Lonesome Lonely Blues

Lonesome Sundown


2004-03-12 FRI.
So tired ・・・と始まるレイジーなブルースですが、オープニングはハープじゃなくホーンが露払いを務めておるのでですね。
そのサックスはソロも堂々ととって、この曲の独特な湿度をウマく保ったままじんわりと温度を上げてくれます(相変わらず判りにくいたとえで申し訳ないっす)。それにしても Lonesome Sundown とはまた実にいい「芸名」ですよね。

プリ・ブルース期のワーク・ソング(だと思うんですが確証無し。なんせ遠い記憶の彼方に朽ちかけてたのを無理矢理ひっぱりだして来たんで、いささかアヤしい)で、歌詞に Harry, Down Sun down ってえ一節があったように思うのですが、その歌の解説に、当時の綿花プランテーションでは日の出から日没まで、明るい間はともかくコキ使われていた黒人奴隷たちは、もう午後も遅くなってくると、ひたすら「日没」を待ち焦がれたのだ、と。そして生まれたワーク・ソングで、「もういいから、早く地平線に沈んでくれ!」という悲痛な叫びが背景にある、てな主旨のことを読んだ記憶がございます。
そのように南北戦争以前の南部では「日没」が過酷な労働の「休止」を意味するものでもあったようですが、たとえ名目上だけとは言え「奴隷解放」後は、次第に、黒人社会の中での Sundown に対する概念も変質していったのかもしれません。この Lonesome Sundown という芸名での Sundown は多少なりともメランコリックな匂いがしますし、特に Lonesome ってえ語と組み合わせちゃうと、ますますセンチメンタルな風情を漂わせるのは当然でございますね。

その Lonesome Sundown、HP の方でも Favorite Songs で取り上げておりますが、向こうは軽快なテンポのダンサブルなナンバーで、それをいいことに(?)ワタクシなんぞ、そいつをバリバリの Rock'n'Roll に仕上げ、周囲のヒンシュクをかっておるのでございますよ。
もちろん、Lonesome Sundown のナンバーはそんなの(って言い方も無いが)が主流ではございませんで、今回の Lonesome Lonely Blues みたく、内に籠った微熱を感じさせつつも、独特な湿度を湛えた(?)、しかも重くはない、という独特のプレゼンスが Excello のトーンと良くマッチしておるのでございます。
1961年の吹き込みで Excello 2202 。カップリングはI'm Glad She's Mine、アルバムだと Excello 8012 Lonesome Sundown(あるいは Blue Horizon Records 7-63864、CD だと P-Vine でも出てるハズですが、AVI の I'm A Mojo Man: The Best Of The Excello Singles )に収録(参考までに申し上げますってえと、ジャケットの画像じゃあブロンズ・ホワイトにメイプル・ネックの Fender Telecaster を持っているように見えます。ま、ヘッドが写ってないんでニセもんの可能性もあるかも)。

"Lonesome Sundown"こと Cornelious Green は 1928年の12月12日に Louisiana 州の Donaldsonville で生まれました。
最初、彼はピアノを独習でモノにしたようですが、1948年には彼の叔父さんのギターを借りて New Orleans に移り、ポーターの仕事についていますが、その時からギターに転向したもののようです。
次に Jeanerette を経て Texas 州の Port Arthur に移ったのが 5年後の 1953年。そして「あの」 Clifton Chenier のバンドに Phillip Walker の後ろのセカンド・ギターとして入っていますが、同時に Phillip Walker とともに Specialty に別個に吹き込みも開始しているようです。
その Clifton Chenier のバンドからは、the Lloyd Reynaud band のヴォーカル&ギターとして移りました。この時期、彼は自分でも曲を作り始めており、1956年には J. D. Miller のオーディションを受けているのですが、その際、ミラーは Cornelius Green という名前から、「Lonesome Sundown」という芸名に変えることを提案したのです。
そして Lonesome Sundown としてリリースした彼の初シングルが Excello 2092 Lost Without Love / Leave My Money Aloneで、それ以降も Excello に数々の名曲を残しています。
1965年にはいったん Chicago に出ますが Opelousas に戻って来ると音楽から離れ宣教師となってしまいました。そのあたりのいきさつについちゃあ、ちょっと資料が無いんで、よく判りません。
しかし 1977年には Been Gone So Long でカム・バックしています。
その後も Crowley 発の音源を元にしたアルバム(あの Flyright Bought Me A Ticket とかね)などがリリースされていますが、その辺の Bootleg 系はたぶん彼自身への経済的なフィード・バックがゼロだったんじゃないでしょか?

晩年、糖尿病が悪化して療養生活を送っていたようですが、1995年の 4月23日、収容されていた Gonzales の病院で死亡しました。
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