The Tale Of Memphis Dreams / Vol.7

STAX


2004-01-11 SUN.
およそ Booker T. and the MG’s に始まり、Carla Thomas から The Mar-Keys、そして Otis Redding と続いて来た Stax Records の成功は、自然と、さらなるミュージシャンを惹きつけることとなります。その中には Sam & Dave と Wilson Pickett がいました。そのふたつは Atlantic によってもたらされたものですが、Stax 自身も William Bell や、先日採り上げた Knock On Wood の Eddie Floyd、the Mad-Lads、さらにプロデューサーでありソングライターでもあるデュオ、Isaac Hayes と David Porter を獲得しています。
しかしその前に Stax にとってはもっと重要な人事があったのです。
それは Eddie Floyd のところでも名前が出てきた Washington D.C. の黒人 D.J. にしてレーベル・オーナーでもあった Al Bell を国内セールスの責任者として迎えいれることが出来たことでした。1965 年に彼がその任に着くや、たちまちにリーダーシップを発揮して成果を上げ、それによって所属ミュージシャンも増えた、と言っても良いかもしれません。そして、彼は未来の Stax においても重要な存在となっていくのです。

このころ、Sam & Dave が登場し、さっそく Isaac Hayes と David Porter は彼らをものにしました。「I Take What I Want」、「Soul Man」、「You Don't Know Like I Know」、「Said I Wasn't Gonna Tell Nobody」、「Hold On, I'm Coming」などのヒットが連続し、さらにその翌年 1966 年には前述の Eddie Floyd の Knock On Wood、Carla Thomas の B-A-B-Y、Albert King の Crosscut Saw、また Sam & Dave で You Got Me Hummin'・・・ しかし悲劇は静かに近付きつつあったのですが。

翌 1967 年はヨーロッパ・ツアーや the Monterrey Pop Festival などで華やかな年でもありました。Otis のツアーでバッキングを務める the Bar-Kays にまで Soul Finger というヒットが生まれています。
そして運命の 12月10日、Otis Redding と The Bar-Kays が乗り込んだ双発のビーチクラフト機は Wisconsin 州 Madison の、周囲およそ 21km、最も深いところで 22.6m という Lake Monona に墜落し、天空にひときわ輝いていた大きな星は失われてしまったのでした。
皮肉にも彼の最期のシングルとなってしまった The Dock of the Bay はこの悲劇によってさらに注目され、R&B およびポップスの両チャートで 1 位になる彼にとっての最大のヒットとなるのです。

しかし Stax にとっての悲劇はその後に来たのかもしれません。
Atlantic との間で締結されていた契約が期間満了となり、再締結の交渉をする必要があったのですが、そこで Jim Stewart はこれまでの作品の所有権が「すべて」 Atlantic に帰属することになっていることに気付き、戦慄することとなりました。
それを取り戻そうとする交渉は泥沼に入り、いずれにしても「気付くのが遅かった」 Stax にはもはや打つ手は無かったのです。こうして Otis Redding を始めとする多くのミュージシャンの版権は Stax の手から奪い去られたのでした。

結局、Atlantic の言いなりになって隷属するかわりに Stax は映画会社 Gulf and Western に株を売却して数百万ドルを得ています。この決断は Jim Stewart と Estelle Axton、そしてもはや重役となっていた Al Bell の合意によっており、形の上では「雇われ」社長と重役という地位になりました。

その後の 2 年間は Stax にとってかなりの努力が必要だったことでしょう。当面の「稼ぎ頭」を失って低迷する売上で持ちこたえなければならない、という社内事情に加え、外圧としては筆頭株主となった Gulf and Western からの干渉、とまさに「内憂外患」というコトバがピッタリ来るような日々だったハズです。
しかし Stax の経営陣─ Jim Stewart と Al Bell ─は株を買い戻すことを目的に努力を続けます。1969 年には Al Bell の主導で「攻め」のリリース・キャンペーンを開始し、ピーク時には一ヶ月でアルバム 27 枚、シングル 30 枚を投入。 Booker T.の Time is Tight、Johnnie Taylor の Who's Making Love、さらに Isaac Hayes の一連のヒットのハシリとなった Hot Buttered Soul は「トリプル・プラチナ・ディスク」という偉業を成しとげました。

さて、その間、Sam Phillips の Sun Records はどうなっていたのでしょうか?
1958 年には Johnny Cash が Columbia に去りますが Sam Phillips は社屋を Madison 街 639 のワンブロックに移し近代的なスタジオを二つ新設しています。
ただ、それとカンケーあるかどうかは「?」ですが、妻の Becky と離婚し、1955 年に入社していた Sally Wilbourn と一緒に暮らし始めています。
1961 年にはナッシュヴィルにもスタジオを設けますが、1964 年には売却してしまいます。
ナッシュヴィルでは American Federation of Musician のガイドラインがレコーディングの時間当たりの曲数まで制限していたため嫌気がさしたもののようです。
Stax がブラック・ミュージックに集中して行ったのとは対象的に、どんどん R&R に特化していった Sun でしたが、1960 年代の中期からは Columbia/Capitol、あるいは Mercury、さらには Atlantic などからも買収の話しが持ち掛けられるようになっていました。
Sam Phillips は各種の条件を摺り合わせて検討した結果、1969 年の 7 月 1 日に Shelby Singleton に Sun Records を売却しています。
もっとも、そんな Sun の退場に先だって、Memphis のミュージック・ビジネスには新規参入がありました。それは 1957 年に Ray Harris が 3 ドル50セントの投資(これはたぶん会社登記の手数料のコトじゃないかと思うんですが定かではありません)で興した Hi Records がそれです。
そこには、かって Sun と Meteor のための制作に関わっていた Bill Cantrell と Quinton Claunch という二人も参加し、さらに彼らが声をかけた Joe Cuoghi という人物は Popular Tunes というレコード店を経営し、ジュークボックス事業も手がけていた事業家で、後には Hi Records の社長にまでなっています。
Hi Records の最初のヒットは 1959 年、かって Sun でのプレスリーのセッションでは必ずバックでベースを弾いていた Bill Black の the Bill Black Combo でした。
Ray Harris とこの Bill Black は、 Hi における 1960 年代前半の基本的なリズムを決定した、と言って良いでしょう。
ところで、Stax でもセッションに参加しているトランペッター Willie Mitchell は、1961 年に Hi でシングル「The Crawl」を出し、専属のホーン・アレンジャーとして、またセッション・メンバーとして the Hi Rhythm Section を組織し、それは Stax における Booker T.& MG’s に匹敵するものでした。
実際、初期においては Al Jackson がドラムとして在籍したくらいですから。(このヘンの詳しいことはhttp://bluesdays.exblog.jp/127662でどうぞ)

Stax では、そんなドリョクの甲斐あって(?)ようやく 1970 年には Gulf and Western からの株の買い戻しに成功し、そこからは the Soul Children、the Staple Singers、Frederick Knight、Jean Knight、Rance Allen、Mel and Tim、the Emotions を次々と獲得して行きました。
さらに新設したコメディ部門のサブ・レーベル Partee では Richard Pryor のデビュー・アルバム『That Nigger's Crazy』をリリースしています。この時期、他にも Gospel Truth や Hip、そして Respect というサブ・レーベルも発足させました。

とようやく立ち直った Stax でしたが、さらに波乱が前途に待ち受けていたのです。
1972 年、Al Bell は Columbia Records との間で Stax の供給契約を取り交わしました。その時点で Columbia は 6,000,000 ドルを Stax に出資していますが、Al Bell はそれを原資として Jim Stewart 個人の所有する株を買い上げる交渉に入りました。結局 Jim は 5 年間、社長の座に居続けることを許されたかわり、実質的な所有権を失ったのでした。そして、名目上の社長が誰であれ、実際には Al Bell が会社を運営してゆくこととなります。

でも波乱というのはそのことではないのですよ。それはまた明日、っつーことで。

久しぶりにブルースブレイカーズのヴィデオが出て来たので、あれ?これってどんなんだったけ?とゆーワケで観てみました。あの Junior Wells & Buddy Guy もゲストで出てるヤツね。
う~む見れば見るほどメイオールがキモチ悪い!
まずピアノ弾きながらクビを左右に振るのがキモい!顔がキモい!タンクトップがキモい!おまけにハープ吹くとウルちゃい!そっかあ、それでお蔵入りにしてたんだ、このヴィデオ、と再生してスグ思い出しちゃいましたよ。
で、なにより許せんのは、Hubert Sumlin も出てるのに( Buddy Guy の向こうで Gibson Firebird 弾いてるの誰だ?ちゃんと写せ~!と思ってたら、なんとエンド・ロール見たら Hubert Sumlin の名が!)ソロもまわさないどころか、ちゃんと写しもしてない!
あとステージ照明の担当者が「おバカ」。Albert King じゃなく、その後でヘボいピアノ弾いてるメイオールにスポット当てたまま!ゲストがいない時だって、ミック・テイラーがソロとってるのにメイオールにスポット!
と、こんなんだから、とーぶん見ることは無いでしょが、また再発見して「あれ?これどんなんだったっけ?」なんて気を起こさないようにちゃんとシール貼って「見ないほーが良い」っつーのデカデカと書いとこ。
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