Listen To The Bluebird Subsidiary label 2004-02-13 FRI. | と言っても、Bluebird ってのは先日 ARC-BRC のとこでもちょっと触れたけど、独立したレーベルじゃあなくて、Victor のディフュージョン・レーベルなのでございます。 1929年に RCA の傘下となった Victor でしたが、大恐慌による景気の悪化は大メーカーとて避けられるハズもなく、1920年代にはどの(とまで言っちゃうと語弊はあるんですが)レコード会社もレコーディング・スタッフを南部に送り、ブルースを収録していたものですが、そのような原盤を持っていた中小のレコード会社が不況で潰れることにより、それらの録音マスターが安価で買収できるようになりました。 特に Vocalion を買い取った Brunswick が ARC の所有となり、この ARC が 1ドルで 3枚、または 4枚!買える安価なレコードを大量に発売し、枚数だけでは Victor を「抜いて」しまいます。これに危機感を持った Victor が急いでスタートさせたのが、この Bluebird レーベルってワケ。 ところで不況になってからというもの、確かにブルースのレコーディングは「減って」いたようなのですが、ARC の成功は「安価でさえあれば、レコードを買う層は存在する」ことを証明いたしました。 そこで、大手レコード会社が考えたのは、経費のかかるフィールド・レコーディングをするのではなく、レコード会社の自社スタジオで、専属のハウス・バンドで「カチっと」録る、ってえ戦略でした。 これによってムダな「録りなおしテイク」は減り、また作品ごとのバラつきも無くすることができます。 そのような製作態勢を整えて、Victor 側が「安売り」陣営に対抗するために 1932年の 8月(このときは 8 インチ・サイズのみで、シリアルは 1800 から始まっています。それがその翌年、1933年 5月には、より一般的な 10 インチとなり、そのときのシリアルは 1810番。ただし、それはスグに B-5000 からに変わっています)にスタートさせたのがこの Bluebird レーベルでした。 これでレコードの単価はいっきに 1ドルを割り、安いものでは 35セント(でも、まだ 3枚で 1ドル、ってのには負けてますが)、高くても 75セントで供給を始めます。 そして1934年には A&R マンをそれまでの Ralph Peer から、Chicago で音楽出版をしていた Lester Melrose に変え(と言っても無給だった、というハナシもあるので、どんな契約形態だったのか「?」なのですが)、それ以来、Bluebird には様々なブルースマンが吹き込み、そのカタログを充実させていきました。 1934年から 1951年に及ぶ時期に録音されたブルースの実に 90%は彼の手になっているそうですから、Bluebird サウンド・イコール Melrose サウンドと言っていいのではないでしょうか。以前に彼のことにちょっと触れた際には、その音がどれも似通っている点でモンダイもある、みたいなことも書きましたが、逆に、Victor 側としては、やはりルーティン・ワークで同じよなバッキングで同じよなセッティングでガンガン録ったほーがコストを抑えられるワケですから、そっちサイドのプレッシャーも「あった」のかもしれません。 ま、なんにしても、1930年代後半から第二次世界大戦までの Chicago の(って限定しちゃうのはマズいんですが、バッキングがあの調子なんで、どれも Chicago「臭」が・・・ )ブルースのアヴェレージ(?)が聴ける、ってえ意味じゃあ、やはり貴重な存在でございます。 あまり夜遊びに出るよな気にもなれない寒い夜は、ホット・ウィスキーなんぞすすりつつ RCA ブルースの古典でも聴いてホンワカしてくださいませ。Tampa Red に Jazz Gillum、Leroy Carr、そうそう Sonny Boy I もいいですねえ。 とゆーワケで、戦前の重要なレーベル(って戦後もあるんですが) Bluebird のご紹介をカンタンにさせていただきました。 ここら、いずれやる(であろうところの) 1940年代以降のブルース・レーベルの時にもすこし詳しくやる・・・かも? |
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