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Disc history


2004-02-07 SAT.
さて、先日、親会社 Bake Collender Company によって、1930 年に Warner Brothers に売却された、ってとこまでトレースした Brunswick Records なのですが、その Warner はサウンド・トラック用に開発を進めていた Vitaphone を結局放棄することとなり、大恐慌によって急激に悪化したレコード部門の採算性に嫌気のさした経営陣は Brunswick Records を ARC─the American Record Corporation─に 1931 年の12月に「リース」する決断を行いました。そこで ARC は ARC-BC あるいは ARC-BRC(どっちにしても American Record Company / Brunswick Record Company の略)となったのでございます。
その ARC-BC は 1934 年に Columbia と Okeh を買収、さらにそのカタログを充実させたのでした。

と、ここでまたもや、ちょっとばかり時間を遡らなきゃなりません。
まったく、こうゆう話題で追ってゆくと、いつも悩むのですが、カンゼンに時間軸に沿って著述していくと「あまりに」同時並行的になっちゃってどれがどれやら、なにがなにやら大混乱になっちゃうでしょうし、逆に今回みたく、トピック毎に追ってゆくと、時間をジグザグに行ったり来たり迷走することになってしまいます。てなワケで、みなさま、年次をアタマにいれて読んでくださいねん。

時は大恐慌の前の 1927 年にまで戻ります。
Columbia Records は 1920 年代に勃興した Radio 放送の「可能性」についても「押さえておく」つもりがあったのか、当時の New York のタレント事務所の経営者であった Arthur Judson と組んだジョイント・ヴェンチャーに乗り出しました。したがってそこに Columbia という名前の入った新しい企業 the Columbia Phonograph Broadcasting System として 1927 年 9 月18日にネット 47 局を持った放送事業を開始しています。
しかし、最初の 1 年間はカンゼンな「赤字」で終り、その時点で「興味を失った」ものか、Columbia は 1929 年 1 月18日にネットワークを Philadelphia の紙巻きタバコ製造業者 William S.Paley に率いられた個人投資家のグループに売却してしまいました。
この新しい経営陣はその名前を単純化し、Columbia Broadcasting System(なにやら Tiffany Network っちゅうニックネームがあったようですが)としたのですが、それからの 9 年間というもの、Columbia Records と CBS は、なんのカンケーも無い二つの企業として別々の道を歩いてゆくことになります。

こうして誕生した CBS は、先行していた RCA のネットワーク NBC( 1926- )よりも低い送信出力にもかかわらず、参加する局を集めるのに成功し、実質上の利益面で優位に立っていたようです(そのころ NBC は、西海岸の Seattle で 1927 年にスタートしたものの大恐慌でツブれた American Broadcasting Company を傘下に置き、サブ・ネットワークとしていたのですが、1941 年に F.C.C. ─ 連邦通信委員会 ─ は寡占を防ぐため、それを切り離すように命令し、NBC から独立。以後、NBC、CBS、ABC がアメリカ三大ネットワークとなる)。
そして 1938 年、大恐慌の痛手から未だ回復できずに、低迷を続けていたレコード業界にも手を伸ばすこととなり、かっての「親会社」 Columbia Records を、というより、Columbia を持っていた ARC-BC を 700,000 ドルで買収し、実に 9 年ぶりに Columbia Broadcasting System のもとに Columbia Records が(親子は逆転しちゃったけどね)帰って来たのでした。
その 1938 年は、あの John Hammond の伝説的な(特に、彼が希望していた Robert Johnson の到着のかわりに「訃報」が届いたことでなお一層、伝説的になった?)カーネギー・ホールでの『 Spirituals To Swing 』の最初の年でもあったのです。

あ、ついで、と言っちゃあなんですが、この CBS、アメリカで「最初に」テレヴィジョン放送をした会社なんですよ。スタートした 1939 年には一日にたった一時間(!)の放送だったそうです。さらにもひとつ、あのアナログ・ディスクと言われる LP レコード、この規格を開発し、提唱したのが 1948 年の Columbia Records なのでございます。
さらに「ついでに」(ってゆーか、これまで紹介すんの忘れてた!)これまでの再生速度の変遷を・・・
まず Emile Berliner の最初のディスク・レコードのプレイヤー「Gramophone」は 7 インチ系の硬質ゴムの円盤を毎分 70 回転で使用しておりました。最初のそれはシングル・サイドのヴァーティカル・カットです( 1889 )。でも同社の 1897 年の製品じゃ 55 回転が指定されてるのもありますが。
しかしそれも 1901 年までに直径10インチ、78 回転という Victor の規格が定着します。
1948 年には Columbia の Peter Goldmark が開発した 12インチ、33 1/3 回転(片面 23 分の録音が可能。これが後の CD や MD などのタイムサイズにまで影響を与えるワケですね)の「Longer-Playing」システムが発表され、the Long Play record を意味する LP として、CD 全盛の現代までも続く規格となったのでした。
一方の RCA Victor は 1949 年に 7 インチ 45 回転の新規格で対抗します。 Extended Play を略した EP という名で呼ばれていますが、この部分は異説があり、日本のオーディオ誌でも SP は 10" の 78 rpm とするものと、7" の 45 rpm の片面一曲の(つまり、シングルってヤツね)もの、とする派があります。だから EP は 45rpm だけど、片面に 2 曲入りだと。また、7" で 33 1/3rpm のものを EP というひとがいますが、これは明かにマチガイで、EP は片面 1 曲だろうが 2 曲だろうが、ともかく速度だけは 45rpm でなければいけません。

「ぷ」さんと森田の一番食堂へ!
こないだベーサーMが「行って来たよ」ってのを聞いて喰いたくなったのですよ。で、お店で「ギョーザありますか?」って尋いたら「あります」だって!やったぁ。始めてだぞう、一番のギョーザ。 うん、ケッコウ美味しかったざんす。「憧れ(?)の」ラーメン&ギョーザが喰えたんでマンゾク。
そっから久しぶりに冬の日本海を見にいきました。暗緑色の海は鋭い牙のような白い波頭を見せながら北風に押されて岸に砕けています。海から水平に飛んで来る雪で視界は 2km ほどでしょうか、そんなクソ寒い高台の路傍にクルマ止めて、わざわざ外に出て海を眺めてるモノズキがいましたが「冬の怒涛」を実感したかったんでしょか?
キモチは判るけど、クルマ邪魔。

その行き帰り、随所で小規模ながら地吹雪を楽しんでまいりましたよ。寒くて、降った雪がサラサラなとき、強い風に煽られて、地表から雪が舞い上がる現象で、ヒドいときはカンゼンにホワイト・アウトして、どこが道路なのかさっぱり判らなくなるんですよ。しゃあないからとりあえず減速しといておさまるのを待つんですが、そんな白一色の視界の中からトツゼン幻のように対向車が姿を現したりするんでユダンできません。
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