In the biginning

Disc history


2004-01-30 FRI.
1847 年 2 月11日、Ohio 州 Milan でひとりの男が生まれています。
その名は Thomas Alva Edison。
そ、みなさまご存知の「発明王エディソン」でございます。
なんでまた、そんな話を?とお思いでしょうが、実はこないだっから古いレコード会社のこととか出てくるたびにヴァーティカル・カットとラテラル・カットなんて術語(?)が出てきますでしょ?それも各レコード会社の記述にはバラバラで出てくるもんだから、そのヘンの録音技術みたいなもんのイノヴェーションつうか、変革がどー進んできたのか、一度さらってみたいな、と思っておったのでございます。
てなワケで、やや技術的側面に比重があるんで、ちょっと「ブルース」からは遠ざかるかもしれませんが、しばらくのご辛抱を、って日記なんだからそんなことわりするのもヘンなハナシなんですけど。

歴史に「もし」は無いってのはよく聞くセリフですが、エディソンが発明してなくても、いずれ誰かが同じよなものを世に出したでしょか? ナニをって?「蓄音器」でんがな。
電球の発明で、アメリカ「LIFE」マガジンが選んだ「過去 1000 年間で最も重要な人物 100 人」のひとりに名を挙げられた彼ですが( 1854 年、ただし、実際に「最初に」電球を生み出したのは 1818 年ドイツで生まれ移民として New York に来た Heinrich Goebel なのにね)、1877 年には「音」を録音し、再生することの出来る「Phonograph」も「発明」しています。
最初期の Phonograph は物珍しいけど、まだお粗末なものでしたが、それでも大衆の興味を掻き立てたのは確かでしょう。
したがって、まずそれを購入したのは興行関係者だった、というのもうなずけます。それを持って各地を廻り、実演して見せるだけで木戸銭が稼げたのですから。
いきおい、当時の方向はより木戸銭が取れる「話す人形」や「喋る時計」という「見世物小屋向き」の技術開発に向ったのは現代の HONDA の人型ロボット ASIMO がアトラクション向けにリースされているのと同じようなもんかもしれませんね。

1887 年になると、Edison の研究所は Phonograph と Phonograph Cylinder の開発に精力を注ぎ込みます。
Phonograph Cylinder とは、初期の録音方式が円筒を利用していたことによるものです。円筒なので回転対称体なワケですが、その回転軸を水平にして回転させ、螺旋に切ったネジを利用して円筒自体が軸方向に時間とともに移動します。
金属製の円筒の表面には錫(すず)の箔が貼ってあり、集音のためのラッパ(再生時には拡声器として働くタイプもあり)の奥にはダイアフラム(振動膜)があって、そこから出た針が錫箔の上に音の振動を刻み込んで行くワケです。逆にすでにそうやって録音された円筒を回転させてその刻まれている溝に針を沿わせると、録音された内容がかなり小さい音ながら聞こえる、という原理を利用したもので、これは「学研」のフロクにまでなっていますから、もしかすると実際に「やってみたよ」なんてえ方もおられるやもしれません。
これの問題点は録音の際の音の大きさに比べると、再生できる音量が 1/100 近くまで小さくなってしまう、という変換効率が非常に悪い、ということでしょう。
これについては、録音には集音のためのホーンとダイアフラムを使い、再生には医師の使用する聴診器のような(あ、最近じゃ JAL の座席に用意されてるヘッドフォーンみたいなチューブも同じ構造ですね)アダプタで聴きとる!さらに、箔では刻み込める溝の深さ変化の幅が限られているため、充分な振幅が得られません。そこで筒の表面をワックスの膜で覆い、そこに刻み込むようにして、大音量にも対処できるようになってゆきます。
このワックスが登場するのは 1880 年代に入ってからのことですが、そこには別な問題がありました。
それは音波振動程度の「ささやかな」動きでカット出来るような柔らかい素材だと、何度か再生すると溝が磨耗してしまう、という点です。
したがって何度も再生して音質が悪化してきた蝋管は「下取り」に出し、新しい録音のを買ってくる、というシステムが生まれていたようです。あるいは表面を削りなおしてまた録音する、ということも行われておりました。
この 1880 年代末から 1890 年代にかけての時期は、むしろ、自分で録音して楽しむ、という用途がメインだったようで、Phonograph 自体に録音のためのアタッチメントがセットになって販売されるのが普通だったみたいです。

実は 1886 年に、ドイツのハノーヴァー生まれ( 1851 年)で 1870 年には移民としてアメリカに渡って来ていた Emile Berliner が、the Bell Telephone Company を退職後、自ら研究生活に入り開発した「 Phonograph Cylinder とは違った」方式、Disc Recording を発表し、Gramophone と称していたようです。
つまり、それこそ、後の「レコード」につながる、円盤上に溝を刻み込んで行く技術の出発点だったのです。
ただ、この時点では Edison の研究所が辿りついていた録音時と再生時でそれぞれに最適な変換系を使うなどというノウハウは群を抜いており、音質で比較すると Disc は Cylinder の敵ではありませんでした。
Emile Berliner は 1887 年に Disc Recording のパテントをとり、当初は「オモチャ」メーカーにアプローチを開始しています。
しかしながら、もちろん彼は単なる玩具ではなく、この装置をモノにすることを望み、the Berliner Gramophone Company の設立資金として、とあるビジネス・グループから 25,000 ドルの出資を引き出すことに成功しました。
ただし、この時点では Disc Records のアドヴァンテージは低価格であることだけで、しかも「再生専用」だったのです。

1888 年には Edison Phonograph 本体と、それ用の Phonograph Cylinder を扱う Washington, D.C.の販売会社として Columbia がスタートしました。
やがて、顧客の求めにより、自ら再生用の(つまりすでに録音されている)蝋管をプロデュースして販売するようになって行きます。
初期の蝋管は実に様々な規格が乱立し(なんだか最近もそんなことあるよねー。ほんと人間って進歩しとらんのよ)互換性のまったく無い状態でしたが、このころから筒の長さが 4 インチ(約 10cm )、直径 2¼ インチ(約 5.7cm )、再生時間約 2 分、というスタンダードが成立しました。
商品として流通し始めるにしたがい、そのパッケージも統一され、ボール紙による円筒型のケースに入れられてその円筒部の外周には供給した会社のマークや図案を印刷したシールが貼られ、録音内容はその上に手書きで書き加えられていましたが、これは同内容を大量に製作することが無かったから、と思われます。当時はその形状から「Canned Music」と呼ばれておりました。

実はシリンダーがディスクに「決定的に劣る」のは複製の大量製作なのです。録音にはやや柔らかめのワックスを使い、例えば石膏などで雄型を作り、さらにその型からやや堅目のワックスを使ったシリンダーを作れるとは思いますが、ミゾが円周方向に廻っている以上、2 分割程度では、合わせ目あたりでは型を抜く際にミゾの中を前後方向にナメて行ってしまうためにミゾの形状を損ねてしまいます。したがって最低でも 3 分割以上にしなくてはならず、しかも合わせめに生じる僅かな「段差」でも、再生音に「周期的に」出てきてしまうことになります。
一方のディスクは円盤ですからカンタンな「スタンピング」でいくらでも複製が作れるワケで、そのコストも非常に安くて済みますよね。
さて、蝋管の紙缶パッケージにはやがて蓋部分にもラベルが貼られ、そこに内容などが記されるようになり、ナンバーなども使われるようになって行きますが、カンジンのシリンダー自体にナンバーなりタイトルが刻印などで表記されるようになるのは 20 世紀に入ってからのことで、それまでは蝋管自体にはなんの識別できるマークもついていなかったのでした。
また蝋管と一緒に演奏者や製作会社などを記した紙片もパッケージには入っていましたが、これも当初は手書きで、ある程度の量が供給されるようになって、ようやく印刷されるようになっています。
permalink No.645

Search Form