Trouble In Mind

Richard M. Jones


2003-12-20 SAT.
この曲に関しては、9 月22日付で Big Walter Horton のヴァージョンを採り上げましたが、あのテイクはなかなか好きなんですよ。
この曲を最初に吹き込んだのは Bartha "Chippie" Hills で 1926 年( February 23, 1926, Chicago. 9510-A OKeh 8312 LOUIS ARMSTRONG AND THE BLUES SINGERSーAffinity AFS 1018ーに収録)のことでございます。
で、この曲を作ったのが実は今日の Richard M. Jones さんなのですねえ。

Big Walter Horton のが(フダンの素行はどうあれ)実にしんみりと歌い込んでおったのとは対照的に、もろ New Orleans 風に(とは言ってもセカンド・ラインやニュー・オーリンズ R&B っちゅうイミではなく、いわゆるディキシーランド・ジャズっぽい、ってことね)、トランペットを尖兵に斬り込んでくるフレンチ・クォーターっぽい(って行ったこともないんであてずっぽうですけどね)揺れるココロを思わせる(?)けだるいヒート!(なんだかワケ判らん形容・・・)
これは 1936 年 8 月 5 日、Chicago での録音で、本人のピアノと Lee Collins のトランペット、そして氏名不詳のサックスで Bluebird に吹き込まれたものです。

さて、その Richard Myknee Jones は Louisiana 州で生まれたのはマチガイないようですが、資料によってその出生地がバラついております。
Donaldsonville とするもの、New Orleans とするもの、あと「バートン」と表記してある国内のサイトもありましたが、Michigan 州ならともかく、Louisiana 州では該当する地名が発見出来ませんでした。
生年月日についても、1889 年とするのが大勢のようですが、一部、1892 年という説もあります。ただし日付についてはどっちにしても不明です。

生まれた家庭は音楽に縁が深かったようで、彼は最終的にはピアノをメインの楽器とするのですが、10 代になる前、the Claiborne Williams Band と Eureka Brass Band でチューバとコルネットを吹いていたようです。後には Armand Piron の Olympia Orchestra に加わり、さらに Sugar Johnny Smith や、時として King Oliver も参加していた The Four Hot Hounds を自ら率いていたようです。
第一次世界大戦の間、彼は Papa Celestin( 1884-1954 Oscar "Papa" Celestin、ニュー・オーリンズ・ジャズのコルネット奏者。1908 年から Henry Allen Sr. の Excelsior band に入る。1910 年には自分のバンド、the Original Tuxedo Jazz Orchestra をスタート、そこからは Peter Bocage、Louis Armstrong、Bebe Ridgley、Lorenzo Tio Jr.に Isidore Barbarin が出ている。大恐慌の前には Okeh に録音しています。第二次世界大戦中は造船廠で働いていたようで、戦後はまた再結成していろんなレーベルに吹き込みもしています。ローカルの放送番組も持ち、バーボン・ストリートで演奏もしていた)と一緒に演奏していました。

1919 年、彼は New Orleans を後にして Chicago に行き、Clarence Williams publishing company(音楽出版業者)のシカゴ支店で働き始めています。
演奏の方も 1920 年代を通して続けていますが、次第に Okeh Records のレース・レコード部門のマネージャーとしての比重が大きくなっていき、彼は彼のスタジオ・バンド Richard M. Jones Jazz Wizards を率いて様々な歌手の伴奏をつけ、彼自身によるピアノがそこでは聴くことができました。
しかし、彼の活動はそれだけにはとどまらず、タレント・スカウトとしても活動していましたし、今日の Trouble In Mind や Riverside Blues の作者としても知られています。

彼の死は 1945年でした。こちらも日付は不明です。
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