Little Wonder

Disc history


2004-02-02 MON.
ところで、もうひとつ、初期のアメリカで、シングル・サイド、ヴァーティカル・カットのディスク・レコードを供給していた企業を。
1902 年に Ohio 州の Toledo にあって Wynant van Zant Pierce Bradley と Albert Irish の所有する Talk-O-Phone Company が Victor の製品をそっくり真似た製品を送り出しました。
その Leeds Talk-O-Phone からリリースされたレコードは Victor を始めとする他社の製品を(当然、なんのことわりもなく)デュープしたものがほとんどであり、当時は著作権を保護するような法律の整備が遅れ、このようなモラルのかけらもないようなメーカーが存在した。
・・・とする資料もあるのですが、一方、別な資料では、Leeds のために録音されたヴォードヴィル・スターが存在し、しかも、そのレコードのクォリティーは同様のディスク・レコード間で比較すれば、メジャーたる Victor や Columbia に 5 年ほど先駆けていた、とされるのです。
これはちょっと困りましたねえ。先行する大メーカーの製品から型取りして安く作った粗悪な「海賊盤」のメーカー、っていうイメージと、専属のミュージシャンを持ち、音質は逆にリードしていた、ってんじゃ180 度違いますよ。
WEB 検索で発見した画像のセンター・レーベルを見ると、実に美しく金箔のエンボス加工されたレリーフ仕上げと、空に浮かぶ 3 人の天使・・・ ううむ、これを見ると、神経の配り方がかなり「繊細」で、これはちょっと「海賊盤」ってえイメージじゃありませんねえ。
ま、だからって言って断言しちゃうのはキケンかもしれませんが、「海賊盤」じゃない、とする資料では、実際に同レーベルに吹き込んだ、とされるヴォードヴィル芸人の名前までちゃんと記されているので、ワタクシ個人としては、そちらに傾きつつあります。ただし、同社のディスクの規格、製法その他はやはり Victor の特許に抵触することが裁決され、1909 年には廃業に追い込まれています。
往々にして、歴史は勝ち残ったものによって「都合よく」改竄されてきたものですが、その「レコードも他社の製品から型取りしたものだった」という伝説、案外、Victor 側が流したデマかもしれませんね。あるいは実際、なかにはそんなものも初期にはあったのかもしれないし、それを「全部そうだった」みたいな言い方にしただけかもしれません。

そして、正確な資料が発見出来なかったのですが、20 世紀初頭の約10年間ほど存在したらしい Imperial Records(後に同名の会社が 1920 年代イギリスと 1950 年代のアメリカにそれぞれありますが、それらとは一切、関係が無いようです)が初期の Ragtime などを録音していたそうです。
他にも 1906 年あたりにデビュー(?)した Concert Records ってのもあったらしいのですが、そちらは「まともな」資料に出会うことができず、どんな会社だったのか「?」でございます。

ところで Edison 社については、第一次世界大戦中の物資欠乏期に、間に合わせの材料に手を出したために「新品なのにスクラッチ・ノイズが出る」などの苦情が続出し、同社のシェアは縮小してしまったのですが、戦後(あ、もちろん、この「戦後」は「第一次世界大戦」の、でございますよ)の Edison 社は一大キャンペーンを組み(例の明かりが点くとステージ上には蓄音器、ってヤツですね)失地回復に努め、それなりの評価を獲得するまでにはなっていました。

そして、すでに 1908 年から、Victor 同様のダブル・サイド、ラテラル・カットのディスク・レコードに主力を移していた業界第二位の Columbia が、シリンダーからディスクにシフトする、と決定したのが 1912 年で、それを境に新しいシリンダー・レコードの録音と、その再生機器の製作を全面的にストップしています。
業界的には、これがレコードの媒体の趨勢を決した、と言って良いのではないでしょうか。もちろん、手持ちのプレス型から起こしたシリンダーの供給をしばらくは続けたのですが、もはやシリンダー・レコードの商業的未来は終りました。それ以降のシリンダーは、別な存在意義をオフィスに見出します。ディクタフォンと呼ばれる事務用の録音再生機器としてテープ・レコーダーが出現するまでの「しばしの」余生を送ることになります(そのため、蝋管自体は第二次世界大戦直前までは生産が継続されたようですが)。

一方、海外では、1890 年に Emile Berliner がドイツ国内で自身のディスク・レコードを販売するために設立した会社が Deutsche Grammophon(ドイツ・グラモフォン)となりました。さらに 1898 年には同様にイギリスにも支社を設立したのですが、それは 1900 年に The Gramophone & Typewriter Company となり、さらに 1910 年には His Master's Voice、つまり、その三語の頭文字をとった HMV となったのです。

第一次世界大戦後のレコード業界は徐々に新規参入も増えてきます。中には Little Wonder Records のようにちょっと毛色の変わった会社もありました。
1911 年にスタートした同社は、Columbia Records の入っている同じビルのより低い階にあり、シングル・サイドでラテラル・カット、5½ インチという小さなサイズのレコード(必然的に再生時間は 1 分半程度の短いものだったようです。また、溝間隔を狭くカットしてあるため、「細め」のスタイラスが指定されていました)を一枚 5 セントから 10 セントという破格の安さで売り出し、相当な枚数を売ったようです。
今、日本中にある百円均一ストアのアメリカ版、10セント・デパートメント・ストアーが当時のアメリカにあって、そのチェーン店にかなり供給されていたそうですから。
この Little Wonder Records には、上階の Columbia にレコーディングに来たミュージシャンがその前後に立ち寄って吹き込んでいったらしいデータも多く、そのことから、このレーベルを Columbia の子会社、としている資料もあるようですが、創立者は Henry Waterson である、などとする登記関係の書類からは、あくまでも独立した別個の会社であると思われます。また、その期間も上記の 1911 年から、とするもの、1914 年とするものがあり、いささかコンランいたしておりますねえ。
その小さなレコードにはフザけたことにミュージシャンの名前は一切記載されておらず、カンタンに「バンド」とか「テナー」とか「アコーディオン・ソロ」なんて「区別」が記されているだけだったそうです。たぶん Columbia Recording Artists が多かったと思うので、権利関係でモメるのを恐れた「苦肉の策」だったのかもしれませんね。
そのように演奏者名が記載されていないために、決定的なことは言えない、としながらも、そのメンバーはすべて Columbia に吹き込んだメンツからなっており、両者の間にはかなり深い関係があるのではないか?と分析する研究者もいますが、そこらは、ワタクシ現物を聴くどころか、お目にかかったことすら無いワケですから、コメントのしようがございません。
ま、そっから、うがった見方として、実は Columbia で録音したミュージシャンの「途中で止まった」テイクや、バランスを観るために流したのを録ったテイクで「使える部分だけを」 Little Wonder Records の名でリリースしたのではないか?なんてことを言い出すひとも出て来ちゃうんですねえ。
音質的には、当時の水準を「やや」上回っていたようですけどね。

なんにしてもワタクシなんぞの生まれる前、遥かムカシのことなもんで、もう、先人の残してくださった資料で考察するしかございません。この Little Wonder Records、その名前のとおり、ちょっとしたナゾでございますねえ。
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