間もなく彼は自らの名を「 Peetie Wheatstraw 」と変えることとなるのですが、それはアフリカ系黒人の民間説話からとったと言われています。しかし、その原典についての資料を探し当てることはできませんでした。その名が持つ意味を解明できなかったため、それが「悪魔」云々と関連しているのかどうか判断できないのですが、その名がなにやら「超自然な」含みを持つものとしてアナウンスメントしたのがこの曲である、とされとるのよね。

彼自身の演奏スタイルにおいて、大きく影響を与えたのが Leroy Carr と、ギターの Scrapper Blackwell のコンビだとされています。当然、彼もまた自分のヴォーカルとピアノを腕のいいギターにサポートしてもらう、という形を思い描いたようで、この曲でもバックに誰かは判らないながら、ギターが入っています。
当時の St.Louis は熟達のギタリストには事欠かず、彼は Lonnie Johnson や Kokomo Arnold、Charley Jordan、Bumble Bee Slim、Willie Fields に Charlie McCoy などとも共演していました。ただ、彼にとってのメインの楽器はもちろんピアノなのですが、同時にギタリストでもあり、時にはギターで Barrelhouse Buck などのピアニストのバッキングにまわったこともあるようです。ただ、St.Louis のブルースマン Henry Townsend は自叙伝の中で Peetie Wheatstraw について、ギターを必要とせず、単独で演奏することが案外、好きだったのではないか?と書いているそうですが。

あまり St.Louis エリアを離れることをしなかったらしいのですが、1930年代にはレコーディングのために Chicago には出てきています。この Pete Wheatstraw( Peetie じゃないんですね、曲名のほーは。最初、誤植かと思いましたが、そーじゃないみたい)も 1931年の 9 月28日に Bluebird のために Chicago で録音されたもので、スタジオの名前かどうか「?」ですが「 Rockefeller Block 」という場所がクレジットされております( Bluebird 5451 )。

1939年 8 月13日には Vocalion で Four O’Clock In The Morning や Tennessee Peaches Blues などに代表される数々のブルースを収録しています。結局、およそ 160 曲を超えるナンバーを Decca や Bluebird labels に残しました。もちろんピアノでの録音が大半ですが、ギターでの曲も残っています。

1941年の12月21日(ただし、これをただクリスマスの直前だった、としている資料もあり、もしかすると「悪魔との契約」の話に便乗して、「誕生日」に死んだコトにしたほーが「それらしい」ってんで、ちょこっと「修正」されちゃった、って可能性もあります。ま、どっちゃでもええんですがね)に St.Louis 市内をドライヴしていた彼のクルマは交差点で、横から来た路面電車に衝突され、僅か 39 才の若さで死亡しています。あたかも彼が語っていた「交差点」での悪魔との契約に「ふさわしく」しっかり「交差点」でイノチを落としたのでした。そのことが「神話」を強化したのはマチガイ無いでしょう。
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