Five Long Years

Junior Parker


2003-12-18 THU.
本日のブルースもまた名曲と申してよろしいかと思います。
それだけに実に多くのブルースマンによって採り上げられ、とーぜんみなさまそれぞれに「ごひいき」がおありのことと思います。
オリジナルの Eddie Boyd については 7 月24日付けの日記でも採り上げておりますが、他にも名だたるブルースマンがこぞって採り上げておりますよね。いささかトリッキーでエキセントリックな Buddy Guy のヴァージョンも忘れ難いものがあります(かって「ぶぎうぎぶ」の高橋まちゃおクンはそのヴァージョンを「まちゃおナイズ」してやっておりましたねえ)。なかにゃあマディのがいい、ってえひともいるでしょうし(ってツメタい言い方になってるのは、ワタシゃ彼が嫌いだからなんですけどね)、もしかしてジョン・リーがいい、なんてひともいるかもしんない。中にゃあ意表をついて Frank Frost の、ってえひともいるかも、でございます。

ま、クラプトンあたりは論外としても、ひとそれぞれの「ブルース」観がその選択に表れるのではないでしょか。で、ワタクシとしてはやはりベストが Eddie Boyd なんですが、初めて聴いた Five Long Years ってのが、この Junior Parker でして、そのイミで忘れられないテイクなのですよ。
もはや「スケベったらしい」の域(?)に踏み込まんとしてる「滑らか」なヴェルヴェット・ヴォイス。「やりすぎ」感さえ漂っているドラマチックな表現力。ウェットを通り越して除湿機が欲しいほどのあり余る情感・・・ ウマ過ぎてイヤみだ、なんて声も一部にはあるようですが、ま、タマにゃあこんなディープなヴォーカルもいいもんでしょ?

この Junior Parker、他にも「いい」曲がいっぱいあるんですよねー。MCA からリリースされた Best Of Junior Parker ってえアルバムには(この Five Long Years は当然として)、これまた彼のヴォーカルならではの完成度が嬉しい Next Time You See Me なども収録されておりまして、それもまた捨て難いのではございますが、やはりワタクシ自身も(かって・・・ 最近は歌ってないなあ)歌っていたこの曲の直接のモデルであった(あ、でも、コピーじゃないですよ。出発点として採用しただけね) Junior Parker の存在に敬意を表して・・・ と言うと聞こえはいーけど、実はさっきまで Next Time You See Me にしよ、と思っておったのですじゃ。ところがやはり同じアルバムに入ってるこっちに耳が行っちゃって、土壇場で「裏切りダヌキ」っつーワケ!ぎゃははは!
ついでに Five Long Years では、Eddie Boyd、Junior Parker の次に好きなのは、やっぱ Buddy Guy の!以下切り捨て。

さて、Junior Parker こと、Herman Parker Jnr. の出生についてはいまだに混乱があり、1927 年 3 月 3 日、Arkansas 州 West Memphis の生まれ、とするものと、1932 年で、Mississippi 州 Clarksdale 生まれとするものが「対立(?)」いたしております。
20 世紀初頭のハナシならともかく、1927 年にしても 1932 年にしても、もーそろそろキチンとした記録が残っていそうな時期だとは思うのですが、両親の名前にしたところで、 Herman Snr.(シニア)とするもの、いや、そーじゃない、Willie だ、って説、また母も Jeanetta なんだか Jeremeter(それって女性の名前?苗字のほじゃないの?)なんだか・・・てな具合でさっぱりラチがあきません。
ま、どーやら確からしいのは、どっちにしろ、一家は West Memphis にほど近いところで農業に従事していた、ということです。そして Parker Jr(って言うとなんだか「あの」 Ray Parker Jr.みたいだね。あれ?最近りっきーさんが行ったライヴに出てたとか言ってませんでしたっけ?)は音楽的に恵まれた環境を与えられたらしく、幼くして教会で歌い始めた、と言われております。

しかし、彼にとって、もっとも大きな音楽的な影響は Sonny Boy Williamson( Rice Miller )からのものだったようで、そのバンドで時たま演奏し、ごく身近で Sonny Boy の演奏を「浴びた」ことがかなり大きかったものと思われます。次に彼が経験したのはウルフのバンドで、そこではバック・バンドのリーダー的な存在であった、としている資料もあります。
1951 年には自分が率いるバンド、the Blue Flames(あの Auburn "Pat" Hare がいた!)を立ち上げるのですが、それ以前にはブランドや B.B.などが顔を揃えた the Beale Streeters の一員でもありました。

彼の初吹き込みは Ike Turner による Modern Records への Youre My Angel だったようで、その時のメンバーは、Ike Turner のピアノ、ギターに Matt & Floyd の Murphy 兄弟などでした。この単発のシングルが Sun Records の Sam Phillips の目にとまり、1953 年には Sun からリリースした Feeling Good がそこそこヒットしてそれが後にエルヴィスにカヴァーされた Mystery Train につながって行きます。

しかし、もっとめざましいのは Houston からの Don Robey の Duke label でブランドと一緒にやった with Bobby Bland Blues Consolidated( 1958 )の成功でしょう。このコンビは南部のサーキットでは重要な存在となって行きます。他にも 1957年の Next Time You See Me がそのキャッチーな魅力から大きな支持を獲得しています。
Don Robey の Duke には with Bland Barefoot Rock And You Got Me( 1960 )と Driving Wheel( 1962 )のアルバムを残していますが、1960 年代中頃には Mercury Records に移籍し Like It Is( 1967 )をリリースしています。その後は Honey-Drippin Blues( Blue Rock 1969 )、Blues Man( Minit 1969 )、The Outside Man( Capitol 1970 )、Dudes Doing Business( Capitol 1971 )、Blue Shadows Falling( Groove Merchant 1972 )、Good Things Dont Happen Every Day( Groove Merchant 1973 )、I Tell Stories, Sad And True( United Artists 1973 )、You Dont Have To Be Black To Love The Blues( People 1974 )、Love Aint Nothin But A Business Goin On(同 1974 )とリリースは続いて行きますが、彼自身は 1971 年11月18日、脳腫瘍の手術中に死亡していますので、1972 年以降にリリースされているのは、当然、彼が生前に残した録音です。

Junior Wells の Biography によれば、「いとこの」 Junior Parker がハープを教えてくれた、とあります。でも、ワタシとしちゃあ、やはり Junior Parker はその比類の無いヴォーカルのプレゼンスが「すべて」でございます。
某サイトじゃ、彼のことを、片足を Memphis あたりの「南部のブルース」に、もうかたほうは「アップ・タウンの R&B 」に置いている、と表現してましたが、ウマいですねえ。そりゃあともかく、1966 年と思われる Don Robey の Duke label から離れてからというもの、彼の「運」は次第に傾いていってしまったのも事実なようで、Capitol ではついにビートルズ・ナンバーなんぞまでカヴァーしておりますが、もはやそこにはあの Duke 時代の「輝き」は見出すことは出来ません。

2001 年、彼は the Blues Hall of Fame に入りました。
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