Night Life

Aretha Franklin


2003-12-24 WED.
時々 Night Life を B.B.のオリジナルだと思ってるひとがいますが(国内のサイトで、そー書いてるとこがあります!)、これは Willie Nelson の 1963 年の(だと思ったけど・・・ )ナンバーで Willie Nelson / Walter Breeland / Paul Buskirk の作品でございます。
ワタクシがこの曲を初めて意識して聴いたのがブレイクダウンの近藤房之助のライヴでの演奏でした。その歌いっぷりがスゴい印象に残ってて、その後で聴いた B.B.のヴァージョンにはナニも感じなかったものでございます。

ワリと最近になって Austin Cuty Limits のライヴでまた B.B.のライヴでの Night Life を聴きましたが、運悪く(?) W. C. Clark の Aint It Funny How Time Slips Away の次に入ってるもんだから、B.B.の歌う Night Life、なんだか「悪達者な(?)」印象ばかり強くて、ココロに届いて来ないんですよ。ま、もともと B.B.を「高く買ってない」ワタクシのことですから、よけいそうなんでしょうが。

時あたかも、自分で Night Life を歌いたいなあ、と思っていたもんで、そのベースとなるのが B.B.じゃなあ・・・ と思っていた時に出あったのがこれ。Aretha Franklin の Atlantic での二枚目、1967年の Arethe Arrives に収録されている「彼女の」 Night Life でした。
歌詞のしょっぱな、In the evening のアタマの「イー(ン)」を高いとっから始めるのがカッコよくてマネしよかな?と思ったんですが、聴くと歌うじゃおーちがい!そんなカンタンなもんやおまへんどした。当たり前だけど。

こんだけの有名人ですから、みなさん彼女のことはとっくにご存知でしょ?だからここじゃカンタンにね。
Aretha Franklin は 1942 年 3 月25日、Tennesse 州 Memphis で生まれています。そして Detroit で育ち、Carolyn と Erma という二人とともに三姉妹は日曜ごとの教会でその歌声を鍛えたんでしょね。しかし、なんとしたことか、わずか 15 才で彼女は未婚の母となり、17 才では二人目のコドモ(どっちも息子)が生まれているのですが、彼女は New York に出る決意をし、コドモを自分の祖母に預けて 1960 年、Detroit を後にします(母の方はその数年前に「出て」いってしまったらしい)。
New York ではデモ・テープを作り、レコード会社にアタック。結局 Columbia Records と契約をハタすのですが、この時期の録音はちょとマトはずれ、と評する向きもあるようです。
Columbia では 10 枚のアルバムと Rock-a-bye Your Baby with a Dixie Melody というヒットを残して、1966 年に契約が失効すると、Jerry Wexler によってこの Atlantic との契約が成立します。

Wexler は彼女の資質を正しく捉え、Muscle Shoals の the Florence Alabama Music Emporium studios に送り込み、そこではタダモノじゃないサイドメン(含 Cissy Houston、Duane Allman& Eric Clapton )が彼女のアルバムをパワー・アップしてくれるハズでした。でも、呑んだくれた亭主の Ted White(マネージャーでもあった!)とミュージシャンのひとりがモメてオジャンに!モメたのはダレとだったんでしょね?日を改めて(たぶんメンバーも変えて) Muscle Shoals で入れた I Never Loved a Man ( the Way I Love You )が成功し、こっから Atlantic での彼女の快進撃が始まるのでございます。
そしてその第一作からわずか五ヶ月でリリースしたのが Aretha Arrives なのです。
ストーンズの Satisfaction や、この Night Life などが入ったアルバムは Atlantic の一連のアルバム群の中ではベスト!ってえワケじゃないけど、ワタシとしては Night Life が入ってるから、とってもダイジな一枚となっております。
あ、Aint Nobody ( Gonna Turn Me Around ) って、彼女の妹、Carolyn Franklin の作なんだって。

この後もあのグラミー賞の名曲 Respect を始めとして、Chain of Fools、Since Youve Been Gone、Think、The House That Jack Built と、Columbia 時代とはうってかわったイキのいい Aretha の世界が繰り広げられていくことになります。
1969 年、なにかとモンダイのあった Ted White との 8 年間におよんだ結婚生活も「解消」し、悩みがひとつ減ったか、と思ったら、なんと彼女の父親がマリファナの所持容疑で逮捕されちゃいます。このころには彼女がアルコールに溺れてる、なんてウワサが流れたりしてましたねえ。

1970 年代初頭、S&G の Bridge Over Troubled Water をカヴァーしたりもしてますが、この頃、これも結婚してない状態で四人目の息子を出産しています。
1969 年から 1975 年まで、毎年グラミー賞をカクトクする、という偉業も達成していますよ。しかし、1970 年代末には彼女のレコード・セールスは下降線を辿っていきました。Atlantic での最後のアルバム LaDiva も・・・

そんなムードにカツを入れたのが、あの映画、『The Blues Brothers 』だったのです。
これで、彼女は新しい、若い世代の聴衆をカクトクしたのでございました。そして Atlantic から Arista へ。その Arista での再出発となるアルバム(彼女にとって、もっとも高いところまでチャートを登ったアルバムとなりました)Aretha がリリースされたのは、彼女の父が自宅に押し入ろうとした強盗から受けた銃撃がもとで死亡した一年後のことでした。
ううむ、こうして見てくると、実に波瀾含みな人生なのね。

1980 年代に入ってから Clive Davis はアルバム作りの戦略を鮮明にし、George Benson、Luther Vandross に Marcus Miller などを投入し、ヒットを生み出していきます。
そして彼女は Narada Michael Walden と組み、Whos Zoomin Who ? ( 1985 )を作り上げました。これで Aretha は再びチャートの頂点に返り咲きます。そして 1975 年以来のグラミー賞にも返り咲いたのでした。
1987 年にもグラミー賞と、そして名誉ある the Rock and Roll Hall of Fame に殿堂入りを果たした最初の「女性」となったのです。

その「輝かしい 1987 年」に続いたのは「失意の 1988 年」でした。彼女の愛した妹の Carolyn ばかりか兄弟に、さらには彼女のマネージャーまでが次々と死んでしまったのです。
でも、彼女は、まるでその運命に立ち向かうかのように Through The Storm をリリース( 1989 )、その後もペースを落とすことなくほぼ二年に一枚のペースでリリースして行きます。
1995 年にはグラミー賞の Lifetime Achievement Grammy Award を授賞しました。その後も活躍を続けますが、『Blues Brothers 2000 』で再び姿を見せたりしております。
いやいや、90 年代以降の彼女についちゃみなさんのほーが詳しいでしょ。
特に『Divas Live 』で Aretha Franklin をゲストに迎えちゃったばっかりに、ディーヴァなんぞと僭称しておったセリーヌ・ディオンやマライア・キャリー、グロリア・エステファン、シャナイア・トゥエインなんぞが「マクラを並べて討ち死に」をしちゃった、っちゅー有名なエピソードがあるらしいんですが、ワタクシ、それは見ておりません。見たかったなあ。

話は変わりますが、Aretha Franklin の歌う(あ、BeBe & CeCe Winans とかってのと三人で歌ってるんですが)キャロル・キングの Youve Got A Friend、アレいいですねえ。
さて、その偉大なる Aretha Franklin、この年末で現役を退く、なんて公言してたんですが、も少し延びることになりそうです。さらにもひとつ、時期にこだわらない「名曲」アンケートでは、「彼女の歌う」I saw a little prayer がミゴト 2 位になったそうでございます。うむ、そーじゃろうとも!
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