Bye! 2003

Blues Year ?


2003-12-31 WED.
2003 年もついに終ろうとしておりますが、みなさまにとってはどんな年だったでしょうか?
この BLUES 日記にとってはちょうど年の 1/2 となる前半の 6 ヶ月と、7 月以降の 6 ヶ月では大きな変化がございました。ま、見ようによっちゃあ、広いイミでの BLUES 日記(?)から、より狭義の BLUES に特化してみました、ってえとこでしょうか?
最初は単にアリバイとして(?)「今日のブルース」ってのを一曲選定し、それにまつわることどもをチョロっと書こう、と思って始めたんですが、そこはホレ、悪凝り(そんなコトバ無いか?)のハゲしいワタクシのことゆえ、ついでに、そのブルースマンのひととなり・・・ までは行かなくても、なにかしら「手がかり」としてヒトコト、なんて思ったのが運の尽き。
サイショはカンタンな説明だけだったのが、Eddie Taylor の 3 日連続、Robert Johnson の 5 日連続などとゆー「深み」にハマって行き、ついには Screamin' Jay Hawkins の半月を超える「連載」となっちまったのでございますよ。

でも、考えてみれば、そんなに詳しい情報が残ってるブルースマンってのは「稀有」なほーで、たとえば戦前のブルースマンなど、たった数曲の録音を残して歴史の闇に消えてったひともタクサンいます。
それでも、Robert Johnson みたいに神格化され、伝説となって行くほどになると、現地にまで行って検証してこれるよなファン、あるいはマニア、はたまたモノズキが少なからず出て来て、いろんな情報を発掘して来てくれたりするので、次第にその姿がぼんやりとでも見えて来るのですが、そこまで重視もされないブルースマンたちの来歴やらエピソードは、それを伝えられる人々も時代の進行に伴って、どんどん、この世から消滅していっています。
また、当時のアメリカの黒人世帯の出生届けがどのように扱われていたのか判らないので軽々に断じることは出来ませんが、それらの資料がはたしてキチンと保管されているのかギモンだし、また保管されていたとしても、生年や出生地に異聞がある場合、そのような情報の信頼性にも疑いが残ります。
本名とされている名前にしても、どこまで正確なのか「?」ですしね。

ケッキョク、現地の戸籍データ、それも 19 世紀末のプランテーションで働いて(いや、働かされて)いた黒人たちの間に(正式な婚姻関係さえ成立させてもらえなかった場合もあるでしょうし)生まれた子供についての記録が、せめて「存在しているのかどうか」すら、ここ弘前にいては調べようがないんですよ。
いかにインターネットがワールド・ワイドで広がっていったとしても、現地で、それらのデータをストックしたサーバを「オープン」にしてなきゃあ(あ、その前に、そもそもデータをデジタライズしててくんなきゃ、ね)、そこに到達することは不可能です。

そして、ワタシが最もキョーミのある、「いかにして彼はブルースマンになったのか?」については、周囲の証言ナシにはどーすることも出来ません。
19 世紀の最後の 10 年あたりに生まれたブルースマンの「少年時代」を証言できるのは、最低でも、同じ年齢だった人たちのハズですから、もし生きてたとしても、とっくに 100 才を超えてますよね。おそらく殆どはすでに鬼籍にお入りになっておられることでしょう。
まだ生きておられたとしても、はたして 90 年(!)以上も前のことを記憶してるかどうか・・・

ま、それでも、たとえ数曲ではあっても、録音を残し、歴史上に名を残せたブルースマンはまだ幸運(本人はそんなこたあどーだってい〜やね、かもしれませんが)だったのかもしれません。
たぶん今にその名は伝わっていなくても、もしかすると Robert Johnson にだってスゴい影響を与えたブルースマンがいたんじゃないでしょか。
それらの「名も知らない(名も無いってえ言い方はないよねー、新種の生物じゃないんだから)」ブルースマンたちの間で醗酵し、熟成されていった曲が、たまたまフィールド・レコーディングで後世に残り、そのときそれを演奏した者の名前で通用していく。
だから、まだ著作権なんてえ意識の希薄だった戦前のブルース、それも初期のころの録音について、オリジナルが誰、なんて断定するのは(レコード上に表れた音楽史としては仕方ないけど)、その曲がどのようにして生まれたか?についての考察を(悪意はないにせよ)とんだ的外れの方向に導くキケンがある、と思っています。

街頭で、ハウス・パーティで、あるいはジューク・ジョイントで、出合ったヤツから教えてもらったり、あるいはこっそりパクったり、酒一杯で譲ってもらったり、ひとつの曲想は様々なブルースマンの間を漂い続け、才能あるものはその曲に「さらに」ウケる要素を加えて行き、そのようにして多様なヴァージョンのなかから「普遍性」を持つに至ったアレンジなり仕上がりがレコード会社の目に止まり、吹き込まれることで 21 世紀の今、我々にも届けられることになったのだ、と。

でも、フと思うんですよ。その当時、フィールド・レコーディングを行っていたスタッフ(録音技師も兼ねてたかもしんないけど)のプロデューサーっつーか、ディレクターが「こりゃオモシロい!」と思ったものが選ばれてるワケでしょ?
その人たちの感性が今のワレワレとどんだけ「違う」んだろ?って。

もしかすっと、もし残してたら Robert Johnson 以上の評価を得られたかもしれないブルースマンもいたんじゃないか?なんてね。

いまのとこ、タイム・マシーンは実現しそうもないから数々のナゾはそのまま手つかずで残ってくんだろうなあ。

ま、おバカなこと言ってないで、あともー少しで 2004 年。
みなさま、こんなイカれた日記に付き合ってくださってありがとうございます。来年もまたよろしく、でございます。
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