Black Thursday

Disc history


2004-02-05 THU.
1929 年の10月24日、「それ」は起こりました。
その日、株式市場がトツゼン暴落したのです。
そして抵当保証の額面割れによって実際のパニックに突入したのが 29 日の Black Tuesday です。
このアメリカの株式市場に端を発した出来事はデフレおよび失業の大きな増加を伴った世界的な不況を引き起こしました。『 The Great Depression 』・・・いわゆる「大恐慌」の訪れです。
米国の相場の暴落は、危ういバランスで踏み止まっていた世界の「既に限界に近付いていた傾斜」のつっかい棒を外してしまった、と言うことが出来るでしょう。当然、この時期を乗り切れずに消滅した企業も数多く、ブルースの世界でも録音の機会が激減したり、それによって「休眠」に入ってしまうブルースマンもおりました。
当然、ブルースをリリースしていたレコード会社にもその波は押し寄せています。
例えば Brunswick Records( Iowa 州 Dubuque で 1845 年に創立され、ピアノからスポーツ用品までを手がけていた the Brunswick Bake Collender Company─ alt. Balk Collender ─の製品として、1916 年には蓄音器が、ややあって、それで再生するレコードも供給しよう、ということで、Edison タイプのヴァーティカル・カットのレコードを製造し始めています。そして 1920 年からは、より一般的なラテラル・カット、78rpm の事実上の業界スタンダードに乗り換えたのですが、それが当たり、さらに家庭用の蓄音器も業績を伸ばして、凋落し続ける Edison に代わって Victor、Columbia に次ぐ業界第三位にのし上がって行くのです。さらに、ほぼ同時期の 1916 年に New York で the Aeolian Piano Company によって設立され、同様にヴァーティカルで始まり、すぐにラテラル・カットに変わって独自の材質のシェラックでシェアを伸ばしていた Vocalion Records を 1924 年─ alt.1925─には入手。さらに 1925 年には Victor と Columbia が Western Electric の技術を取り入れて electrical recording に踏み切っていますが、Brunswick では「Light Ray Process」と名付けられた自社開発と思われる光電子セル、一種の光電管を利用してダイアフラムの振動をピック・アップする特殊なトランスデューサーを使って音を電圧に変換していたようです。ただし、後にはより一般的なマイクロフォンを使用したシステムに変更されました)は、1929 年から 1930 年にかけて、Speckled Red が 10 曲を吹き込んだ時期に当たるのですが、親会社である Bake Collender Company(蛇足ながら Bake Collender、あるいは Balk Collender ってのが一体なんのことなのか、はサッパリ不明でございました)は、その 1930 年に Brunswick Records を Warner Brothers に売却しています。ここで例の「Light Ray Process」が、映画のサウンド・トラックの技術を求めていた Warner Brothers に評価されたのかもしれませんが、やはり「大恐慌」がなければ、その後も独立したレコード会社としてさらに業績を伸ばしていったのではないでしょうか?Brunswick はこの後も数奇な運命を辿るのですが、それはさておき、Western Electric について。

Western Electric は一部の真空管マニアにとっては、現在でも名球(なんてゆーと Baseball みたい?)WE 300B の故郷(あ、そこら真空管の魅力についちゃあ http://www009.upp.so-net.ne.jp/kadowaki/ の厚木ファッツさんとこをゼヒご参照くださいませ)として極めて重要な企業でした。
その前身は南北戦争当時に「電信」に関わってた、ってえくらいですから、こと電気に関してはそーとー古い会社なんですが、やはり、そんな出自が影を落としているのか、20 世紀に入り、すぐに通信関係の機器や設備が主体となり、掃除機やミシンなどの家電製品は 1920 年あたりまでで、その先は AT&T などと組んだ電話通信関係の端末・中継機・交換機メーカーに特化してしまい、家電に「帰って来た」のは 1970 年代に入ってから、と言われます。
いずれにしても、この Western Electric の技術が Victor および Columbia の electrical recording を支えていたワケで、そこら詳しくツッコみたいとこなんですが、なんせ歴史はあるしイロイロあるしで、こいつを語るにはサイトをひとつ立ち上げるくらいの手間がかかりそうなんで、そっから先はみなさまに「お任せ」いたしますだ。
http://www.bellsystemmemorial.com/westernelectric_history.html でどうぞ。この Western Electric には大恐慌なんてあましカンケー無かったのかしらね?バブルがハジけても NTT ドコモは儲かってたみたいに。

さて、大メーカーたる Victor はどーだったでしょうか?
1925 年に WE の協力のもと、開発された新しい録音方式は「Orthophonic」と名付けられ、これに適応した蓄音器たる Victorola もこれに合わせて Orthophonic Victorola となっています。その最上級機種、栄光の「 Credenza 」にいたっては、実に延長 6フィートに及ぶホーン・ロードがキャビネットの中でトグロを巻き(なんてゆーと、なんだかキチャないなあ)当時の技術水準のトップを行く「高級機」として君臨していたのですが、ま、考えてみれば、30年後の家庭用「電蓄」と同じレヴェルなんですよね。まさにイノヴェーションってスゴいです。このころにも吹き込み方式を巡ってオーディオ・マニア(なんて人種はまだ存在してなかった?)はギロンしてたんでしょか?アコ・エレ論争。
たぶん蓄音器も「電化」されたときにはそんな話題も出たかもしれませんねえ。「どーも、この電気の音ってえのは好かん!」なんてえ金壷眼のオヤジがガンバってたりして。
78 回転の SP から 33 1/3 回転の LP になり、さらに 45 回転の EP と、新しいシステムが出るたんびにギロンして、特にアナログ・ディスクから CD になった時なんてスゴかったですからね。いまだに「ホントはアナログのほーが音はいいんだ」なんてひとイッパイいますから。

ま、それは、ナニをもって「いい音」と考えるか、ってことですよね。
市内の多目的ホールの音響設計を手がけ、そこに PCM によるディジタル・レコーディング・システムを導入したのですが、そこで行われた琵琶による「平家物語」をディジタル録音した時など、ハッキリと「ああ、アナログの時代は終ったな・・・ 」と実感したものでした。アナログ・テープじゃたとえ、どれだけテープ速度を早めても消えることの無い「テープ・ヒス」が皆無!しかも、ドルビーなどの「姑息な」加工を施していないため、位相の不自然な回転も無く、当然、トランジェントと言われる音の立ち上がりが「美しいほど」ナマに近い!
ワタシにとって「いい音」とは本来の音に「なにも」付け加えていないコト。がメインです。だから、ムカシっからレコードのスクラッチ・ノイズやテープのヒス・ノイズ、そゆのが嫌いで、だから CD の音を聴いたときには感動しましたね。ホントの静寂の中から音楽が聞こえてくるんですから。
ま、そんなことはともかく、1928 年には Eldridge R.Johnson は自身の持ち株を Siegelman & Spyer に売却しております。それは 1929 年に転売され RCA の手に渡り、ここに RCA Victor が誕生することとなります。

RCA とは、本来 the Radio Corporation of America の略で、いま現在は離れてしまった三つの会社を統合したものとして使用され始めました。第一次世界大戦に際し、アメリカ政府は Radio に関連する各種の会社を管理下におき、戦争を遂行するために団結させた(ううむ、イマもムカシもやることは同じやねえ)のでした。
当時、枢軸側であったイタリアの資本による American Marconi を(敵国だ、っちゅう理由で)強制接収し、そこに General Electric、United Fruit、Westinghouse Electric が乗り込んで「でっち上げ(?)」られたのがその the Radio Corporation of America なのでございます。本来、この事業はアメリカ海軍が独占をもくろんでいたようですが General Electric の Owen Young は議会に、その運営を海軍から分離して GE と AT&T に託させるよう働きかけ、結局信任を得ることに成功しています。
最終的に 1919 年、GE と AT&T を筆頭株主として、さらにゼネラル・マネージャーとして David Sarnoff を選任しました。また、United Fruit と Westinghouse に対してはその所有する特許と交換で所有権を整理しています。これが RCA の本格的なスタートでした。
1926 年には WEAF と WCAP のふたつの放送局を買収し、AT&T の通信網を利用してネットワークを広げて行きます。そして個別の局ばかりか New York の WJZ グループ、Washington の WRC グループなども傘下に収め、遂には the National Broadcasting Company、つまり NBC を完成させるに至るのですよ。

そして 1929 年、RCA は当時、世界最大の Phonograph メーカーにしてディスク・レコードのサプライヤー、the Victor Talking Machine Company を買い取ったのでした。それ以来、イギリスの HMV が権利を押さえているヨーロッパ以外の全世界では「愛犬 Nipper」の商標が RCA によって使われることとなるのです。
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