The Tale Of Memphis Dreams / Vol.2

STAX


2004-01-06 TUE.
さて、The Saturday Night Jamboree から巣立っていったミュージシャンたちはまだまだおります。

Lee Adkins(後に Sun Records と契約、と資料にはありますが、現在のところ Discography 上では確認できませんでした。ケッキョク録音にまでは至らなかったのでしょうか?)、Bud Deckleman( Meteor Records と契約、カントリーのヒット「Day Dreaming 」がある。また the Louisiana Hayride radio show でスターになった。The Complete Meteor Rockabilly And Hillbilly Recordings─ Ace 2750 で「Day Dreaming 」が聴けます。他に Charlie Feathers も収録)、Harmonica Frank Floyd( Sun Records と契約。エルヴィスの「That's All Right Mama 」に先駆けること 3 週間、「Rockin' Chair Daddy 」をリリース。それをもって彼を「ロケンロー」の始祖、とするひともいるようですが、いかがなものか)、Barbara Pittman( Sun Records と契約、「Two Young Fools in Love 」のヒットがある)、The Lezenby Twins( Pepper Records と契約。「Ooh Ooh La La I Fooled You 」はトップ 40 に入った)、Lefty Ray Sexton( 1950 年代を通じてバンド活動をしていたが、これといったヒットは無いみたい)、Lloyd (Arnold) McCoulough(このひとはちょと「?」なんですが、カナダでスターになったんだって)、Tommy Smith( Decca Records と契約し自作の「I'm a Fool 」がヒット)、Major Pruitt(後に D.J.となる)、Johnny Harrison( Nashville に移り、ソングライターになってます)に Larry Manuel(このひとは Joe Manuel の息子。Stomper Time Records から「Don't Try to Call Back Tomorrow 」をリリース)・・・これがみなThe Saturday Night Jamboree の出演者だったのです。

そのようにスター(と言われても、ワタシは、そっち方面に詳しいワケじゃないので、受け売りです)を輩出したThe Saturday Night Jamboree ですが、それが地域のミュージシャンに与えた影響としては、単にデビューの機会を与えた、というだけにとどまりません。その役割の中で、もしかすると一番大きかったのではないか?とも思えるのが、バック・ステージ、つまり楽屋などでのミュージシャン同士の交流だった、と言われています。
いずれもウデに自慢の若者たちが、かと言ってヘンにライヴァル心を剥き出しにガンを飛ばし合うこともなく、それどころか、新しいワザなどを和気アイアイと教え合ったりしていたようで、それが地域全体のレヴェルをアップさせていったようです。また他の出演者の新しい音はすぐ話題となり、それを採り入れてまた前進してゆく。そして、そのヘンが判る敏感な聴衆も揃っていたことからThe Saturday Night Jamboree は Memphis の音楽にとってきわめて重要な存在となっていったのです。

そのようにして、単なる音楽好きのアマチュアのレヴェルから「レコーディング・クォリティ」に達するようになり、次々と Memphis 周辺のレコーディング・スタジオなどでその音楽を吹き込むようになり、後になって、それらの音群は Rock と Hillbilly の合成語である Rockabilly と呼ばれるようになったんだとか。ただし、このヘンの「ロケンロー」の起源とか、「ロカビリー」の始まりは、ってえ話題になると議論百出、喧々囂々、我田引水、酒池肉林、ってなワケでいつどこからどのよーな刺客が現れるかもしれないので、「あくまでも伝聞である」とおコトワリいたしておきましょ。

さて、このよーにしてThe Saturday Night Jamboree が思いのほか成功してくると、Joe Manuel は出演希望者の選別やら、各方面での調整などに忙殺されるようになってしまい、ハッキリ言って彼の手に余るようになって来たため、マネージャーをつけたい、と考えるようになりました。そこで彼が交渉したのが、古くからの親しい友人、Marshall Erwin Ellis( インディーズの、なんてゆーと最近のニホンの独立系みたいだけど、自分のレーベル RIVERFRONT と ERWIN を所有するプロデューサーでもあり、Kimball Coburn のヒット、「Dooby Oby Pretty Baby 」を手がけている。またあまり知られていない Hoyt Axton という歌手の「It's a Little More Like Heaven Where You Are 」もプロデュースしている。この曲はカントリーのヒットとなり、その後ほぼ 40 年にわたって彼にロイヤリティをもたらした!)でした。Ellis は理髪店のオーナーでもあり、一時は自動車の販売にも手を出したことのある「ビジネスに強い」タイプのニンゲンであり、説得の結果、彼のマネージメントを引き受けてくれることになったのでした。それ以降 Ellis は the Saturday Night Jamboree にとって様々な役割を果たす存在となったのです。
この Marshall Erwin Ellis はまた出て来るから覚えといてねん。

1954 年の末に the Goodwyn Institute のオーナーから申し出があり、公会堂を補修するために、しばらくの間、使用出来なくなる件に関して理解を求めてきました。そこで Joe Manuel は、まず、適当な代替施設が見当たらない上、主な出演者たちもレコード会社との契約を果たしたことだし、そこから生まれたヒット曲がオン・エアされている状態なので、そこで The Saturday Night Jamboree の幕を引くことを決断したのでした。

その 2 年間で確実に Memphis の音楽状況は変わり、別に彼がそう意図したワケではないにせよ、結果として Rockabilly の花を咲かせたことになるのかもしれません。 The Saturday Night Jamboree に登場し、スターとなって行った者たちばかりではなく、そのバンドのメンバーとして支えていた層もまたレヴェルをグンと上げて、Memphis の複数のレコーディング・スタジオでのセッション・ミュージシャンとして、このエリアの音楽的土壌をより一層豊かなものにしていったのではないでしょうか。
The Saturday Night Jamboree のバック・ステージ、楽屋で生まれた音たちが、後に世界に出て行くことになった、とまで言い切るのはちょっと大袈裟かもしれませんが、しかるべき時期に、しかるべき機会を与えられて世に出た才能を思えば、この 2 年が Memphis の行方を決めた、と言ってもいいのかもしれませんね。

Jamboree をやめた後の Joe Manuel は次第にショー・ビジネスからは身を引いて行きますが、それでも D.J. は続けていたようです。Marshall Erwin Ellis は、彼のマネージャーをやめましたが、二人の友情は変わることなく、1959 年の Joe Manuel の死まで続きました。

と、ここまでは The Saturday Night Jamboree を中心とした Memphis のバック・グラウンドの一断面を述べてまいりました。いまのとこブルースの「ブ」の字も出てきてませんが、さあて、その先はどーなるんでしょねえ?

まったくカンケー無いものを探してるときに、だい〜ぶ前( 5、6 年前じゃないかなあ?)に東京から送った宅配の段ボールの空箱(のハズだったけど)を持ち上げたら、ミョーな重みがあります。
ん?と思って中を覗いたら「 DOD 」の箱がいっこ。
あり?なんだっけ、これ?と思って手に持ってみると、ズッシリと重いじゃあないの!
なんかを蔵っておいたのかな?と開けてみると、あ〜らビックリ!まったく手つかず、新品そのものの DOD 270 a-b BOX(つまり Input から入った信号を A あるいは B の Outputにフット・スイッチで振り分ける)っつーものでございます。

おおおお、そー言えば遠〜い記憶のカスミがかかった光景の中で、イシバシのパーツ店で買ったような買ってないような(って、現にここにあるんだから買ったに違いないんですがね)・・・
そうだ!あの時、先にこっちを買って、その後ショーケースの中にもひとつあって、それが LED 付き、A or B / A or A+B を選べるセレクター SW 付きのだったんで、それも買いこみ、そっちは手荷物で持ち帰って、この DOD はショボいから着替えなんかと一緒に宅配で送ったよーな気がする。
うひゃあ、着替えを取り出した後、こいつのことを完全に忘れてたんでしょねえ。
なんだか思いがけずお年玉でも貰ったよーな気分ですが、考えてみりゃ自分で買って忘れてただけなんで、ホントはチャラ?
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