1936, San Antonio, Texas

Disc history


2004-02-06 FRI.
業界トップだった Victor は結局 1929 年に RCA が所有するところとなりましたが、一方の Columbia はどうだったでしょうか?

Victor と足並みを揃えて(?)1925 年には electric recording を導入した Columbia でしたが、こちらでは Victor の「Orthophonic」のような特別なキャッチは与えていなかったようです(手元の資料では省かれているだけ、ってえ可能性もありますから、もしかするとパっとしないのが「あった」のかもしれませんが)。
この頃のアメリカ国内の 78rpm SP の市場はおよそ年 25,000,000 枚に達する規模だった( by www.sonymusic.com )ようですが、翌年、Columbia はドイツの Lindstrom AG のアメリカ支社(おそらくドイツ Odeon レーベルの販売が主だったとは思われるのですが Parlophone などのドイツ製蓄音器のアメリカ国内向け販売も含まれていたのかどうかなど、そのヘンの詳しいことは判明しませんでした)の Otto Heinmann( 1877-1965 )が New York で設立した Okeh Records(初期の Mamie Smith の吹き込みがかなりのヒットとなって以来、ブルース系、さらにはジャズにも興味を持ち、Louis Jordan のとこで出て来た Clarence Williams をレコーディング・ディレクターとして迎え入れ、その後も当時のジャズの中心とも言える Chicago にもスタジオを開設し、New Orleans 生まれのピアニスト&コンポーザーの Richard M.Jones をディレクターに迎える。King Oliver や Sidney Bechet、Louis Armstrong、Lonnie Johnson、Bix Beiderbecke、Frankie Trumbauer、Eddie Lang などの録音がある。1922年以降は積極的にフィールド・レコーディングを New Orleans、Atlanta、San Antonio、St. Louis、Kansas City などの各地で行い、幅広い音源を収集しました。electric recording への切り替えは 1926 年。同年11月11日、Columbia に買収される)を傘下におさめています。これにより、Columbia には Okeh 音源のカタログが統合されました。

さて、業界トップであった Victor は第一次世界大戦下の国策に端を発する大グループ RCA に属するようになりましたが、Columbia にも同様の運命が近付いて来てはおりました。ただ、それはもう少し後のことで、その前に短期間ではありますが Columbia を一時支配した別な企業を紹介しておかなくちゃいけません。
だって、そのレーベルにはおそらく「ブルース史上もっとも重要な録音がなされている」ワケですから。

そのためには、またちょっと時間を遡ったとこから話を始めなきゃいけませんね。
時はまさに世紀末 1896 年の Paris、そこでビストロを経営していたシャルルとエミールのパテ兄弟( Charles & Emile Pathe )は Edison スタイルの Phonograph を自分たちで作ろう!と決意したのでした。⋯え~なんでそんなことを思いついたのか?なんてえことはワタシに尋かないでちょ~だい。
ドイツの Lindstrom AG のこと調べるんだってエラいくろーしたんですが、それがおフランスとなると、もーカンゼンにお手上げざます。
だって単語の調べ方からちゃうんだもの。やはりフランス語は単語の意味を調べるだけで解読できるよなヤワな言語やおませんどした。
ま、それはともかく、Edison スタイルですから、とーぜんシリンダー・レコードと、それを再生する Phonograph を作り始めた兄弟はどんどん成果を上げ、ついにはイタリアにまでその販路を広げるに至ったそうでございます。その Pathe 社もラテラルカット(つまり、一挙に非 Edison 陣営へ走ったっつーワケですねえ)のディスク・レコードにチェンジしたのが 1906 年でした。
しかし、一部の資料では、フランス本国では Pathe Freres の名でヴァーティカル・カット(ただし Edison タイプの Thick ディスクかどうかは不明です)も供給していた、となっておりまして、ワタクシの手に余るコンランでございますが、さらに面喰らうのがその規格でございまして、最小で直径 7 インチ(まあ、これは、フムそんなもんじゃろう、てな感じなんですが)最大のものは「なんと」 20 インチ!ああた、20 インチゆうたらほぼ 51cm でっせ!しかも、それだけやおません。指定された回転数は、これまた「なんでやねん?」の 90rpm!ううむ、音質をツイキューしてそうなったのか?と思いたいとこですが、でも、次のトドメの一発でみなさん、目を白黒させまっせ。いいですか、このディスク、曲の始まりは「一番内側」なんざます!つまり中から外へ、と再生してゆくのでございますよ。
この Pathe っての、いかれ・・・うっぷす、ユニークなのはレコードだけやおません。Pathe Freres ってのが映画方面にも進出いたしまして、1920年ころからは Pathe Cinema( Paris )となったようなんですが、1923 年には家庭用の映画撮影カメラ、Pathe Baby(パテー・ベビー)ってのを発表したんですが、ふつー標準サイズの 16mm フィルムをまっぷたつに裂いた(あ、ちゃんと自動ラインで切断してるんですけどね) W8(別名 R8: Regular 8 )って 8mm 幅のフィルムを使うんですが、Pathe は、それ一体どっから来たの?っちゅうナゾの 9.5mm 幅、しかもフィルムを送るための穴(ふつーフィルムの両端、W8 じゃ、16mm 幅のフィルムを半分にしてるから片側に寄ってついてます)が画面の 1コマと次のコマの間、しかもフィルム中央に付いている、ってえフレンチ・アヴァンギャルドぶり。また送り速度も秒 14 コマってゆう独特なものでした。
あ、時間なくてカンゼンに検証してない(しかも管轄外だし?)のでもしかすると Pathe Freres と Pathe Baby はカンケーないよ!なんてツッコミが映画業界から入るかもしれませんが、ま、よーするに、フランス人てユニークなのねん、っちゅーのが判っていただければケッコーざんす。
その Pathe も 1914 年にアメリカに進出した際には「ちゃんと」標準的な 10 インチ、あるいは 12 インチで 78 回転(でもやっぱり U-シェイプのヴァーティカルにはこだわってたようですが)にチェンジしています。そしてさすがに 1925 年にはヴァーティカルを放棄してラテラル・カットにカンゼンに変わりました。

その Pathe のアメリカ支社と、1922 年に New York で設立された Cameo Records、また今のとこ、ちょっと資料が発見出来ず実態がつかめていないのですが Regal Records って会社、そして the Scanton Button Company ってのが 1929 年に合併して生まれたのが American Record Company でした。
社はマンハッタンの 1776 Broadway に置かれ、Scanton の Louis G.Sylvester が社長に就任しています。同年10月には Consolidated Film Company の Herbert Yates が ARC の運営にあたるようになりましたが、訪れた大恐慌によって市場は冷え込み、立ち行かなくなるレーベルが続出します。ARC はその手のレーベルを買い取ってはそのカタログを安価で提供する「 3 枚 1 ドル!」の安売りマーケットの「王者」として君臨しました。これによって一挙に枚数(だけ)は 6,000,000 枚を売るようになり、これは当時の RCA のほぼ二倍に相当します。このため RCA はトップの座を奪回するために Bluebird レーベルをスタートさせたくらいにね。

この ARC が 1934 年に Columbia を手に入れたのでした。
やがて 1936 年、ARC のスカウトマン Ernie Oertle は Mississippi 州 Jackson のレコード・ショップを経営している H.C.Speirs から連絡を受け、Texas 州 San Antonio でのフィールド・レコーディングにひとりのブルースマンを迎えます。
11月23日、現れた男は自分で弾くギターに乗せて次々と完成度の高いブルースを歌い出しました。

Kindhearted Woman Blues
I Believe I'll Dust My Broom
Sweet Home Chicago
Ramblin'g On My Mind
When You Got a Good Friend
Come On In My Kitchen
Terraplane Blues
Phonograph Blues
32-20 Blues
They're Red Hot
Dead Shrimp Blues
Cross Road Blues
Walking Blues
Last Fair Deal Gone Down
Preaching Blues ( Up Jumped the Devil )
If I Had Possession Over Judgment Day 」・・・

その男、Robrt Johnson は、翌 1937 年の 6 月、ふたたびレコーディングの現場に帰ってきます。
この時の録音は同じ Texas 州ではありますが、Dallas で行われ

Hellhound On My Trail
Little Queen of Spades
Malted Milk
Drunken Hearted Man
Me and the Devil Blues
Stop Breakin' Down Blues
Traveling Riverside Blues
Honeymoon Blues
Milkcow's Calf Blues を 3 テイク
Love in Vain の 4 テイク(他はすべて 2 テイク)

を録音しました。このようにして ARC に収められた彼の録音は、おそらくブルースの歴史の上でも、また、芸術的な意味においても、最も重要な「奇跡」として我々にもたらされることになるのです。
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