We All Gotta Go Sometime

Joe Hill Louis


04-02-15 SUN.
ギターを弾きながら歌う、ってだけじゃなく、ハーモニカはスタンドで、しかも足ではドラムも、ってゆう One Man Band のひとなんですが、この録音は聴いてお判りのとおり、ギターと同時にスネアが叩かれているし、いえ、それどころかピアノも鳴っています、その上さらに、なんだかストリング・ベースまで聞こえ(るよな気が⋯)てませんか?手が 8 本でもあればひとりで出来るでしょーが、モチロンそんなワケはありませ〜ん。

そ、この 1952年の Sun Records への吹き込みでは、ちゃんとバック・ミュージシャンのみなさんがついておるのでございます。ハープは Walter Horton らしいですよ。

1921年 9月23日、Tennessee 州の Raines で生まれた Lester(あるいは Leslie ) Hill はその生まれた家庭を 14才の時に飛び出して Memphis の裕福な一家で暮らした(?)ってのが複数のバイオグラフィーにあるんですが、「なんじゃそりゃあ!?」ま、生まれた家がイヤになって逃げ出す、ってのはよく(でもないか?)ありそーだけど、それがなんで裕福な家庭で暮らせるワケ?それ、どっから出て来たの?ううう、ナゾだす。
ところで、その時期のことだと思うのですが、ケンカで相手をノシて勝ったことから、ボクシングのチャンピオン「Joe Louis」の名をいただいて、Joe Hill Louis になったんだって。
その彼が最初に覚えたのがハープらしいのですが、やがてギターとドラムも、ってふうに発展してったものと思われます。
1940年代の終りころには彼のワンマン・バンドは Handy Park ではありふれた光景となっていたようで、また、Memphis でスタートした放送局 WDIA で 15分の番組のホストを務めるようになったことで、かなり知られていったのではないでしょうか。
彼の初録音は 1949年に Columbia に行ったものだ、と言われておりますが、その他イロイロなマイナー・レーベルにも吹き込んでいたようで、例えば、1950年には Sam Phillips の初期のレーベルだった Phillips に吹き込まれたとゆう「 Hydramatic Woman 」なんてのが知られておりますが、(そこらの事情がまだイマイチよく判らないのですが)Sam Phillips は Joe Hill Louis の契約を RPM-Modern に「売って」しまい、1953年まではそちらで吹き込んでたらしいのですが、でもこの曲は 1952年ですからねえ。そこらどうもよく判りません。まったく資料が無いブルースマンってのも、書くのに困りますが、こんなふうに資料があっても「アヤしい」ってのもなんだかなあ。
他には Checker、Meteor、Big Town、House of Sound などにも録音があるようですが、有名なとこでは The One Man Band / Joe Hill Louis( Muskadine Records 101 )でタップリ聴くことが出来ます。
Joe Hill Louis は Sun Records に戻り、ソロとして、あるいはスタジオ・ミュージシャンとして活躍を開始したようですが、1957年に親指に傷を負い、そこから感染した破傷風によって、35才という若さで死亡してしまいました。

という Joe Hill Louis でございますが、今回はややアッサリと(?)仕上げてみましたよ。



お待たせいたしました(ってダレも待ってないか?)。いつもなら土曜日の夜にやるセッションなんですが、昨日は夕方からロックのコンサートがあって、それハネてから、そのまま「打ち上げ」というスタイルになったらしく、セッションが出来ないので、今日の日曜の夜に移動したものです。やはりそのせいか参加者が少なくてワタクシと板どんのふたりが交替で 6セットほどやりましたが、板どんのノドの調子があまりよろしくない、とゆーことで、深夜 0時で終了といたしました。
ベースは松宮選手とベーサーMのふたり、ドラムは初めての方がおみえになって、ベーサーMが叩いた 1セット以外では全部ドラムをやってくれました。
そして、そのお友だち(?)でしょうか、女性が来てくれて、最初はみんなの演奏を聴いていたのですが、クラシックだけどピアノが出来る、っていうんでステージに参加してもらいます。
その場でいきなり、使うコードや、その構成する音群とか教えてたんですが、そりゃムリってもんで、ブギの運指や、いわゆるセヴン・ナインスのポジションだって、一度聞いて覚えられたらそりゃ「天才」でございます。
でも、弾いてるうちにどんどん「ブルースには合わない音」が減っていくのはさすがです。ちゃんと楽器をやってるひとって「耳」も出来てるから教えなくても、「ん?この音は合わないみたい」って収斂してくんでしょね。次のセッションにも来てくれるみたいなんで、それまでにピアノが聴けるブルース(つまり主役じゃなくて、まず伴奏で入ってるのから)を MD にまとめて作ってあげることにしました。
いやあ、それにしてもギターがふたりしかいないんで、思いっきり歌って弾いたざんす。
新曲は Elmore の People People People(とは言っても、だいぶ前にやりかけて、しばらくやってなかっただけなんですが)、それと前回からやってる Just A Little Bit など。あ、そーいえば、今回もひとりで来て、本など読みながら、それでも聴いておられるらしい男性がやはり最初っからおられましたねえ。ブルースが好きなんでしょうか?今回は他にフロントがいなかったんで、変化が無くてつまらなかったかも。え?つまらないとしたら、そりゃ変化のモンダイじゃないかも、って?はいな、よ〜く判っとりまっせ。板どんはともかく、ワタクシのヘタな歌がかわりばえしないのは事実でございますからねん。
今日はまた Red Hot を持って行きました。うん、やっぱり一番「コツ〜ン」ってえ音が出るなあ。サンバーストはもちっと「芯」がある感じなんですが、コイツの、いかにも口先だけ、みたいな軽いフェイズ・アウト・トーンが、やっぱ「軽佻浮薄な」持ち主の人格に実にピッタシなんでしょなあ。
板どんは History のセミアコ。でもアンプがいつものじゃなく(最近、市内のちゃうとこで週一ライヴがあるんでそっちに置いてるみたい) SUNN か、タクロンのローランド(たぶん JC の前の型)使ってたんですが、イマイチしっくり来てないみたいでしたよ。
まるで練習でもしてるみたいに、タップシ出来た人手不足なセッションでしたが、タマにはいいかも。

今日のお昼は「ぷ」さんと(いつもは土曜日のお昼を「一緒」するんですが、昨日は用事があったそうで)久しぶりに相馬村農協直営売店に併設されてる「食堂」に行って来ました。したらなんと!今やゼツメツに瀕しておる「牛丼」がまだあるじゃあないの!
最初はここの「飛馬ラーメン」っての食べる気でいたんですが、この時期にまだ牛丼が「ある」ってのにカンドーし(?)、ついオーダーしちゃいました。ちと「甘み」が強いけど、ヒョっとしたら「 Y 家」や「 S 家」のよりも美味しいかもしんない。
あ、いけねえ、そんなことここに書いちゃうと「ナニっ!まだ牛丼が喰えるとこがあるの?」なんて牛丼フリークが詰め掛けて在庫を瞬く間に喰い尽しちゃうかもしんないなあ?ネダンは高いよう。Y 家の二倍近い 550円(生玉子付き)もするんだぞう!(どうだ?これで少しは殺到すんのが減るハズ・・・?)
550円っていうと、寿家のランチ革命にもその値段がありますよね。この辺りじゃいざしらず「トーキョーで」その値段で、しかもあの内容ってのはホント「革命」ですよ(夜の「呑み」を彩る肴がまたいーんですが)。
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