Drifting Cloud

Drifting Charles


2004-02-25 WED.
さすがに1963年録音ともなると、録音もしっかりしてきており、ベース・ラインもハッキリ判りますねえ。なんちて、そーイチガイには言えないんですが、まあ、すくなくともこの曲に関しては、サイド・ギターとリード・ギターだってカンゼンに分離してるし、ベースだって、ビミョーなタッチが判るまではムリとしても、音程がサダカじゃないモワモワの時代とは一世を隔しておりますぞ。
ご本人のヴォーカルだって危なげの無いスムースさで、もはやモダーン・ブルースと言ってよろしいんじゃないでしょか?
そしてこれもおそらくご本人と思われる硬質でタイトなカッティングのブーギがケッコー「いい」です。さらに、リード・ギターの Al Foreman がクリーンながら「含み」のあるトーンで絡んでくるあたりも、そーとーに「スマート」。
ベースは Rufus Thibodeaux、ドラムはシンガーとしても有名な Warren Storm でございます。1963年 Crowley での録音で Lanor 515 としてリリースされました。

Driftin' clouds above my head won't you bring back my girl to me

空に浮かぶ雲にそんなこと言ったってなあ・・・ いくら彼女が去ってったのが雲の多い日だったからって、ねえ。

さて、この Drifting Charles、その生涯についちゃあ殆どなにも判っておりません。いったいドコでいつ生まれたのか、どのよーな生活をしておったのか、すべてナゾ。その生涯の唯一の軌跡が Lanor Records におけるレコーディング・データです。

大恐慌で痛めつけられていた 1932年の12月10日、Louisiana 州の南西部 Church Point で生まれた John Levence "Lee" Lavergne は、Radio から流れてくる音楽、Cajun や C&W の中で育ちました。そんな彼のお気に入りだったのはアコーディオン奏者の Iry Lejeune と Nathan Abshire( Nathan Abshire & the Pine Grove Boys。供に Ace レコーディング・アーティスト)や Hank Williams で、KWKH から聴こえてくる音楽に合わせて Gene Autry (出た!)モデルのギターを弾く(マネ?)子供時代だったそうです。
そんな彼が兵役で朝鮮戦争の末期に参加し、除隊して Church Point に戻ってきてみると、すでに音楽は一変しており、R&B や R&R という、まったく新しい方向に向かっていたのです。でも、彼は寛容にも(?)それらのキツい音を受け入れ、音楽をその職業とする決意をしたもののようです。
とは言っても、決意すりゃあなれるよなもんじゃありませんから、まず食べてゆくためにマネージメントを学び、酒類販売を手がけるようになったらしいのですが、その間も(スタジオも持ってないし、録音技師としての経験などゼロだったにもかかわらず)彼はローカルなアーティストのレコードを作製して販売することを夢見ていたのでございました。
んなワケですから、実際にレコーディングとなると彼のアーティストと一緒にクルマをトバし、20マイル南下して J.D.Miller の Modern Music Center に行くか、でなきゃあ 60マイル西の Lake Charles まで行って Eddie Shuler の Goldband に辿り着くか、はたまた 130マイルも南東に離れた New Orleans で Cosimo Matassa のスタジオのお世話になるか・・・ しかも、録音が終わったら、次の日の仕事に差し支えないよう、ブっとばして帰って来なきゃいけなかった、って言いますから、まあ、凄い熱意でございますよん。
ただ、それはまだ「いいほう」で、アーティストの都合なんかによっちゃあ、遠く Georgia 州まで遠征してた、ってんですから、いくら「好き」とはいえ、タイヘンな苦労してたんですねえ。

1960年の 5月に彼は自身のレーベル Lanor をスタートさせるために有名な Cajun バンドのスティール・ギター奏者で、同じくアコーディオン奏者の Alphee を父に持つ Shirley Bergeron を選びました。 その吹き込んだ「J'ai Fait Mon Ede'e ( Lanor 500 )」は、ローカルなスケールではありましたがセンセーションを巻き起こしたようで、それで勢いを得た Lanor は Elton Hargrave and the Eltradors の「One Day ( Lanor 501 )」を送り出しましたが、これは Goldband 1106 のロックとケイジャンをミックスしたような Eddie Shuler「Sugar Bee 」に触発された作品だったようです。Lee は、同様な手法(?)で R&B とケイジャンのミックスにも乗り出し、Bill Matte の「Parlez-vouz L'Francais ( Lanor 503 )」はその甲斐あって(?) New Orleans エリアのヒット・チャートの 18位にまで昇りました。ただ、白人の D.J.たちはその「斬新さ(?)」にいささか引いてしまったようで、それが全国的セールスには発展しない、と判断したようです。

やがて着実に Lanor のカタログはブルースや R&B のミュージシャンを充実させて行くのですが、それには Opelousas で自分のレーベル Reynaud を持つマネージャーであり、ドラマーでもあった Lloyd Reynaud( Cookie & the Cupcakes のサックス・プレイヤー Hot Rod の兄弟)の存在も大きかったと思われます。そちらのチャンネルからは様々なミュージシャンが紹介されて来ているようですが、その中にはホーン・プレイヤーの Duke Stevens(「I've Been Your Fool / Nobody Knows 」 Lanor 509 )や、本稿の Drifting Charles こと Charles Tyler がおるのでございますねえ。
この Drifting Cloud( Coupled with「Evil Hearted Woman 」 Lanor 515 )は 1963年にリリースされるやミゴトにヒットし、Lanor レーベルにとっては大きな財産となったのでした。そして翌1964年にかけてさらに 6(?)曲を吹き込んでいるようですが、なんで「(?)」がついてるか、ってえと、Discography には

Lanor # 520 Charles Tyler: Lonely, Lonely Nights / When It Rains It Pours
Lanor # 521 Charles Tyler:Mexican Shoe Shine Boy / My Lonely Life

ってのが「ちゃんと」あるんですが、もひとつ

Lanor # 517 Charles Taylor: Let's Stick Together / Ease The Pain

とあるのが、タブンこれも Charles Tyler のことに違いない!ってワケで都合 8曲、としておるようでございます。

Drifting Charles に関する資料はおそらくこれだけのようで、ジャズのほーでまったく同姓同名の Charles Tyler ってひとがいますが、こっちの Charles Tyler はその足跡が完全に消えてしまったみたい。
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