Minor Labels

Disc history


2004-02-03 TUE.
そうそう、第一次世界大戦の終了した 1918 年にスタートした Paramount Records のことも忘れるワケにはまいりませんね。
Paramount は、それ以前に Wisconsin 州 Port Washington にあった家具製造会社 Wisconsin Chair Company の子会社として発足しています。
実はこの Wisconsin Chair Company というのは、あの Edison Records との契約に基づいてその Phonograph の木製のキャビネットを製造していたのですが、1915 年の末には自らの手になる Phonograph「Vista」を製造販売する the United Phonograph Corporation をスタートさせています(ただし、この試みは成功した、とは言い難いようですが)。いわば、その延長上に Paramount Records があったワケですね。

その録音とプレス作業は Wisconsin Chair Company が New York に作った子会社、と思わせて、実は Wisconsin の Chair Company の同一敷地内にあった The New York Recording Laboratories で行われていました。
ただし、当初の製品のレヴェルはあまり高いものではなかったようで、使用されたシェラックのせいもあったのか、平均的なレヴェルを下回っていた、とする資料が存在しています。
そんな状態でしたから、なかなか採算がとれるようにはならず、やがて他社のためのプレス業務の下請けも行うようになりました(そんなレヴェルでも安いから、と頼むんでしょか?)。
Paramount にプレスを発注していたレーベルのひとつ、Black Swan Records は史上初の「黒人の、黒人による、黒人のための」レコードの供給を行った会社でした。
1921 年の 5 月に Harry Pace と W.C.Handy によって New York の Harlem で設立された the Pace Phonograph Corporation は、19 世紀のオペラ・スター、Elizabeth Taylor Greenfield の愛称「Black Swan」をいただいて 1923 年に改名しました。
このレーベルの最大の成功は Ethel Waters、Trixie Smith、そして Fletcher Henderson の録音だったようです。ただ、この短命なレーベルは 1924 年に Paramount に買収されてしまいました。そして、それによって、以後黒人音楽のジャンルは同社にとっても「利益の上がる」分野となっていったのです。

と、そこまでは制作サイドの局面ですが、当然、商売として成立させるためには製品をエンド・ユーザーに届けるためのサプライヤー、あるいはディストリビューターの存在が必然となります。Paramount にとってのそれは Artphone という会社が受け持っておりました。
1916 年 9 月に Missouri 州 St. Louis で設立された Artphone は、当初、蓄音器の製造会社でしたが、後には Paramount を介して収集したブルースのレコードを扱うサプライヤーとなったものです。
これまでにも、何度か書いてまいりましたが、ブルース史上に残る「録音された」最も古いもの、として Mamie Smith の「Crazy Blues」が 1920 年の資料に残っています。
これも、何度も書いたことですが、それから 1924 年まではナゼか女性シンガー( Edith Wilson、Lucille Hegamin & Her Blue FlameSyncopators、Ma Rainey、Bessie Smith、Clara Smith、Rosa Henderson そして Lucille Bogan など)による「ブルース系」録音だけが行われているのですが、この Paramount では 1924 年の Papa Charlie Jackson の録音がその常識(?)を覆しました。

この 1920 年代の後半がブラック・ミュージック、なかでもブルースにとっては重要な黎明期と言ってもよいのですが、しかし、この時期には、実はもうひとつ別なファクターが介入してきます。
でも、その前に「電気的吹き込み」のことを。
マイクロフォンの始まりは、お馴染みの 1876 年の Alexander Graham Bell で、彼の Bell Laboratories で研究されていたものでした。そして、同研究所に在籍し、例の Victor のとこで、イヤっちゅうほど登場しております Emile Berliner ですが、その彼が 1877 年 3 月 4 日に「発明」した、音波振動を電気信号に変換するトランスデューサーは「マイクロフォン」と名付けられ、それ以降のありとあらゆる「音」に関連した局面に徐々に浸透し始めるのです。
まずその技術は「Telephone」つまり「電話」にとって決定的な役割を果たしました。初期のマイクは当然「カーボン・マイク」で、これはカーボン粒を挟んだ二枚の金属板に電圧をかけておくと、その板に加わる音圧によって抵抗値がかわるので「音」を検出できる、という原理によるもので、自発電流を検出するタイプのダイナミック・マイクやピエゾ・ピックアップのグループとは異なり、同様に電圧を印加しておく必要のあるコンデンサー・マイクにも「近い」原理を持っています。

この「マイク」はまず通信分野に改革をもたらしました。それまでの「電信」が ON と OFF の区別による極めてプリミティヴな「デジタル技術」で成り立っていた(だから遠距離通信が可能だったワケです。アナログじゃあこーは行きません)のに対し、このマイクによって初めてアナログな「音声通信」が世に出るワケです。
さらにそれがレコードの吹き込みの現場にもたらしたのが「 electric recording: 電気的吹き込み」で、これでレコードのダイナミック・レンジは画期的に向上しました( Paramount では 1926 年から導入)。が、同時に、マイクは別なものももたらしたのです。それは「放送」というものでした。

1901年、Guglielmo Marconi の大陸間通信実験で、まず「電信」と同様に ON と OFF だけの識別から始まった「無線電信」は 1920 年にはついに Radio Broadcasting としてアメリカのメディアの一翼を担い始めています。
もちろん、現代の地上波デジタルや衛星経由の Hi-Vision がその専用受信機(つまり、それ用のテレビでんがな)の「高価さ」ゆえ、なかなか普及しないのと同様に、当時でも、その受信機は極めて高価なものであり、放送が開始してから 15 年以上経った時点の市場調査(黒人家庭限定、1000 サンプル)でも、蓄音器の普及率は 27.6% に達しているのに対し、受信機の方はまだ 17.4% に過ぎません。
Artphone が、Victor などの先発メーカーの動向を読み取り、蓄音器よりも受信機の時代が来る、と判断したことにより、Paramount Records の命運も決まった、と言えるかもしれません。
1929 年の 6 月に Artphone はレコードのサプライ事業から撤退することを決定したのです。

一方、Indiana 州 Richmond では、Starr Piano Company が 1917 年の10月に新しいレコード会社 Gennett Records を発足させました。当初はヴァーティカル・カットのディスクでしたが、1919 年の 4 月には、より一般的なラテラル・カットに変更しています。
ご他聞に洩れず、Gennett でも、レコードを再生する蓄音器も作っていたのですが、そちらの方は地元以外ではそれほど売れてはいなかったようですね。
同社は地元のピアノ工場の敷地内と、それとは別に New York にも録音スタジオを持っており、New York 録音(自前のスタジオの他、借りたスタジオで録ったものも)のほうはかなりの高水準の製品となったのですが、Richmond で録音した方はあまり音が良くなかったようで、一部の資料では 20 年ほど前のレヴェル、とまで酷評されておりました。

Gennett の初期の製品で特筆すべきはジャズ系の録音で、Jelly Roll Morton や Bix Beiderbecke、さらに The New Orleans Rhythm Kings、"King" Joe Oliver's band、Louis Armstrong、Hoagy Carmichael、The Original New Orleans Jazz Band などの録音で知られています。
1925 年あたりからは Blind Lemon Jefferson や Charlie Patton、そして Big Bill Broonzy などのブルースも吹き込まれています。
Gennett がマイクを使った「電気的吹き込み」をはじめたのは Paramount よりも遅く、1927 年の 2 月のことでした。とは言ってもそれは New York の RCA のスタジオを借りて出来ただけなんだけどね。その後、本気で「電気的吹き込み」に取り組んで、やがては Paramount にそのヘンの技術供与までするようになったらしいのですが、間もなく訪れる不吉な影が、あまたのレコード会社に「試練」をもたらします。
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