Holy Cow

Lee Dorsey


2003-12-25 THU.
かなり強引だけど、クリスマスっつーことで、しかも時あたかもアメリカ国内でも BSE が発見されたばかりだし(?)なんちてタダの駄ジャレだけど、今日は Lee Dorsey の Holy Cow でございます(時差の関係で、日本時間じゃ 25 日だけど、まだアメリカは 24 日だ、っちゅうムリヤリな理論で、お誕生日でもある Lee Dorsey っつーワケ!)。あ、それとはゼ〜ンゼン関係ないハナシですが、ハリウッドっての「 Holywood 」(聖なる木)だと思ってる方が多いようですが、あれは「 Hollywood 」つまり西洋ヒイラギでございます。そのイミじゃ Christmas Tree とはカンケーあるかも?

さて、これまた New Orleans Jazz & Herritage 1976 に収録されておる擬似ライヴ(?)でございます。
ま、正直に言うと、このお方の声はあんまりワタクシの「好み」ではございません。
でも、このライヴでのこの曲の作りがナンとも言えずユルくていいんですよねえ。
特にあの女性コーラスの「おざなりチックな」心理的距離感(?)が彼のウザったいくらいの密着感(あるいは粘着度?)を中和してくれてるみたいで、実にフシギな「ホンワカ」リズムとあいまってこの曲を忘れ難い仕上がりにしてくれてるよな気がします。
録音は 1976 年 9 月11日、所はモチ、いつもの Sea-Saint Recording Studio でございます。なのに、ナゼ聴衆の歓声が入っておるのか?とか、音楽のフェイド・アウトと聴衆のザワメキの音のフェイド・アウトがズレてるのはナゼか?なんてコトを尋いてはなりませんぞ。世の中、知らないでおいたほーが良いコトがタクサンおじゃりますのじゃ。

そのライヴでの音源ではございませんが、曲は↓
http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD14937_listen.html で聴くことができます。
この曲、アメリカでよりも、イギリス受けしたようで UK チャートの 6 位を 1966年11月19日に記録しておりますが、アメリカではトップ 10 に届きませんでした( 23 位が最高)。
その前作の Workin In The Coal Mine は英米両方でポップス・チャートの 8 位まで登っているのですが(とは言ってもトーゼン、タイム・ラグがあり、USA チャート=1966.9.3、UK チャート=1966.9.17 でございます)、どーやらこの Holy Cow、ナゼかイギリスの聴衆の方が支持したようですねえ。それでも、バ・ザンド・・・ じゃなかった、ザ・バンドがカヴァーしたりしておりますよ、この曲。

Irving Lee Dorsey は 1926 年12月24日、Louisiana 州 New Orleans で生まれています。ただし、それからアメリカ軍兵士の時期を経た後、Kid Chocolate というリング・ネームを持つボクサーとして 1955 年までリングに上がっていたらしい、ってゆーとこまでの間の情報はカンゼンに欠落しております。どの資料でも「ブランクのまま」なのよね。

1955 年に New Orleans の R&B 系の D.J.として活躍していた「 Ernie The Whip 」の所有する自動車の車体修理工場で働き口を見つけてボクサーを引退しております。そのガレージで働いている間に地元のレコード・プロデューサーが彼を Cosimo Matassa のスタジオ( 1950 年代と 1960 年代にはクレッセント・シティ唯一のと言ってよいレコーディング・スタジオとして、New Orleans の音楽を支えた Cosimo Matassa のスタジオ。当時、最強のハウス・バンドを擁していた。そのメンバーは、サックスの Lee Allen と Alvin "Red" Tyler、ドラムの Earl Palmer と Charles "Hungry" Williams、ギターでは Justin Adams と Ernest McLean が詰め、ピアノが Huey Smith に Edward Frank、ベースに Frank Fields、といったメンバーで、Fats Domino や Smiley Lewis、Little Richard に Lloyd Price、そして Shirley & Lee などのバッキングを務めていました)に連れていった、となっていますが、なんで目をつけたのかは手元の資料では不明でございます。

彼は最初、Joe Banashak の Instant label や Rex label に吹き込みをしていますが、それらは注目を集めることもなく終ったようです。そんな彼が ABC から出した最初のシングル Lottie Mo はちょっとしたローカル・ヒットとなり、それが Fury との契約を導いた、としている資料もあります。ただそのリリース年が判らないのはナゼ?

ところですぐに彼のバックに the A.F.O.( All For One )band がつくようになります。
このバンドは Allen Toussaint のピアノ、Roy Montrell のギター、Chuck Badie のベース、Alvin "Red" Tyle のサックス、John Boudreaux のドラムからなり、その効果はテキメン? Ya Ya は Fury からリリースされると 1961 年の 8 月にはチャートに初登場、そこから 19 週にわたってチャートに居据わり、最高位が R&B チャートでは当然 1 位!ポップス・チャートでも 7 位にまで昇りつめています。
ただし、それでソク彼がラクな暮らしが出来るようになったか?というと、そーでもなかったようで、(どうやら彼には養わないといけない自分以外に 10 人の家族を抱えていたようですから、車体修理工場の仕事から足を洗うことはできなかったようです。

1965 年には Lee Dorsey は Amy label から Ride Your Pony をリリース。たちまちチャートを駆け上がり始め、R&B チャートの 7 位、ポップス・チャートでは 28 位にまで到達します。
そこからは彼をチャート・インするナンバーを連発します。前述した R&B 5 位、Pops チャート 8 位の Working In A Coal Mine に続いては、今日のナンバー Holy Cow に、これまた有名な Get Out Of My Life Woman(このヘンは 40 を超えるアーティストにカヴァーされてるとか)・・・

ただし、振り返って見れば、彼の栄光はこの時がピークだった、と言うこともできるでしょう。
その後の Everything I Do Gone Be Funky ( From Now On ) は、実質的に彼の最後のヒットだったかもしれません。その間、Allen Toussaint によってギターに Deacon John Moore、ドラムでは Zigaboo Modeliste( http://www.zigaboo.com/ )が投入されたりしており、1970 年代に入ってからは Polygram に Allen Toussaint 作の Yes We Can(アルバムのタイトル・チューンでもあります)を入れていますが、チャートは 46 位と、ようやくベスト 50 に割り込んだ程度で終っております。しかも皮肉なことにこの Yes We Can は後に the Pointer Sisters によって「大ヒット」になっちゃうんですねえ。

この New Orleans Jazz & Herritage Festival と同じ 1976 年には(ちょっと、どっちが先か?は判りません) Southside Johnny And The Asbury Dukes にゲストとして参加しています。彼自身の最後のアルバムは Allen Toussaint のプロデュースによる Night People で、1977 年、ABC からリリースされました。
1979 年の Jazz Festival にはモーターサイクルでの事故のせいで車椅子で登場しておりました。しかし、その翌年の The Clash の北米ツアーにはサポーティング・アクトとして同行しています。

あと少しで彼の 60 才の誕生日だったのですが、1986 年の12月 1 日、New Orleans で死亡しました。肺気腫だったそうです。
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