What A Shame!

Disc history


2004-02-01 SUN.
さて、20 世紀初頭の上位 3 社のレコード・ビジネスについて語ってまいりましたが、もちろん、この 3 社のみがコンテンダーではございません。今回はそのビッグ・スリーの足元でうごめいていた他の業者について少し。

まず真っ先に挙げるのとしてはちょと気分があまり「よろしくない」ヤツでナンなんですが、Zonophone ってレーベルです。
1899 年に New Jersy 州の Camden で発足したこのレーベル、Emile Berliner の Berliner Gramophone で働いていた Frank Seaman ってえのがおっ始めたものなんですが、実はとんでもない喰わせもので、そのディスク・レコードはデザインも中身も「まんま」 Berliner Gramophone を無断でパクったもので、しかもそれだけならまだしも、こともあろうに Emile Berliner と Eldridge Johnson の二人を「権利を侵害している」かどで告訴したのでございます。
高いギャラさえ払えば、どんな訴訟でも勝つ(たとえメッチャどん臭いバカが自分でこぼしたコーヒーでヤケドした時でも、そのコーヒーを売ったヤツのセキニンにするよな、ね)悪徳弁護士ってのはどうやら、この当時、すでにいたようで、Phillip Marco(あえて実名を記しておきましょ)っていう弁護士を雇い、当時はまだシリンダーしか手がけていなかった Columbia を(もし成功したら Berliner Gramophone を葬ることが出来るし、唯一のディスク陣営になれそうなので、その時は Columbia にロイヤルティを支払う、なんて甘言で)抱き込んで、あたかも Columbia の許諾を得ているように見せかけて「 Columbia に依って保持されているパテントは、そのまま他の記録媒体にも通用する」という主張を繰り広げ、とりあえず Berliner and Johnson に対する「業務停止命令」を出させることにいったんは成功します。
しかし Berliner and Johnson は当然反訴し、綿密な法廷での審理の末、ケッキョク彼らが「勝利」を勝ち取り、それを記念して社名が「Victor」となったのでした。
1903 年、悪徳会社 Zon-O-Phone のアメリカ国内及びラテン・アメリカ諸国におけるすべての資産は差し押さえられ、すべてが Victor に帰することとなったのでございます。
まさに「悪はホロビる」!ってえヤツ・・・
このようにして Frank Seaman をビジネス・シーンから放逐した Victor は、その Zonophone の商標も引継ぎ、「Victor」のブランドにふさわしくないレヴェルの製品を安価で売却するためのディフュージョン・レーベルとして 1910 年まで使っています。(ただしイギリスでは HMV によって使われ、EMI に受け継がれ 1980 年代まで使われました)

ついでなんで、Victor についても語っておきましょ。20世紀初頭の蓄音器及びそれ用のレコードでトップをキープした会社です。
1901 年の10月に、Zonophone から接収した施設を利用して New Jersy 州の Camden で設立されました。実質的にはレコード盤の製作をする Emile Berliner の Berliner Gramophone Company と、蓄音器を作る Eldridge Johnson の Consolidated Talking Machine Company が一緒になって出来た会社です。
その社名は上に説明したいきさつで、裁判に「勝った」ことを記念してつけられたものですが、その商標にはみなさまもご存知の愛犬 Nipper が蓄音器に耳を傾けているアレでございます。

ただ、1901 年といえばまだ世はシリンダー・レコード全盛で、ディスク・レコードと、その蓄音器はまだまだオモチャみたいなもんとして敬遠されていたのでした。安いのはいいとして、信頼性が低く、音もシリンダーに比べるといまひとつ、という状態でしたからねえ。
ここで Eldridge Johnson がその能力を発揮して構造材の強度から見直すことによって、信頼性を高め、問題をクリアして行きます。その結果、Victor はその当時における最高の音質を手に入れることが出来たのでした。
また Victor が行ったのが当時の著名なミュージシャンの囲い込みで、始めて録音単位ではなく、「専属契約」という発想をこのビジネスに持ち込んだものです。
Victor は広告に必ずそれらのミュージシャン─「Victor でのみ聴ける」顔ぶれを載せ、大衆はシリンダーよりもディスクが優れているのかもしれない、と思うように誘導されていったのでした(なんか同じよなことが近い過去にもあったよな気がするなあ。「β」をブっ潰した VHS ってのも日本のだけどヴィクターなのよねん。ホントに優れてたんなら、放送局の業務用 ENG はナゼほとんど「β」だったんでしょうねえ?)。
有名なイタリアのテノール歌手、Enrico Caruso はそんな Victor の戦略に乗ってさらに名声を博し、Victor もまた「音が良い」というイメージを浸透させるのに成功したワケです。

1906 年には Johnson と彼の配下のエンジニアは「蓄音器」に新しいトレンドを持ち込みます。それは、かってのように、スプリング・モーターを内蔵し、上面にターン・テーブルを持ち、そこからホーンが突き出ているデザインが普通だった「蓄音器観」を一変させるものでした。
それまでの無愛想な黒塗りの箱だったところは縦長のキャビネットのように大きくなり、その前面にはゴシックの多連アーチを模したくり貫き部分にサテンあるいはダマスク織りなどの生地が張られ、本来、上にあったホーンはキャビネット内部に収納されて、その開口部が前述の「多連アーチ」という構造です(とは言ってもこれは見ることの出来たもう少し後のモデルの画像からの記述で、最初のそれがもっとシンプルなものだった可能性はあります。別な資料では木製キャビネットの底がホーンの開口になっているらしいデザインで一見戸棚のようなデザインのものも見かけました)。木部はオイル・フィニッシュなどで美しく磨き上げられたウォールナット材などを配した「明らかに」家具を指向したデザインとなったその蓄音器(にはもはや見えないんだけど)は「 Victorola 」の愛称を与えられ、高所得者層のステイタス・シンボルともなっていったのでした。ただし、ホーンをキャビネット内部に収納したのは「音質のために」ではありませんから、逆にいえば、このあたりですでに、電気的増幅を一切使わない、アコースティカルな再生技術が一応の技術的「飽和点」にまで達していたのだ、と考えることも出来るのかもしれませんね。

と、このヘンまでがおよそ 1910 年あたりの Victor のありさまでございます。
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